第27話『虚実と、信用』
想定外というのは、想定の外にある物事のことだ。 そして予想外というのは、予想の外にある物事のことだ。 差異というのはさほどなく、しかし少しの違いがそこにはある。 たとえば予想外というのは、長峰さんの突拍子もない行動や発言にあると言える。 彼女は予想を外す形で、物事を進める傾向にある。
そして、想定外というのはこの場合、水瀬さんに当てはまる。 想定を遥かに超えた出来事、それを水瀬さんは引き起こす。 良い方向に転べばそれはこの上なく最良なもので、まさに天から降ってきたかのようなものだろう。 だが、それは逆もまた然り、いつだって幸と不幸は表裏一体であり切っても切れぬものなのだ。 今回の場合、それがどちらに転んだかなんてことは明白だ。
「どうしよう、どうしよう」
私は追求した。 何故、どうして、そんな馬鹿なことを。 幾度となくそれらの言葉をぶつけたと思う。 最初は彼女も否定したし、私も勘違いや思い違いだとして終わらせたかった。 しかし聞けば聞くほどに彼女はボロを出していき、私が彼女の思考を聞いて仮定した出来事は真実味を帯びていった。
数分、だろうか。 そんな押し問答を繰り返し、彼女の口から紡がれた言葉は「ごめんなさい」というものだった。 そして、それを以てして私の仮定は確定された。 できればその言葉は、聞きたくなかった。 真実を包み隠していた綺麗な紙は、ぼろぼろと破かれてその姿を露わにする。
水瀬友梨は、文化祭で使う経費をこのネックレスに使ってしまった、と。
不思議なことに、そのことに対して私は水瀬さんに嫌悪感を抱くことはなかった。 今まで触れてきた思考のせいか、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。 本当に人が悪意を持つとき、今回の水瀬さんの行動なんて生ぬるいと言わんばかりに醜いものだからだ。 人は容易に殺意というのを明確に、ハッキリと意識し持つことが多々あるのだ。 そんなものに触れてきた私は、もうおかしくなってしまっているのかもしれない。
話をし、問い質している間に水瀬さんは事の大きさというものに気付き始めていた。 まさかそんなことも分からないほどに周りが見えなくなるとは思っておらず、長峰さんの忠告というのが身に沁みてようやく分かってきた。 この場合、水瀬さんは私との仲をどうにかしようとしたためにこんな行動を取ってしまったのだろう。
「いくらだったんですか、これは」
私が言うと、水瀬さんは視線を泳がせながら、震えた声で言う。 その金額は、とても学生身分である私ではどうにかできる額ではない。 ならば長峰さんに頼るか、とも考えたけれど水瀬さんは絶対に拒否するだろう。 そんなことを言っている場合か、とも言えるけれど……本人が納得しなければ意味はきっとない。
解決方法は無数にある。 私が少し考えただけでそれほどあるのだ、難しい話ではない。 しかし、それが穏便に済ませられる解決方法に絞ると、それは極端に少なくなる。 大方の方法では水瀬さんが大きな大きな傷を負うことになる。 それは同じ資材準備係へと配属されている私や長峰さんも同様だ。 突き詰めていけば担任の山岸先生が私たちに管理を全て任せた、というのも問題になってくるだろう。 しかしそれはあくまでも学校側での処分の話で、白羽の矢が立つのは水瀬さんで間違いない。
経費は余った場合、使用した場合は領収書と共に担任へと渡すことになっている。 そしてこの場合一番の問題は……文化祭での衣装、つまりメイド服が一切用意できなくなることにある。 それは即ち文化祭の崩壊、ひいてはクラスの崩壊も意味している。 個人の過ちによって、それも個人的な行動によってそんなことが起きたのであれば、水瀬さんの立ち位置は火を見るよりも明らかだ。
人には必ず裏がある。 私は確信を持ってそう考えている。 裏のない人間など絶対にいない、私だってそうだし会った人の全てがそうだった。 それが見えてしまうか隠したままにできるか、その違いでしかないと思っている。 不快に感じる出来事があっても顔に出さない人がいるように、顔に出してしまう人もいる。 そんな違いだ。
だから私は別に水瀬さんのしたことに対し、特別どうこう思うわけでもなかった。 悪い言い方かもしれないが、対岸の火事を眺めているような感覚だった。 テレビでどこか遠くの地で起きた事件を見ているような、他人事のような感覚。 私とは無関係な物事を見ているような、酷く冷たい気持ちだったと思う。
……ああ、だから私は長峰さんに言われたのか。 一線を引いている、輪の外に居ると。 私自身仲良くしていたと認識していた水瀬さんの窮地にも、私はそんなことを思ってしまっているのだから。 そう思うと、長峰さんの観察眼がずば抜けていることが良く理解できた。 彼女はもしかしたら、私の秘密というものにも薄々何かしら感じているのかもしれない。
「……ごめん、ごめん空にゃん」
「謝っても手遅れです。 どうするか、ということを考えた方が得策かと」
私の言葉に、水瀬さんは顔を上げる。 その眼にはどこか怯えているような暗さがあった。 私を怖がっている……というのは考えすぎだろうか。
「方法はいくつかあります。 水瀬さんが負うものをなくす方法も」
「……ほんとに?」
水瀬さんは頭が悪い方ではない、成績としては上の方で、テストでも上位に入るほどだ。 しかし藁にもすがる勢いということは頭の回転と頭の良さは全くの別物、ということだろうか。
「まずはどの流れで行くかです。 大筋、というべきでしょうか」
私は言い、横のブランコで瞳を赤くしている水瀬さんへ手を向ける。 そしてそのまま、指を一本立てた。
「水瀬さんが傷付く方法。 これは単純に自分がしたことを素直に報告するというものです。 クラスのみんなからは当然非難され、一番最悪なパターンですと警察沙汰にもなります」
当然だ。 水瀬さんがしたことは窃盗や横領、その類になる。 もちろん学校側だって穏便に済ませようとはしてくるはずで、そこまでになってしまう可能性は極めて低い。 しかし、事の重大性というのを彼女には認識させた方が良いと思い、そんな物騒な言葉を口にした。
「それは……」
もちろん、水瀬さんは俯く。 逆の立場になれば分かりやすいが、悪いことをしたと認識してもその罪を受ける覚悟というのはできていないことが大半だ。 人は想像以上に感情に流されやすく、その場限りの考えで行動を起こしてしまう生き物なのだ。 私も逆の立場であったら、同じ反応をしたと思う。
「二つ目、有耶無耶にする方法。 適当な作り話をして、煙に巻くということです。 お金をなくしてしまった、というのがもっとも無難になりますかね」
穏便に、平和的に解決するならこれが一番良い。 誰も傷付くことはない、嘘をつく本人である水瀬さんは罪悪感に駆られるかもしれないが、時間がそれを癒してくれるだろう。 この上なく最良の案であると自負しているけれど、この場合は……。
「ダメ、それは……できない」
そう、できない。 水瀬さんはこの方法を選ぶわけにはいかない。 何故なら、資材準備係として私以外にももう一人そこには配属されているから。 今回の件を長峰さんに隠したまま嘘を貫くというのはとてつもなく難しいことだ。 長峰さんは妙に鋭い、そんなことは長い間一緒にいる水瀬さんにも当然分かっており、たった今この案を否定したということは長い付き合いの水瀬さんでも長峰さんを欺くというのは難しいことなのだ。
とは言っても、騙せそうな方法もいくつかある。 長峰さんは疑ってくるだろうけど、私と水瀬さんがボロを出さなければ欺けそうな方法だ。 しかし、水瀬さんはそれを良しとはしないだろう。 この反応を見る限り、長峰さんにだけは裏切るようなことはしたくない、ということ。
「では、三つ目。 水瀬さん以外の人を傷付ける方法です」
私は言って、三本目の指を立てる。 この方法は水瀬さんのような人からすれば、最悪な方法かもしれない。
「罪の擦りつけとでも言えますね。 この場合、適任は……私ですか」
「え、え……どういうこと? 空にゃん」
私の言葉の意味が分かっていない様子で、水瀬さんは尋ねてくる。 それに対し、私は淡々と説明をした。
「簡単な話ですよ。 お金を私が個人的に使ったことにして、水瀬さんが教師に報告する。 そうすれば罪をかぶるのは私になります」
「そんなの……」
「私は構いません、慣れています」
裏切りや嘘なんて、この世界には溢れかえっている。 どす黒いほどに人は醜悪な考えを持っていて、それを笑顔で誤魔化している。 人の悪意になんて最早慣れてしまった、だから私がこの場にいたのは不幸中の幸い、とも言えるだろう。 それに水瀬さんは悪意によって罪をなすりつけるわけではないため、気も楽だった。
「……ダメ、それだけはダメだよ、空にゃん」
しかし、水瀬さんは私の肩を掴み、真っ直ぐに潤んだ瞳で見つめてくる。 不思議な人だと思った、かなり思い切った行動をしてしまったというのに、人のせいにすることだけは良しとしていない。 なら最初からしなければよかったのに、というのが適切だろうけれど……人を想える人、というのはとても珍しかった。 少なくともそのときの私はそう思った。
「空にゃんごめん、折角色々考えてもらったのに……わたしさ、謝るよ」
「……みんなに、ですか?」
「うん。 正直に話して、謝る。 それがきっと、一番なんだと思う」
迷いはもう、ないようだった。 私としても、最初から水瀬さんにはこの選択をしてもらう予定だった。 一番最初にマシともいえる案を提示しておいて、その次に説明するのはとても選びづらい選択だ。 心理的にはその方がよっぽど楽に物事を選べる。 選びやすくなる。 けれど、水瀬さんの決断があまりにも早く……少し驚いた。
「空にゃん、一つ頼みがあるの。 わたしさ、こう見えて結構ビビりなんだよ。 だから……みんなの前で説明してくれないかな。 ありのまま伝えて、わたしが逃げないようにして欲しい」
「……分かりました。 いつ話しますか」
自分のことを分かっているのだろう。 私にこう約束してもらうことで、自ら逃げ道を絶った。 ただ、それは。
「明日の朝」
覚悟を決めたように言う水瀬さんを見て、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。 水瀬さんを信じよう、そう思って。
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