第29話『私と、』

「ふざけんな」


 話が終わり、最初に長峰さんがそう言った。 短く、そして的を射た感想だと思う。 今になって思えば、私は誰の気持ちも知ることなく、知ろうとすることなく、一人で進めて一人で終わらせていたのだから無理もない。


 私は人の気持ちが分からない。 そう言われたその言葉が、今になって身に沁みてくる。 水瀬さんが本当に望んでいたこと、それを選べばきっと今の形は違ったのかもしれない。 誰も不幸にならずに済んだのかもしれない。 だけれど、それは最早ただの妄想でしかない。 過ぎ去った過去をどうこうするなんて、できないのだ。 終わってしまったことは、決着がついてしまったことは、変えられない。


「私は、間違っていました」


「……そんなの、あの日からずっと私はそう思ってる」


 長峰さんは、最良の方法というのに気付いていたのかもしれない。 誰よりも水瀬友梨を知る彼女だからこそ、その方法というものが。


 長峰さんは言いながら、私の眼の前に来る。 鋭い眼光からはいつもの可愛らしい雰囲気など一切なく、私の体と顔を貫いた。 圧倒するような雰囲気に目を逸らしてしまいそうになるものの、決して逸らすことなく長峰さんの顔を見た。 それが気に食わなかったのか、長峰さんは再度私を睨み返し、私の胸倉を掴む。


「いつだって平気そうな顔して……私の言葉も無視しやがってッ!!」


「……水瀬さんの味方になってくれ、という言葉ですか」


 そのくらいしか、長峰さんが私に向けた言葉はなかった。 私の返しに、長峰さんは端正な顔を歪める。 話し方も接し方も、いつの間にか昔の長峰さんそのものだった。


「それ以外に何があるって!? 冬木さんはなんも分かってない、友梨がして欲しかったことも、私が頼んだことも……!! だから大っ嫌いなんだよッ!!」


 言い、長峰さんは力任せに私の体を押した。 抵抗する気があまりなく、私の体はまたしても川に投げ込まれる。


「けほ、けほっ……私も」


 痛かった。 誰かとぶつかり合うということは、こんなにも痛いことなのだと初めて知った。 今までずっと私が避けてきたものだ。 何もせずにただ受け入れてきた私は、人と正面からぶつかり合ったことなどない。 だから今日初めて経験したそれは、何もかもが新鮮だった。 胸の奥底に何かの塊が現れたかのような異物感、更には側頭部が熱くなり、体に力が入る。 気持ちは落ち着けという一点であったし、思考も冷静に物事を組み立てようと動いていた。 けれど、それはすぐに思考の渦から外されていく。


「私も……何も言わない長峰さんは嫌いですッ! 言われなきゃ分からないに決まってるじゃないですかッ!!」


 何もかも無駄な思考となってしまった。 私は感情の赴くままに長峰さんへと掴みかかり、そして長峰さんの体を投げ飛ばした。 思ったよりも長峰さんの体は軽く、私でも勢いに任せれば倒すことはできるほどで、大きな水しぶきを上げて長峰さんも川へと倒れる。


「……てめぇ!!」


 それから本当に馬鹿みたいな話で、私も長峰さんも子供の喧嘩のように取っ組み合いになり、数分、数十分の間それを続けることになった。




「……ばっかみたい」


 やがて、肩で息を切らしながら言ったのは長峰さんだった。 髪は乱れて服はボロボロで、その姿は私の鏡写しにもなっているのだろう。 頬がひりひりとしているし、髪もぼさぼさになっていて、腕も指も痛い。


「くだらない、ほんっとくだらない。 でも……」


 長峰さんは言う。 そして、私を見て小さく笑った。 それは嘲笑するようなものではなく、いつしか見ていた長峰さんの笑みだった。


「……でも、本当に馬鹿なのは私なんだろうな。 一番馬鹿なのは、私だ」


「私は……そうは思いません。 長峰さんが昔、私に言った言葉が今なら分かります。 水瀬さんの言葉を全て聞いているだけではなく、ちゃんと水瀬さんの気持ちを考えるべきでした」


 気持ちを……思考を聞いてしまう私だからこそ、それを知る努力をしていなかった。 聞いたものを全てだと決めつけ、聞いたものを真実だと思い込んで。


「そうかもね。 けど、私は友梨になろうとしてた。 馬鹿みたいじゃない? 友達なくして、その友達になろうとしてたなんて」


 長峰さんはそう、口にした。 水瀬さんになろうとしていたと、ハッキリと。 そこで合点が行く、成瀬君が「長峰は嘘を吐かない」と言っていたこと。 私も同じく長峰さんは考えと行動が一致している人物だと認識していたし、中学のときもそうだったのは間違いない。


 だが、あの事件があってからはどうだっただろうか。 まるで性格が変わった長峰さんだったけれど、それでも思考と行動は一致していた。 成瀬君の言葉からして、嘘も吐いていない。 ということは、外見だけでなく中身も綺麗に塗り替えてしまったのだ、長峰さんは。


「言われなきゃ分からない。 その通りだよ、冬木さん。 私が知らないところで何もかも終わって、何もかも消えて、何もかも全部全部全部……! 消えちゃったんだから」


「……」


 長峰さんは、泣いていた。 長峰さんの泣き顔を見るのは初めてで、それはとても儚く、いつもの強気な姿からは想像ができないほどに弱々しい。 だからなのか、それともその想いが私の奥底にはあったからなのかは分からない。 気付いたら、口にしていた。


「私は居ます。 私はまだ、長峰さんと友達になりたいと思っています」


「……は?」


 私の言葉があまりにも突拍子もなかったのか、長峰さんは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた。 そして、数秒後に意味を咀嚼したのか口を開く。


「無理に決まってるでしょ。 私は冬木さんのこと大っ嫌いだって」


「私もです。 でも、嫌いだからといって友達になれないわけではありません」


「いや意味分かんないって。 あり得ないし気持ち悪い、絶対に無理」


 そう言うと、長峰さんは川原へ座り込む。 それを見た私は黙って横に並んで座った。 長峰さんは一瞬嫌そうな顔をあからさまに私へ向けたが、それ以上何か言うということはなかった。


「……最初は、言い訳でもするのかと思ってた。 あの日のことさ、本当は全部知ってたんだ」


「全部、ですか」


「そ。 友梨って本当に周り見えなくなるから、ああどうせ友梨が何かしたんだなって。 それで冬木さんが身代わりになったんだなって」


 知っていた上で、私に敵意を向けていたということだろうか。


 ……いや、長峰さんはそんな単純な人ではない。 私が勝手に決めるのではなく、長峰さんの言葉を聞いて考えるべきだ。


「それをした冬木さんにムカついて、嫌いになった。 私が言ってた友梨の味方になってっての、全部を全部助けたらあいつのためになんないじゃんって。 それで、馬鹿を殴ろうって思って」


 長峰さんが言う「馬鹿」とは、この場合水瀬さんのことを言っているんだと思う。 けれど、水瀬さんはその日から来なくなった。 そしてそのまま、二度と出会うことはなくなった。


 水瀬さんが言っていた通りだ。 長峰さんは私よりも水瀬さんよりも、自分自身に腹が立って仕方ないのだ。 私は長い間長峰愛莉という人を見てきたようで、何一つ見ていなかったのだと実感した。 いいや、そもそも私は他人に対して見ようとすらしていなかったのだ。 目も向けていない人のことが分かるわけなんてない、ひたすら逃げ続けた私は、一人で当然だったんだ。


「どうしようもなくて。 気持ちを向ける相手なんていなくて………それで、冬木さんに向けるしかなかった。 私は分かってて冬木さんにキツく当たったってこと。 言わばストレス発散的なね」


「長峰さんは、怒って欲しかったんですか」


「っ……!」


 へらへらと、無理に笑顔で言っているような気がした。 そう、見えたのだ。 だから私はもしかしたらと思い、長峰さんに尋ねる。 これは思考を聞いたのではない、紛れもなく私自身の気持ちで、考えで、そして想いだ。


 彼女は誰かに止めて欲しかったのではと。 いつも彼女の行動を止めてくれる水瀬さんのような人が欲しかったのではと。 心に空いてしまったどうしようもない隙間をどうにかしたかったのではと。


 そう、感じた。


「私、は」


 長峰さんは私とは逆方向を向く。 そのまま肩を震わせ、何事かを呟いていた。 いや、呟いていたというのは少々誤魔化している。 聞こえる声で、そして後悔するように、嗚咽を漏らすように。


 ……いいや、やめておこう。 彼女は私には決して聞こえない声で、そして私も何も聞いていない。 彼女の数年間の想い、あの日から積み重ねられた様々なこと。 それらはとめどなく、誰かに止められることなく。 しかし私の耳には届いていない。


 そういうことに、しておこう。




「言っておくけど、冬木さんと友達になる気はないから」


「ええ、私もこれ以上何か言うつもりもありません。 ただ、長峰さんと話したかっただけです」


 それからまた数分。 ようやく落ち着いた長峰さんは目を真っ赤にし、私に言う。 長峰さんの格好はおよそクラスのアイドルなんて言えないものだったけれど、私も私で随分ひどい格好になっている。


「……なかったことにはできないし、したくない。 でも、また同じようなこともしたくない。 私としては、知り合う前の状態になれば良いと思ってる」


 長峰さんは言い、私から顔を背けて「都合いいこと言ってるのは分かってる」と、付け加えた。 実に長峰さんらしい、サッパリとした物言いだ。 少し面白く、長峰さんが顔を背けていることをいいことに私は笑ってしまう。


「お互い水に流す。 それで良いと思います。 周りはそう簡単に変わらないと思いますが、私としては長峰さんがそう言ってくれたのが何よりの収穫ですから」


「変わったよね、冬木さん」


 言い、長峰さんが振り返った。 そして私が笑っているところを見られてしまい、言い終わった長峰さんは短く舌打ちする。 バツが悪そうな、そんな表情だ。


「……きっと、成瀬君のおかげです」


「ま、そうだろうね。 あんま長いことうだうだやっててもあれだし、戻ろっか」


 言うと、長峰さんは立ち上がった。 切り替えの早さもまた、長峰さんらしい。


「……と、その前に」


 長峰さんは立ち止まり、振り返る。 私は丁度立ち上がったところで、まさかと思うがまた川に投げつけられたりしないだろうか、と少し不安になった。


 が、それは本当に杞憂だったようだ。 振り返った長峰さんは私に向け、頭を下げたから。


「話せて良かったよ。 ずっと燻ってたのもスッキリしたし、ありがとう。 それと、ごめん」


 短い短い言葉。 けれど、私にとっては何よりも嬉しく、そして決着がついたことを教えてくれる大切な言葉。


 言葉とは、不思議だ。 何気ないことで気にならないこともあれば、酷く傷付けてしまうこともある。 そして今のように、本当に短い言葉でもこれでもかというほどに想いが伝わってくることもある。 たった今長峰さんから伝えられた言葉がどれかだったなんて、最早わざわざ言う必要もない。


「私の方こそ、ありがとうございます。 それと、ごめんなさい」


 全てが丸く収まったなんてことは言えない。 結局水瀬さんを交えることなく、私と長峰さんとで終わってしまった話だ。 もしもこれがハッピーエンドを謳っている物語でもあったなら、また三人は仲良く友達になれただろう。


 しかし、私たちは所詮学生でしかない。 いびつで、朧気で、そして曖昧なものなのだ。 三人で仲良くなることもなければ、私と長峰さんが友達同士になるわけでもなく話は終わってしまう。


 けれど、それで良いと私は想う。 いくらいびつでも、曖昧でも、精一杯の形で収められたそのことに、今は酔いしれても良いのではと、そう想う。


 私はこれで良かったと確信しているし、長峰さんもまたそうだろう。 これから同じようなことがあっても乗り越えられる、その実感はあったのだから。


 今はただこれで良かったのだと、長峰さんに、協力してくれた友達に、そして背中を押してくれた成瀬君に。 今はただ、感謝しておこう。

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