第28話『終わりと、終わり』

 次の日。 いつものように朝が始まり、いつものように学校へ集まり、いつものように教室内は喧騒に包まれていた。 仲の良い同士は雑談をして、男子は少し騒がしく、女子も女子で盛り上がっているところもあった。 それも文化祭前ともなればいつもより賑やかなほどだ。


「……」


 そんな中、私は静かにそのときを待っていた。 昨日の約束を守るために静かに待つ。 今日は長峰さんも水瀬さんも問題なく出席している。 ひょっとしたらどちらかは休むのではないか、とも思っていたがそんなことはないようだ。 そして長峰さんと水瀬さんがいつものように話していないとなると、昨日から連絡は取っていないのだろう。


 ……いずれにせよ、私のすることには変わりはない。 長峰さんから言われたこと、水瀬さんの味方になるということにもこれは繋がってくる。 守る義務があるのかと問われれば確かにそうだが、水瀬さんは私に対して良くしてくれている、その恩返しと思えば問題は何もない。 水瀬さんもそれは望んでいることなのだ。


「うぃーっす、ホームルーム始めんぞー席座れー」


 チャイムとほぼ同時、担任の山岸先生が教室に現れた。山岸先生にしては少し早い登場だ。 いつもチャイムから少し遅れるというのが通説だけれど、今日に限っては時間が欲しいということもあり、嬉しい流れだ。


 そして、教室内は少しして静まり返る。 山岸先生はそれを見計らい、教卓に立ち、声を放とうとする。


「……ん、どうした冬木」


 しかし、それは私が手を上げたことによって停止した。 同時、教室内の視線も集まる。 長峰さんもこちらを向いており、ただ一人視線を向けていないのは水瀬さんだけだった。 私の行動を知る水瀬さんのみが、こちらを向かずに下を向いている。


 ……本当にこれで正しいのか、一瞬私は迷った。 この選択が本当に正解なのか、間違いないものなのか。 全てこれで解決するのか。


 しかしそれも一瞬で、私のするべきことに変わりはない。 水瀬さんがこの選択を選んだのだ、それに賛同し協力するというのが、私が水瀬さんの味方である、ということだ。


「みんなにお話があります。 謝らなければならないことです」


 意を決し、私は言う。


「珍しいな、冬木からなんて。 なんだ?」


 山岸先生は若干、面倒臭そうにしていた。 そんな些細な変化もなんとなく分かる。 思考は離れていることもあり聞こえないが、大方「早く済ませてくれ」や、そんなところだろう。 今まで彼から聞いた思考から私はそう推察する。


「私たちが管理していた経費のことです。 私物に使い、なくなりました」


「は……?」


 真っ先に声を放ったのは、隣に座る長峰さんだ。 その反応を見る限り、やはり長峰さんは全く知らないことだったのだろう。 そして、長峰さんから数秒を置いて教室内はざわつく。


「私物に使ったって……」


「どういうこと?」


「……おいおい」


 そんな声たちが聞こえてくる。 同時、視線は私や長峰さん、そして水瀬さんへと向かう。 私にとっては慣れたものだ。 いつもと違う視線は体を貫き心を貫く、チクチクしたような突き刺す痛み。


「お、おい冬木? 詳しく説明してくれ」


 さすがの山岸先生も慌てた様子で私に尋ねる。 それを受け、私は小さく深呼吸をして口を開く。


「私たちの中で、経費を管理していたのは水瀬さんです。 彼女が私物に使い、メイド服を用意する経費はなくなりました」


 教室内が静まりかえった。 視線はほぼ全てが、教室内で背中を小さくしている水瀬さんへ向かっていく。


 そう、ほぼ全て。 唯一、長峰さんだけが私を見ていた。 その目つきはまるで睨みつけるようで、私が犯人だと言わんばかりの表情だ。 そのときの私には彼女の視線の意味が分からない。


「……水瀬、本当なのか?」


「……」


 水瀬さんは黙り込んでいる。 彼女が望む流れにはした、あとは水瀬さんがどうするかという問題だ。


 しかし、私は見誤っていた。 水瀬さんにとって、こんな状況は初めてのことだろう。 周囲から向けられる視線、教師から問い質される立場。 責められる側。 罪を犯した側。


 私は本当に勘違いをしていた。 どこか、水瀬友梨という人物は頼れる存在であり、強い存在であり、みんなに慕われる存在なのだと決めつけていた。 だから今回のことでもしっかりと認め、頭を下げ、どうにかしてしまうのではないかと思っていた。


 しかしそれはとんだ見当違いだ。 水瀬友梨は私が思っている以上に未熟で、子供で、年相応の少女に過ぎない。 この場で生まれたプレッシャーに、耐えられるわけがない。 そんな当たり前のことに気付くのが、遅かった。


「……ません」


 震えた声で水瀬さんは言う。 それを受け、静かな教室は更に静けさを増した。 再度、山岸先生が尋ねる。 それに水瀬さんは答える。


「わたしは……知りません」


 ……ああ、そうだ。 私がこれは馬鹿で愚かだった。 勝手に信じ、勝手に仲間になった気分でいたのだ。 人は人を簡単に裏切るし、簡単に嘘をつく。 そんな当たり前のことをすっかりと、二人と話した時間によって忘れていた。 別に水瀬さんを責めるわけではない、そこまで考えが至らなかった自分の責任だ。 今の今まで、水瀬さんは私を裏切ろうとは思ってもいなかった、それは思考を聞いて知っている。 だから……この状況が、状態が、彼女を裏切らせてしまったのだ。 彼女に更に罪を重ねさせてしまったのだ。 そんな状況を作り出したのは、自分だ。


「……っ!」


 水瀬さんは私を見た。 今にも泣きそうな表情で、その表情には申し訳なさがこれでもかというほどに詰まっていた。 それだけで充分だった、それだけで充分伝わった。


 だから私は、皆の視線が再度私に集まる前に笑った。 水瀬さんにだけ向け、小さく。 もしかしたら笑うことに慣れていないせいで、水瀬さんは気付かなかったかもしれないけれど。


 仕方のないことだ。 重責に耐えられなくなるなんて誰にでもあることで、それが水瀬さんだったとしても例外ではなかったというだけ。 彼女がその選択を選んだのなら、私は私らしく受け入れるのが良い。 こういう立ち回り、役回りというのには慣れている。


「……嘘を吐きました。 私が勝手に使いました」


 ――――――――ただ。


 ただ、もう人を信じるのは止めよう。 人と仲良くなるのは止めよう。 人に心を許すのは止めよう。 人と触れ合うのは止めよう。 人に気持ちを向けるのは止めよう。


 そう強く、強く決意した。




 それからのことは、わざわざ説明するまでもないだろう。 水瀬さんはその日はなんとか過ごしていたが、生徒相談室へと連れて行かれる私に何かを言いたげに見つめていたのは覚えている。 そして、それが私が見た水瀬さんの最後の表情だった。


 水瀬さんはその後、学校へ来ることがなくなった。 周りは私にされたことからのショック、と受け止めていたようだったが、恐らく自分のしてしまったことにまた耐えきれなくなってしまったのだろう。 それから程なくして水瀬さんは転校することになり、誰にも挨拶をすることなくひっそりと姿を消した。


 長峰さんは、一度落ち着いた後に私に詰め寄ってきた。 何があったのか、何をしたのか、それらのことを問い詰められたが、私としては答えることも答える必要もないと思い、長峰さんを拒絶した。 それから長峰さんは私を敵視するようになり、私に対して容赦をすることもなくなった。 今でも続いている、私と長峰さんの関係というものだ。


 最後に私。 私はそれから、クラスで話しかけられることはなくなった。 どちらかと言えば関わられることもなくなって欲しかったが、どうやら物事はそう上手くはいかないらしい。 私に対しての所謂イジメというものは、それを境に始まったと思う。 客観的に見れば、水瀬さんはクラスでも人気者の部類で友達も多くいるような存在だ。 対する私は大人しく、黙っていることの方が多い女子で、何を考えているのか分からないという部類である。 そんな二人が揉めたとなれば、周りがどちらの味方をするか、どちらの言い分を信じるか、というのもまた明白だ。 最も、どちらの言い分という点に関しては私自身、私がしたことだと言ったわけだから結果は見えているが。


 イジメの内容は、よくあるものだ。 ゴミをかぶせられたり、私物を隠されたり、水をかけられたり、勢い良くぶつかられたり、お弁当を捨てられたり。 ジャージを破られたこともあれば、卑猥な単語を書かれたりもした。 それらは中学を卒業する頃には大分落ち着いていたものの、私に対して話しかけるような人はそれ以降、一切いなくなっていた。


 文化祭の経費に関しては、分からない。 私が知っているのは、文化祭自体は、クラスの出し物自体は問題なく行われたということだけだ。 学校側が負担したのか、それとも比島さんの耳に話が入り、比島さんが負担してくれたのかすら分からない。 もちろん大きな問題だったため、比島さんの耳にも話は入っていると思ったのだけれど、比島さんは私に対して何か言ってくるようなことは一切なかった。


 当然、そんな状態で文化祭に行ったところで、猛獣の檻の中に入っていくようなものだ。 私は文化祭を休み、聞いた話に寄ると長峰さんも体調不良で欠席したらしい。 水瀬さんは学校に来ておらず、私たち三人は誰一人として文化祭に参加することなく、その関係はバラバラと砕け散ったのだ。


 これが私の知る、私のしたことと昔にあったことだ。 あの日を境に私という物は作られ、決して周囲に関わろうとしなくなり、そして周囲を拒絶するようになった。 私が関われば私が関わった分だけ周りがどんどん不幸になっていく。 それを再認識させてくれた事件であり、幸いなことに私のしたこと、そして事件後も私が平然と登校してくることから、私に関わろうとする人は滅多にいなくなった。


 もしかすると、少し経って落ち着いた頃には真相に気付いた人もいるかもしれない。 よく考えれば私がわざわざ自白するなら、最初から水瀬さんに罪を擦り付けるような真似なんてしないと気付いた人も居ただろう。 だが、一度形作られた流れというものは中々変えることはできない。 長峰さんが言っていた川の流れ、それは最早簡単に止められるものではなくなっていた。


 みんなの敵が私、そういうことにして矛先を向ければある程度満足が行ってしまう。 そして私が苦しめば苦しむほどに周りは幸せになっていく。 きっと、イジメをしている最中に水瀬さんのことを想ってしていた人なんて……一人くらいなものだろう。


 私がそれから過ごした日々は、決して楽しいとは言えないものだった。 身体的な被害もあれば、精神的な被害のものもあり、保健室に出入りすることの方が増えてしまった。 それでも勉強をする環境はあったので成績に問題はなく、高校から見れば少し欠席の多い生徒、という認識だっただろう。


 一番の悩みの種は私物が度々なくなってしまうことで、そうなると校舎内をくまなく探さなければいけなくなり、その所為で日が暮れてから帰るということも多々あった。 見つかれば良かったものの、とても使えない状態で見つかることもあれば見つからないこともあった。 学校側も把握はしていたのか、私に対して貸し出しはしてくれていたので、比島さんに知れるということはなかったが。


 ともあれ、私の昔話はそんなところだ。 きっと、この話はそれぞれに非があり、そしてどうしようもなかった話だったのだ。 私も間違え、水瀬さんも間違え、そして長峰さんも間違えた。 元々この道しかなかったと思うし、私たち三人は三人で居ることが最初から不可能だった、という話だ。


 振り返る気はなかった話。 振り返るはずがなかった話。


 けれど振り返らなければならなかった話は、そろそろこの辺りで締めるとしよう。

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