第5話『燻るものは』

「こんばんは」


 幽霊探しの渦中にある日の日曜日。 本来であれば学校に集まっているところであったが、ここ最近は各々が調べ物に精を出していることが多く、集まる機会というのも減っていた。 原則として、今は基本的な書類整理などの仕事がないため、わざわざ学校に顔を出さなくても良いよとの有り難いお達しが北見からあったおかげでもある。 最も連絡自体はグループでのチャットがあり、そこで頻繁に連絡は取ってあるので問題はない。 秋月は立場を利用して参拝客からの情報収集、長峰は広い顔を使っての探りで、俺は朱里頼りの経路で情報を仕入れて、冬木は良い機会だからということで自らの足を使い調べているものの、成果という成果は未だにナシだ。 幽霊探しなんて途方もない真似は好奇心旺盛な小学生でも一日使えば満足してしまうだろうに、真っ暗の中手探りで探しているような現状である。


 そんな夏休みの日曜日、俺にとって不幸なことが起きた。 成瀬家の給湯器が故障し、風呂に入れなくなった。 朱里は友達の家のを一時的に借りるという形で話がついたらしいが、さすがに俺まで邪魔になるわけにはいかず、俺は悲しく駅近くにある銭湯へ行くことになっている。 明日には修理業者が来るらしいから今日だけの辛抱だけどな。


「悪いななんか」


「いえ、帰り道でしたし」


 そしてどうして冬木がいるかというと、俺がグループチャットでこの件に関して冗談交じりで報告したところ、個別チャットで「銭湯に行かないか」という旨の話があったのである。 なんでも行ったことがないらしく、成瀬君が行くなら一緒に行ってみたいとのことだ。 女子と二人で銭湯なんてなんだか思春期男子としては恥ずかしいものがあるが……冬木が相手となると、どちらかというと不安で不安で仕方ない。


「一回家寄るよな?」


 俺が外へ出ながら言うと、冬木はこくりと頷いた。 今日も結構出歩いていたのか、顔には少し疲れも見える。 無理をしてなければいいが……冬木にとっては、どうにかしないといけないという想いが強いのかもしれない。


 日は傾き始めており、辺りは夕闇に包まれている。 セミたちは未だに鳴いていたものの、もう少し経てば夏の夜は静かになる。 蒸し暑い空気が段々と冷たくなっていくのは、秋月によると「自然が多いおかげ」とのことだ。 俺にとっては嬉しいことだが、交通網が不便なのは諦めるしかないか。


「成瀬君は、私の力をどう思いますか?」


 そんなとき、横を歩く冬木が唐突にそう口にした。 冬木の持つ『人の思考を聞く力』は、アトランダムに周囲に居る人の思考を聞いてしまうものだ。 自由自在に聞けるのならそれはもうかなり便利な力だっただろうに、ランダムということもあって冬木の悩みの種でもある力――――――――。


「難しいな。 場合によっては便利だと思うけどさ」


「……最近、思考を聞くのと同時に違う何かを感じるようになってきたんです。 うまく表現できませんが……感情、というものでしょうか」


「おお、強くなったってこと?」


「とは少し違うと思いますが。 その人が感じていたであろう感情が曖昧にですが伝わるんです、最近」


 それはもしかしたら元々あった力なのではと、そう思った。 冬木は変わってきている、最初こそ人を拒絶するような立ち振る舞いをしていたこいつだが、長峰との一件を経てそれが変わってきているように見える。 まだそこまで大きく変わっているわけではないが、冬木の中は大きく変わっているのかもしれない。


 それがあったからこそ、人の想いというのをより敏感に感じ取れるようになったのかもしれない。 ひょっとしたら冬木は元々そうなだけであって、変わっているのではなく元に戻っている……ということも考えられるけど。


 それでも、悪いこととは思えない。 冬木は困惑している様子だったが、きっと冬木にとっては良いことになり得るようなそんな気がした。


「成瀬君、私が最初北見先生から話を聞いたとき、北見先生は「この子たちなら大丈夫」と、思っていたんです」


 冬木は一度立ち止まり、俺に言う。 俺は数歩先を歩いてしまった体を止め、振り返って冬木を見た。 冬木は真っ直ぐにこちらを見ていたが、その表情はあまり明るいとは言えなかった。


 風によって冬木の綺麗な銀色の髪が揺れる。 甘い香りが鼻を突いた。


「そのとき……北見先生の気持ちは」


 悲しみに満ちていた。 冬木は、そう俺に告げたのだ。




「北見先生がその幽霊に関係しているのは間違いありません。 私が聞いたものを全てと片付けるのは間違いでしょうけど」


 隣を歩く冬木は口元に手を当て、考え込む。 冬木が考え事をしているときのひとつの癖である。


 聞いたものだけで全てを決めつけない。 冬木は過去の出来事からそう考えるようになり、自分の力との折り合いもつけられ始めているように見えた。 元々心優しいこいつのことだ、人の気持ちに気付けるというのは大きな一歩にもなっている。


「まぁ今回の内容ならその可能性が高いだろうな。 その幽霊自体も噂が出たのって数年前だし……これが数十年も前だったら、本当に幽霊を疑わないといけなくなる」


 そう、噂が出たのは本当に最近のことなのだ。 だから若い北見が関係しているということにも説得力がある。


「冬木はどうにかしたいと思ったのか? それでみんなに対してあんな不器用な乗せ方したとか」


「……不器用でしたか? うまくやったつもりでしたけど」


 うん、お前がそう思うならそういうことにしておこう。


「その思考は馬鹿にしているように感じます」


「……いや、なんというかほら。 まぁみんな乗ったし結果オーライってやつだよ」


 言うと、冬木は少しむすっとした顔を俺へ向けたものの、それ以上何か言ってくることはなかった。


「とにかく情報が足りません。 今はそれを集めないと……詳しい人に聞ければ良いのですが」


「比島さんとかどうだ? 夜は演奏とかしてるんだろだろ? それならそういう情報も集まるんじゃないかな」


「……なるほど。 確かに」


 先ほどから冬木は考えっぱなしだ。 頭の中を覗いているわけではないが、表情と仕草がそれを表している。 やはり冬木はどうにかしたいという感情で埋め尽くされているのだろう。 そして、それほどまでに北見の気持ちというのは悲壮なものだった、というわけだ。


「それなら成瀬君、今日お風呂に入ったあとに寄って行きませんか? 丁度今日、調整すると言っていたので」


「まじか。 でも俺ジャズのこととか分からないし……聴いたこともないけど」


「私も目の前で聴いたことはありません。 でも、話を聞くには良い機会だと思うんです」


「……分かった。 ならそうしよう」


 ぶっちゃけ比島さんは怖いけど……今必要なのは情報だ。 それに俺が提案した方法だったし、何より冬木一人に任せるというのは気が引けた。 今回の件でいえば冬木は一番積極的に取り組んでいる、そこにあるのは気付いてしまった北見の気持ちだろう。 知ってしまったからこそどうにかしなければ、という想いが強いのかもしれない。


「でも冬木、あんま気負うなよ。 比島さんに話を聞きたいからジャズを聴くんじゃなくて、それはあくまでも繋げて考えない方が良いっていうか……」


「……また難しいことを言いますね」


「とにかく! 冬木は比島さんのジャズを目の前で聴きたいって気持ちもあるんだろ? それなら話を聞くこととは別で考えた方がいいっていうか……冬木が楽しめることは深く考えずに楽しんだ方がいいってこと」


 自分の気持ちがよく分からず、うまく言葉にすることができない。 趣味は趣味、それを利用してクラス委員としての仕事をするのは少し違うと思っただけだ。 そんな簡単なことなのに、何故か上手く伝えることができない。


「ふふ、大丈夫ですよ。 心配してくれているんですか?」


「……まぁ、一応は」


 最初に比べれば、冬木はかなり積極的に話してくれる。 大人しい、静かな奴ということには変わりないが、俺が何かを言わなくても自分から話しかけてくることが随分増えたと思う。 それに伴い表情もころころと変わるようになり、少なくとも最初のように気を遣って話すようなことはなくなっていた。


「それなら心配いりません。 実を言うと、一人で聴くということに勇気がなかったので、あれこれと理由を付けて成瀬君を誘ったんです。 北見先生に聞かれたら怒られてしまいそうですが」


 意外な言葉に俺は思わず笑う。 冬木がもし俺の力を知らなかったら、きっと言わなかったであろう言葉だ。 だが、冬木に幽霊探しをどうにかしたいという気持ちがあるのもまた事実。 先ほどの言葉たちに、嘘はなかったから。


 その辺り、冬木はうまく折り合いを付けているのかもしれない。 冬木はかなり変わってきた、それを近くにいるから強く感じる。 些細であれ、他の人から見たら分からないことであれ、冬木空という人物は確実に成長しているのだ。 俺はそんな冬木と友達でいられることが少しだけ嬉しくも思う。


 ――――――――裏切り者。


 ふと、いつかの言葉が耳に聞こえた。 時折聞こえるその言葉は、確実に俺の記憶から来るものだ。 離れることなく、和らぐことなく、そして忘れ去ることすら許されない言葉だ。


 冬木は成長していく。 そして俺はきっと、あの日から何一つ変わっていない。 変わらず、進めず、立ち止まったままなのだ。 けど、それで良いと思っている。 同じ過ちを繰り返している今、俺はそういう奴なのだと思うしかない。 最後には結局同じ結末になろうと、同じ末路になろうと。


「成瀬君?」


「ん、ああ。 なんか言ったか?」


「銭湯のお話をしていたのですが」


 冬木は少し不思議がっていたが、幸いにもその思考を聞かれはしなかったようだ。 俺はすぐさま思考を切り替える。 心の中に燻る黒い塊を押し潰すように、塗り潰すように、冬木の顔を見るのだった。

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