第8話『繋がる形』

「あの、成瀬君。 入る前にいくつか注意事項が」


「騒がないとかそういうの?」


 冬木の家、正確にいうと比島音楽屋であるが、そこの前についたところで冬木がそう口にした。 真っ直ぐに俺を見ながら指を一本立てる姿は生徒に注意喚起する教師そのものである。 将来の姿だろうか、そういえば冬木の将来の夢ってなんなんだろう。


「いえ、小学生ではありませんしそれは言いません。 今日は比島さんの演奏仲間の人たちが何人かいるんですが……ベースの方は失礼なことを言うかもしれません。 田村さんという方です」


「俺あんまそういうの気にしないけどな」


 というよりも、俺自体が随分失礼な奴だと思うし。 てかそれもそうだが冬木がこうして事前に忠告してくるって珍しいな……そんな失礼な人なのかな、田村さん。


「たまにすれ違ったかと思えば、セクハラ的なことを言ってくるような人です、正直嫌いです」


「そういうタイプか」


 確かに冬木の性格からして、そういうのはあまりというか絶対に苦手とするだろう。 もっとも冬木の常識からして、セクハラ紛いのことでありそこまで酷い発言はしないと思うが。 こいつが堂々と嫌いと言い放つのは中々のことだ。 基本的に冬木は人が苦手であるものの人が嫌いなわけではない……と言うと、なんだか冬木が未知の生物みたいな言い方になってしまうな。 まぁ、ともかく冬木は極端に個人に対して嫌悪感を抱くような奴ではないのだ。


「では」


 言うと、冬木は扉を開ける。 すぐさま視界に入ったのはいつも通りの音楽屋としての店内だ。 そして、その奥ではカウンターバーに座る数人の男の人がいた。


「お、空ちゃん久しぶりー! 相変わらず貧乳だな、はっは!」


 ……いや冬木悪い、一発で今のが誰か分かった。 そして冬木の言葉に嘘偽りがないことを理解した。 しかも内容が俺ですら触れるのを躊躇う非常にデリケートな部分である。 これは冬木が極度に苦手意識を覚えるのも無理はない。


 少し太った体型の男は冬木に対し、手を上げながらそんなことを言う。 横目で見たが、冬木はこれでもかというほどに嫌悪感を露わにしていた。 眉間に皺を寄せ、口元は固く結ばれ、例え冬木のように思考を聞けずともどんなことを思っているか分かるくらいに表情が違う。 冬木がここまで顔に出すのも相当珍しいな。


「……来たか。 適当に座ってくれ」


 そんな俺と冬木を見ると、比島さんは吸っていた煙草を灰皿へと押し付け首で促す。 それを受け、俺たちは適当な場所へと腰掛けた。 カウンターは冬木的に嫌だろうから、備え付けられているソファーだ。


 どちらかと言えばバーが主体なのか、昼間とは雰囲気が違い如何にもという雰囲気が溢れている。 少し居てもいいのか不安になりながら辺りを見回していると、俺と冬木の目の前に若い男の人が腰掛ける。


「比島から聞いてるよ、空ちゃんが演奏聞きたいって初めてじゃないか?」


 比島さんとは正反対と言えばいいのか、失礼な言い回しにはなってしまうが遊んでいそうな見た目の人だ。 手にはガラスのコップを持ち、中には酒が入っているのか口に付けながら俺と冬木を見ている。 俺たちのことを気にかけて声をかけてくれたというのは正直言ってありがたい。 少なくとも高校生が出入りするような空気じゃないし、ここ。


八藤やとうさんです。 こちらは私の友達で、成瀬君です」


 冬木は最初にその人の名前を俺に教えると、八藤と呼ばれた人に俺のことを紹介する。 冬木が人見知りをしていないということはある程度会話をしたことはあるのだろう。


「おうよろしくな成瀬。 しっかしわりいな、田村の奴がまた馬鹿言って。 あいつ酒が入ると本当に調子に乗るからさ」


 見た目とは裏腹に話しやすい感じの人であった。 それと気が利くのか、俺と冬木の前にジュースらしきものが入った飲み物を置いてくれた。


「あそこに座っているのが田村さんで、八藤さんに……比島さんで3人ですか?」


「あと一人遅刻常習魔がいてね。 そいつが来れば良いんだけど……おーい比島! どうするー?」


 ということは、基本的に四人で演奏をしているのだろう。 八藤さんはカウンターで食器などを片付けている比島さんに向かって言うと、比島さんは小さく「先にやるか」と返した。 それを受け、八藤さんも田村さんもすぐさま自身の楽器を取り出し準備する。 比島さんはドラム、田村さんはベース、八藤さんはピアノのようだ。


「八藤さんがピアノって見た目と少し違うな」


「ふふ、そうですね。 前によく言われると八藤さんも言っていました」


 冬木はどこかそわそわした様子で準備を眺めている。 冬木も生で演奏を聴くのは初めてで、目の前でとなればさぞ楽しみなのだろう。 前のイルカショーを見る前のような楽しさを体中から溢れさせている。 こういう冬木を見れただけでも、今日の誘いに乗ったのはもしかしたら正解だったかもしれない。


 それから準備が終わり、比島さんたちは俺と冬木しか客がいない中で演奏を始めた。 正直、俺にはその演奏がどれほど洗練されているものなのかは分からなかったし、ジャズというものも分からない。 けど、演奏中はとにかくその音が耳から入ってきて体のどこかに落ちていって、聴き入ってしまったのは事実だった。 隣に座る冬木もそれは同様らしく、演奏中は無言で、静かにその演奏に耳を傾けていた。




「どうだった?」


「とても良かったと思います。 比島さんが中心で、田村さんの合わせも素晴らしいと思いますし……感動しそうになりました。 少しだけ、八藤さんが乱れたところもカバーしていて、それがまた演奏の形になっていて……」


「あはは、空ちゃんのアドバイスは助かるよ。 やっぱそうだよなぁ、俺ペース乱れてたか。 あいつらの技量に助けられてるよ」


「そんなことは。 八藤さんのピアノがあるからこそ、一本の芯が通っているとも思いますし」


 八藤の言葉に冬木は必死に返す。 冬木にしては珍しい言い方で、それがどれだけ冬木が真剣に聴いていたかも表している気がした。 そんな冬木の気持ちを八藤さんも分かっているのか、短く「ありがとう」と返す。


「すいません、俺は詳しくないんで分かりませんけど……でも、凄かったと思います」


 自分で言っておいてあれだが、まさに小学生並みの感想である。 もう少し言葉を選ぶべきなのだろうが、俺に対しても八藤さんは不満なさそうに笑って礼を言った。 内心どう思っているかはともかく、見た目とは裏腹に丁寧な人のように感じる。


「二人は高校生だったよね? 何か部活とかは?」


 気恥ずかしそうに、八藤さんは言う。 褒められたりすることには慣れていないのかもしれない、話題を変えたいようだ。


「いえ、私も成瀬君も部活はやってません」


「クラス委員くらいか、俺も冬木もそういうのに精を出すタイプじゃないし」


 冬木に向けて俺は言う。 俺は俺で運動部なんてもってのほかで、インドア派である。 冬木も似合うのは静かな図書室で本を読んでいるような姿で、実際本人もそっちの方が好みだろう。


「クラス委員ってのは?」


「便利屋みたいなものですよ。 主な仕事は冬木がやってくれるけど、たまに妙なことを頼まれたりして」


「妙なこと、か。 はは、なんだか楽しそうだね。 ってことは二人で行動することが多いから、仲が良いんだね」


「そういうわけでは……」


 と、冬木は否定しようとする。 だが、その途中で俺の方に視線をやると、短く咳払いをして再度口を開いた。


「……いえ、そうかもしれませんね。 他にも二人ほど今はいますが、今も先ほど成瀬君が言っていた「妙なこと」に付き合わされている最中です」


「そうなんだ、大変そうだ。 そういえば、俺が高校生のときも色々あったなぁ……」


 冬木の言葉に対し、八藤さんはそう返す。 俺や冬木がこうして今という学生時代を過ごしているように、目の前にいる八藤さんも同じように学生時代があったのだ。 それらを思い返すように、目を細めてグラスを傾けた。


「あそこに座ってる田村と、まだ来てない紅藤って奴と、あと三人の六人でバンドをやってたんだ。 ジャズなんてその頃は興味なくてさ、普通のよくあるバンドだった」


「比島さんはそのときのメンバーではなかったんですか?」


 聞いたのは冬木だった。 あまり冬木が関心を示すような話題ではないと思ったが、意外にも興味津々なご様子である。 好きなジャズのメンバーの過去と言えば、なるほど分かりやすい。 冬木が興味を示しそうだな。


「比島は大学からかな。 あいつよく一人でジャズやってて、それを聴いてた俺と田村が面白そうだって思って今に至る」


「えっと、紅藤さん以外の他の三人とはもうバンドをやっていないんですか?」


 今度は俺が尋ねると、八藤さんは目を細め、言葉には出さなかったものの仕草で否定する。 丁度そのとき、静かだった店内に明るい声が突き抜けた。 外の空気が流れ込み、まるで世界から隔絶されたような空間だったそこが外と繋がる。


「おっはよー! わりわり、寝坊した」


 短い髪に赤髪、およそこの落ち着いた空間には似合わないような人物だ。 その人物は女性で、ショートパンツに薄手のシャツというとてもラフな格好をしている。 なんだかこう、ビジュアル系バンドにいそうな出で立ちだ。


「また遅刻か、青葉あおば


「ごめんって八藤。 つか何この空気、もしかして演奏終わったカンジ?」


 どさりと、俺の真横へ腰掛ける。 なんだかとても快活そうな人だ、先ほどの話からしてこの人が最後のメンバーってことらしいけど……どう見てもジャズバンドのメンバーって雰囲気でも見た目でもないな。


「もしかしなくても終わってる。 折角空ちゃんと友達が聴きに来てくれたのに」


「ん、おお空! お前相変わらず影うっすいな! はは!」


 ぱんぱんと、冬木の肩を俺越しに叩いて青葉と呼ばれた人は言う。 なんというか、元気の塊のような人だ。 それに対して冬木は無表情で無反応。 いつも通りだな。 なんだか人形みたいだ。


「でこっちがカレシ?」


「友達です」


 青葉さんの言葉を否定する冬木。 そこだけ妙に反応が早い、俺も間違いは正して欲しいからその反応の早さはありがたい。


「あーくそ、折角だからあたしのサックスの素晴らしさを聴かせてやりたかったのに。 まぁここ来てるのも雑談ぐだぐだすんのが好きで来てるんだけど」


 青葉さんの言葉に八藤さんは苦笑いする。 反応を見る限り、いつもこんな感じなのだろう。


「んでなんの話してたわけよ、盛り上がってたけど」


「高校のときの話だよ。 懐かしいだろ」


「バンドやってたときか! えーっと、あたしに八藤と田村と北見と千夏ちなつに……安江やすえか」


 懐かしむように、青葉さんは言う。 どうやらその人たちが当時のバンドメンバーということらしい。


 ……少し引っかかる名前があるが、聞くべきか聞かざるべきか。 同じ名前なんていくらでもあるし。


「北見とは、北見先生のことですか?」


 だが、俺が悩んでいる間に冬木が口を開いた。 それに対し、答えたのは八藤さんだ。


「あれ、知ってる? あー……うん、今は教師やってるって聞いてるし、あいつはあれから関わりないから確実ではないけど、そうだろうね」


 ……なんだろう、少し壁を感じるような言い方だ。 北見先生と何かあったのだろうか。 そして冬木の聞き方に驚かない、まぁこの辺で高校っていえば普通は俺たちのところにはなるからだろう。


「何かあったのですか? 北見先生と」


 言う冬木。 それに対し、八藤さんはしばし冬木の顔を見てから口を開いた。


「……空ちゃんはなんかこう、変わったよね。 前は話しかけたら駄目みたいなオーラ纏ってたけど……これならもっと早く話しかけておけばよかったよ」


 それは俺も分かる。 というかそこで無理やり話しかけた結果、最初は酷い扱いを受けたものだ。 もっともそれは作り出された姿であり、本来の冬木は人を気遣えるような奴で心優しい奴なんだけど。


「そうかもしれません」


 と、それだけを冬木は八藤さんに返す。 どうやらそこまで語る気はないらしい。 あくまでも今回話すべきはその昔話だ。


「うーん、いろいろと難しいことが重なっちゃってね。 けど一番難しかったのは……彼女のことかな」


「八藤」


 何かを八藤さんは話そうとした。 だが、俺の横にいた青葉さんが短い言葉でそれを止めた。


「……」


 そのやり取りをみて、俺と冬木は目を合わせる。 もしかしたら全く関係のないことかもしれないし、いらないことを掘り返してしまうのかもしれない。 しかし北見の名前が出た以上、今回のことと関わりがあるかもしれないと思える以上、放置しようとは思えなかった。

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