第26話『崩れる、音』

「やっほ」


 呼び出された公園を訪れると、彼女はブランコに座りこちらを見ていた。 そして私を見つけるなり、そんな風に少なくともいつも通りと思わせるような口振りで話しかけてくる。 それに対し、私は軽く頭を下げて反応を示した。


「座りなよ、隣空いてるし」


「では」


 水瀬さんが指差す先には、風によってゆらゆらと揺れるだけのブランコがあった。 私はそこで遠慮するなんて妙な真似はせず、言葉に甘えてそのブランコに腰掛ける。 さすがに夜ともなれば肌寒い、文化祭が近づいてきていることを肌で感じていた。


「……あの、さ」


 水瀬さんは珍しく、言いづらそうに何度か言葉を反復させていた。 いや、それは水瀬さんだから「珍しい」と感じるだけで、状況が状況だけに仕方ないことなのかもしれない。 少なくともここでスラスラと意見を口にできる人など、余程図太い性格をしていなければ無理な話だ。


「今日のこと、謝ろうと思って」


 やがて決意したのか、水瀬さんは端的にそう私に告げた。 とは言っても、水瀬さんに非があるわけではない。 客観的に見て、水瀬さんはただ状況というものに流されてしまった被害者なのだ。 例えるなら、川に小石を私が投げ込み、それを長峰さんは見つけて拾おうと飛び込んだ。 その水飛沫を水瀬さんは浴びたようなものだ。 彼女に責任を問うというのは、少し違う気がする。


「謝られることなんてありませんよ、水瀬さんは悪くないです」


「ううん、わたしが悪いんだ。 だって、女の子なのに女の子を好きになるなんて変じゃん。 ダメなことでしょ、それって。 わたしと空にゃんは友達なのに」


 そのときの彼女の顔は、今まで見たことがないほどに焦燥感に駆られていた。 ほつれた糸と糸を必死に繋ぎ合わせているような、そんな危うさがあったように見えた。 きっとそれは合図だったんだと思う。 水瀬さんが私に伝える気がない合図、けれど気付かなければいけなかった合図だ。


 ……最も、当時の私にそれに気付けたかというのは、言わずもがな。


 水瀬さんの思考は「どうにかしないと」というものに埋め尽くされていた。 だから私はどうにかしようと思った。 それだけのことだ。


「水瀬さん、私には水瀬さんの気持ちに答えることはできません。 ですが、ワガママを言うかもしれませんが……長峰さんとは仲良くしていただきたいんです。 私は元々一人が好きですし、私がいることで二人の関係が壊れてしまうのは、ダメだと思います」


 少し嘘も混じっていた。 できることなら、私もその二人と仲良くしたい。 けれど無理だ、私に力がある以上絶対に不可能なのだ。 これから先、今回のことではなく別のことで大きな問題になりかねない。 それほどに私の力は人との関係を構築することに向いていない。 どちらかと言えば人と人との関係を壊すことに向いているような、そんな力だ。 悪いことに使おうとすればとことん悪いことができる、そんな嫌な力なのだ。


 だから私は私が怖いし、どんなものより私が嫌いだ。


「……空にゃんは優しいね。 わたしが逆の立場だったら、同じこと言えないと思うよ。 気持ち悪いって、一蹴してるかも」


「そんなことは。 私のせいで妙なことになってしまったので」


「ううん、わたしのせいだよ。 だからごめん、空にゃん」


 苦笑いのような顔をして、水瀬さんは言う。 どこまでも良い人なんだなと、そう感じた。


「……愛莉はさ、思い立ったらすぐに行動って感じなんだよ。 けど優しい子だからさ、怒ってると思う」


「水瀬さんに? それとも私にですか?」


「ううん、自分に」


 私でも水瀬さんでもなく、他でもない自分自身に怒っているはずだと水瀬さんは言う。 それは中々出来ないことだ。 人は自分に対して甘くするようにできている、傲慢だとか横暴だとか、そういう話ではなく、その甘えは自分のバランスを保つための自己防衛とも言える。 妥協、甘え、赦し……それらのラインを無意識の内に作り、心のバランスを保つのだ。 だからその甘え自体は決して後ろ指さされるようなものではない。


「彼女は一人で大丈夫なのでしょうか」


「……どうにかすると思うよ。 いつもそうだったから」


 近くで見てきた水瀬さんだからこそ、その言葉には信憑性がある。 しかしこうも思ってしまう、もしも親友である水瀬さんを失いかけている今、一人で大丈夫なのか……と。 それは水瀬さんにも分からないことだ。 だって近くで見てきたということは、近くに居たということなのだから。 もしも彼女が傍にいなかったとき、どうなるかなんてことは本当に分からない。 不明瞭すぎる。


「そだ、空にゃんにこれ渡そうと思って」


「これは……」


 綺麗な紙に包まれた、細長い箱だった。 一目でそれが何かしらのプレゼントということが分かり、私は驚く。 人からプレゼントを貰った記憶なんて、片手で数えるほどしかない。 身内のものをカウントしないならば、これが初めてというなんとも寂しい女が私である。 ちなみにその数回というのも、記憶にある限りの話だと比島さんのものしかない。


「空にゃんに似合うと思って」


「開けても?」


 私が尋ねると、水瀬さんは少々恥ずかしそうに頷いた。 普段は頼れる存在の彼女がそんな反応をするのは意外だったし、私が男性であれば一目惚れしていてもおかしくはない仕草だ。 不幸なことに、私は見た目も体も心も一応は女だけれど。


「……高そうです。 いくらしたんですか?」


 箱を開け、出てきたのはネックレスだった。 とても綺麗なもので、恥ずかしながらこういう装飾品には詳しくない私でも高価なものというのは分かった。


「くっ……あはは! 空にゃんその感想はないって!」


「む……変でしたかね」


 私の第一声が余程面白かったのか、水瀬さんはお腹を抑え、大きな声で笑う。 そこまで笑わないでも。


「怒られちゃうよ、そんなこと最初に言ったら」


「そういうものですか。 でも、嬉しいです。 ありがとうございます」


「うん。 喜んでくれて何よりかな」


 そう言って、彼女は笑う。 やはり、私が男性だったら惚れているのは間違いない。 水瀬さんは優しいし、気が効くし、何より同性の私から見ても美人だ。 長峰さんは可愛らしいというのが適切だけれど、水瀬さんの場合は年上に感じるような雰囲気がある。 包容力、というものだろうか? そのような空気を彼女は纏っている。


「でも、本当に良かったんですか。 こんなに高そうなものを……」


「気にしない気にしない」


 彼女はそう言った。 私はそれを受け、彼女の言う通り気にしないことにした。 傍目から見れば、仲のいい友達にも見えたかもしれない。 一人が一人にプレゼントを渡し、それで二人して笑って幸せになる。 そんな風に見えたかもしれない。


 けれど、次の瞬間私は全ての認識が間違いだったことに気付かされる。


 私たちは中学生だ。 バイトなんて許されていないし、お小遣いだってそこまで多くはない。 そんな中、友達に高価なネックレスを突然に渡すようなことをするだろうか。 それも誕生日やその類ではない、なんでもない日にするだろうか。


 長峰さんは言っていた。 水瀬さんは時折周りが全く見えなくなる、と。 目的のために手段を選ばないときがあり、それが危ういと。


 奇しくも私は、それを知る。 他でもない、私の力によって。


『みんなには、なんとか誤魔化せば平気だよね』


「……誤魔化す?」


 私は言い、彼女の顔を見る。 私の視線は真っ直ぐに彼女の顔を捉えた。

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