第25話『道と、友達』

「全く本当に……」


 馬鹿だ、彼は馬鹿なのだ。 そんなことを思いつつ、私はキャンプ場から離れていく。 あれから怒り心頭となった長峰さんは成瀬君に罵声を浴びせ、その場から去っていった。 軽くとは言え山登りをする今日、替えの着替えは持ってくることになっており、それに着替えるために一旦その場から離れたのだろう。 それを確認した成瀬君はすぐさま私に合図を出したという流れだ。 そしてその合図を受け、私は咄嗟に成瀬君に文句を言いそうになり、飲み込んだ。 本音を言えば成瀬君に対して数分、数十分は説教をしたい気持ちだった。


 だが、協力を仰いだというのに文句を言うのは筋違いだ。 それは分かっているから寸でのところで飲み込んだわけだけれど、心の中で思っていることには変わらない。 もっとやり方はあったろうに、あれではただ成瀬君が周りにもっと避けられてしまうだけではないか。 折角少しずつではあるが変わり始めたというのに、成瀬君はそれが嫌なのだろうか。 私とは違い、一人で学校生活を過ごしたいのだろうか。


 もしも私の力が全てを聞ける力だったら、もっと成瀬君のことが分かっていたかもしれないのに。 彼は誰かのためなら身を削る、それは分かる。 しかし、私が分かっているのはそれだけなのかもしれない。 心の奥底で何を想い何を感じているのか、私はその断片しか知り得ない。


「とにかく今は」


 考えるべきことは沢山あるけれど、行動すべきことは一つしかない。 折角、成瀬君が己の身を削って作ってくれたチャンスだ。 ……あとで彼には説教をするとして、絶対に絶対叱るとして。


 今は、長峰さんと話すべきだ。 今までのこと、あの日に起きたこととあの日に感じたこと、そして……もしも叶うのなら、これからのことも。




「……ああ、そういうことね」


 長峰さんはキャンプ場から少し離れた場所、森に入ったところの川沿いにいた。 穏やかな川はゆっくりと流れており、その片隅で長峰さんは着替えをしていた。 私の姿が見えると、すぐさま得心がいったように長峰さんは言う。 彼女の中で先ほど成瀬君にされたことに合点がいったのだろう。 前に成瀬君に聞いた話に寄れば、長峰さんは成瀬君に水をかけたとも聞いているし、最初はその仕返しと捉えていたのかもしれない。


 ……いや、もしかして成瀬君はその仕返しの意味も込めて今日のことをしたのだろうか? 案外恨み深い性格なのかもしれない。


「長峰さん、お話があります」


「うん、良いよ」


 私が言うと、長峰さんは間髪入れずに口を開いた。 そのこと自体が意外だ、てっきりいつも通りに拒絶されると思っていたし、彼女がこうも簡単に私の言葉を聞き入れるなんて、何かがあるとしか思えない。 少なくともあの日から今まで、長峰さんが私の話を無条件で聞くようなことはなかった。 例えば一発殴るなり、平手をするなり、他の嫌がらせをするなり、そういったものが付随していないのはおかしい。


「その代わりさ、こっち来てよ。 ここ」


 長峰さんはニッコリと笑い、私に向けて言う。 悪意のある笑顔、何度も見てきたからさすがに分かる。 長峰さんは私に何かをするつもりだ。 やはりという考えが真っ先に浮かんだし、それに対しての覚悟はできている。


「分かりました」


 彼女がそう言うのなら私は素直に聞き入れよう。 逆に言えば、その言葉に従わなければ話は聞かない、ということだ。 私が変に自己保身に走って断れば、成瀬君の行動だって無駄に終わってしまう。 成瀬君は身を削っているというのに、私だけ安全地帯で指を咥えているなんて真似はさすがに筋違いも甚だしい。 そんなことを考え、私は長峰さんが指差した場所へと移動した。 長峰さんのすぐ真横へと。


 私の言葉と行動が意外だったのか、長峰さんは一瞬眉を顰める。 しかしそれも一瞬のことで、私が素直に従ったことが嬉しかったのか、笑顔で私の肩に手を乗せた。


「今日暑いよねぇ、水浴びしたら気持ちよさそうじゃない? 私もしたわけだし」


「いえ、そうは思いませ――――――――」


 言葉を口にする前に、長峰さんはそのまま勢い良く私の体を押し出した。 何をしようとしているのかは大方分かっていた、けれど考えてから行動に移すまでがあまりにも早く、不意を突かれてしまった。 私の体は勢い良く、川の中へと放られる。 あまり深くはない川だったけれど、川底にある小石が少し痛い。


 そう、痛かった。 久し振りに、そう思えた。 似たようなことなんて何回もあったし、酷いことなんて沢山あった。 けれど、今までのそれらとは違って今日のことは痛かった。 本当に、痛かったんだ。


「あっはっは! やっぱり間抜けだよね冬木さんって」


「……満足ですか。 では、話をさせてもらいます」


 私は起き上がり、ずぶ濡れになった髪を絞り、長峰さんへと向き直る。 服は水浸しになってしまったけれど、それで話をしてくれるなら是非もない。 これで私は条件を満たした、そうなれば後は長峰さんが条件を満たすだけだ。 一応、長峰さんと付き合いはあったから彼女のことはある程度分かっている。 彼女はこういった場合、決して約束を反故にするような人ではない。


「ほんっと、私冬木さんのこと嫌いだ」


「分かってます」


 私の言葉に、長峰さんは目を細める。 いつもだったらきっと、私は引いていた。 しかし今日に限ってそれは許されないことだし、してはいけないことなんだと思う。 みんなが私に協力してくれた、全く関係ないことだというのに、成瀬君も秋月さんも手を貸してくれた。 成瀬君はこの場を作ってくれて、秋月さんは私を送り出すときに「こっちは任せておけ」と、頼りになる言葉をかけてくれた。 ならばもう、私に逃げる選択肢なんて、今までしてきたように棚の上に置いておくなんていう選択肢は存在しない。


 一本道だ。 二人が作ってくれた、一本の道だ。 私は周りに甘えながらも、それを示してくれた二人に感謝し、進まなければならない。 後はただ私が勇気を出してこの道を一歩踏み出すだけだ。 もう後戻りなんてできはしない。 もう後戻りなんて……したくない。


「水瀬さんのことで、話をしたいんです。 あの日のことをまだ、私は長峰さんとしっかり話していないから」


「ッ……」


 その話を切り出すと、長峰さんは目を見開き、そして顔を伏せる。 水瀬友梨の話というのは長峰さんにとっても忘れられないものであり、忘れてはならないものだ。


 ……いや、きっと長峰さんこそ覚えていたのだろう。 あの日のことを忘れずに覚えていて、だからこそ私を敵視し続けていたんだ。 忘れていたのは私の方で、見て見ぬ振りをしてきたのも私の方だ。 人の思考を聞いて、ただその聞こえた思考だけが全てだと思って私は行動して。


 傲慢なのは、私の方に違いない。


「今更その話する意味ある? 冬木さん、言っておくけど何を話しても私は許さないから」


「……分かってます。 でも、とりあえずは聞いてくれませんか。 私から見たあの日のことを話しますので」


「途中で殴るかもしれないけど、それでいいなら」


「構いません、その覚悟はできています」


 こうして、私は長峰さんと向かい合い、あの日のことをゆっくりと話し始めた。






「……どうしよう」


 長峰さんは私に水瀬さんの味方になってくれと頼んできた。 もちろんそのつもりだ、けれどそれはあくまでもクラスメイトとして、というものに過ぎない。 やはりというか、水瀬さんが私に向けてくれた好意を受け取ることはできないし、その資格も私にあるとは思えなかった。


 私は人が苦手だ。 口から放たれる言葉と、実際にしている思考というものの相違が嫌いだ。 どれだけ笑顔で話していても、人が考えているものというのは全く異なる場合だってある。 普通が良かった、普通に過ごして普通に生きていきたかった、それだけが私の望みだ。 けれど私には聞こえてしまう、何もかもが聞こえてしまう。 聞きたくない言葉がたくさん、聞こえてしまう。


 今日のことだってそうだ。 私が聞きさえしなければ、気付きさえしなければいつも通りの一日だったに違いない。 長峰さんと水瀬さんが揉めることだって、なかったんだ。


 私は言いながらベッドの傍らにあったぬいぐるみを抱き寄せた。 柔らかく、少し安心できる。 幼い趣味だとは思うけれど、ぬいぐるみはいくら近くに居ても思考が聞こえることはない、だから安心できた。 近くに居ても自分の考えだけを持てるというのはとても、とても楽なんだ。


 しかし、逆に人から得られる入り混じった思考は私に様々な情報を与えてくれる。 良くも悪くも、だけれど。


 ベッドの上でそのまま体をごろごろと動かす。 考えても答えが出てこない、何も思い浮かばない。 このような場合に陥ったとき、果たして他の人はどのように行動して解決しているのだろうか。 それとも解決しないまま、そのままにしておくのだろうか。


 私一人で考えたところで、埒なんて明くわけがなかった。 私はずっと一人なのだ、友達という友達もできたことがない。 小学校では素直に聞こえた思考そのままに話していたら「嘘つき」と呼ばれた。 実の母親も父親も私のことを気味が悪いと言い捨てた。 一度私は机の上に置いてあるパソコンに目を向ける。 それというのも、比島さんが私と暮らすことになってすぐに用意してくれたものだ。 彼は「最近の若い奴には必要だろ」と無愛想に言ってくれたもので、彼なりに私を気遣っているのかもしれない。


 しかし、今回の問題はそれでどうこうできるとは思えなかった。 長峰さんと水瀬さん、そして私。 もっとも良い解決方法は三人の関係が元に戻るということだけれど、それは不可能だ。 水瀬さんの想いが知れてしまった今、私はともかく長峰さんと水瀬さんが今まで通りになれるとは思えない。


 ならば、他の着地方法を見つけなければいけない。 長峰さんと水瀬さんが揉めてしまったのは、言ってしまえば私が原因だ。 つまり私という存在がなければ、二人の仲は元に戻るものだと思う。 長峰さんも言っていたが、私たち三人はきっと三人でいることができない、二人と一人、そういう組み合わせでしか成り立たないのだ。 その場合、どういう別れ方をするのがもっとも適切かつ正確か。


 答えはすぐに出た。 というよりも考える必要すらなかった。 私が二人の元を離れれば良いのだ、二人はそれで元に戻れるし、私も私で二人とそこまで仲良くなりたいとは思っていない。 両者が損をせずにメリットしかない選択だ。


「……よし」


 私は言うと、起き上がる。 ぬいぐるみを顔の前へと動かし、その顔を見る。 無表情で少々憎たらしくも見える顔が可愛く、私は思わず笑った。


 別に私は何もいらない。 人との関係など百害あって一利なし、今回のことがよく教えてくれたのだ。 元々話すということも得意な部類ではないし、それに加えて厄介な力も持ってしまっている。 きっと私には誰かと仲良くする資格が最初から存在しなかったのだ。 ただ、それだけの話。


 そんなとき、唐突に携帯の画面が明るくなった。 表示されていたのは、水瀬さんの名前だった。

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