第24話『料理と、事件』

「……」


「どうかしましたか?」


 それから、私は二人に手伝って欲しいことを伝え、今はキャンプ場へと辿り着いている。 教師から食材が配られ、設備などの説明もあり、今はカレー作りの下準備をしているところだ。 私と秋月さんは並んで食材を切っている。 というよりも、私たち以外のメンバーは別のグループと合流しそこでカレー作りを手伝っているほどだ。 最早班分けなど意味を成しておらず、これが今のクラスの形というわけで……こうしたクラス行事で、このクラスが纏まるのは不可能な気すらしてくる。 ともあれそんなキャンプ場、設備は問題なく、テーブルや椅子も完備されている。 パッと見れば和やかなものでしかなかったが、その中身は果たしてどうだろうか。


 そんな取り残された私たち、成瀬君は長峰さんを一人にさせるために動いてもらっており、それを補うために私と秋月さんは二人でカレー作りに勤しんでいる。 食材を切ろうとしている段階で、秋月さんは私の隣で包丁を右手にしばし固まっていた。 それが気になり、私が尋ねたという流れだ。


「いや、包丁を使うのは初めてだったからな」


「え」


 秋月さんは言葉と共に、包丁を文字通り振り下ろす。 ゴン、という音と共にじゃがいもが雑に両断された。 もちろん手で食材を抑えることもせず、勢いも中々のものだ。 見ていて恐怖を覚える。


「あの、秋月さん」


「木刀を振るう要領だと思ったのだが、変か?」


 変というかなんというか、そもそも包丁を木刀と同じ要領で振り下ろさないで欲しい。 それより包丁を握ったのが今日が初めてということがにわかに信じ難い。 今まで家庭科などの授業で調理実習もあったはずだけれど……。 私はひとまず、横で包丁を振り下ろす秋月さんの動作を一旦止めた。 もしも手違いでも起きたら新聞の一面に乗りかねない。


「お料理の経験は全くないんですか?」


 私は聞かずにはいられず、秋月さんにそう尋ねる。 すると、秋月さんはすぐさま返事をした。


「冷凍食品を温めるのは含まれるか?」


「含まれません」


「それならないな」


 電子レンジだけを使うものを料理に含もうとするのは止めて欲しい。 そしてどうやら、秋月さんは料理という料理を今まで全くしたことがない。 性格からして、調理実習は全てサボるか何かしていたのだろうか。


「家では母親が料理をするし、授業では他の人がやってくれたからな。 何故か皆敬語で、それが面白いんだよ」


 ……それは単に怖がっているだけではないだろうか。 秋月さんは良くも悪くも近寄り難い雰囲気がある。 同時に怒らせると最も怖い人物としても有名で、それが要因で全て周りの生徒がやってくれていたのだろうか。 それとも秋月さんに包丁を持たせたらいけないという本能が働いたのか。 いずれにせよ、私がもしも秋月さんと親交がなければ代わりに全てやっていてるだろう。


 ともあれ、秋月さんに包丁を持たせるとマズイというのは今、身を以て私は知った。 たった今無残にも両断されたじゃがいもが人だったと思うと、言葉が上手く出てこない。 他でもない、秋月さんは一度成瀬君を思いっきり叩いているし……本人はそれを反省していたけれど、もしもあれが本物の刀だったらと思うと笑えない。


「一から教えるので、良いですか? 嫌でしたら他のことを頼みますが……」


 私が言うと、秋月さんは少し考える。 面倒臭いという思いと違う何かが混ざっているものと思われるが、その思考は聞こえなかったため分からない。


「いや、折角の好意を無碍にはできまい。 ご教授願うよ」


「私も得意というわけでもないので、稚拙な部分があったらごめんなさい」


 そして私は本当に一から。 包丁の握り方から食材の抑え方、切り方から使い方、それらの種類を一つ一つ秋月さんに教えていくのだった。




「だいぶ形になりましたね」


「冬木は凄いな、私の母親よりもうまいかもしれないよ」


「そんな大袈裟な」


 時間はかかってしまったけれど、秋月さんは飲み込みが早くある程度形にすることは苦ではなかった。 頭脳明晰容姿端麗、才色兼備というのは彼女のためにあるような言葉だ。 そして素直に感謝されるというのは嬉しかった。 私にはあまりない経験だ。


「いや、本当だよ。 私の母親は料理が雑だからな、父親も言っている」


「あはは……」


 失礼ながら、なんとなく想像できてしまった。 その辺りは遺伝子なのか、秋月家に少し興味が沸いてくる。 秋月さんの要領はとても良いから、練習すればすぐに上達しそうではあるけれど。


「冬木、今は楽しいか?」


 と、そんなことを考えていたそのときだった。 唐突に、前触れなく秋月さんがそう尋ねてくる。 カレーは丁度煮込みを始めた段階で、二人共に手は空いていた。 周りの班は雑談などをしており、その声の中で秋月さんは私のことを真っ直ぐに見ている。 私は気まずさから一度視線を逸らし、しかしそんな視線の行くあてなんてどこにもなく、再び秋月さんへと視線を戻す。


「今、ですか。 ええ、そうですね」


 随分適当な返事になってしまったな、と言ってから思った。 うまく言葉が見当たらず、そんな返しになってしまった。


「そうだな、前より笑うことが増えたと思う」


 しかし、秋月さんは対して気にせずそう言う。 それは自覚のある話だ、だって前よりも今は楽しくて……私なりに学校というものが楽しく感じられているから。 他でもない、二人のおかげだと思う。


「冬木、成瀬のことだが」


 またしても唐突に、秋月さんはそう口を開いた。 そこの部分に繋がりは確かにある、私が楽しく感じられているのは、成瀬君のことが一番大きいのだ。 彼が私に歩み寄ってきてくれたから、私は今の私だ。 ……少ししつこかったけれど。


「……また今回も力を借りる形になって、申し訳ないと思っています。 恩を返すつもりではありますが、また増えてしまって」


「そうか。 しかし冬木、その考え方は……」


 秋月さんが何かを言いかけたそのときだった。 私たちの耳にも届くほどの怒鳴り声が聞こえてくる。 金切り声にも近いもので、その声は私も秋月さんも知っているものだ。


「長峰さん? 何かあったんですかね」


「……良い予感はしないな」


 私と秋月さんは顔を見合わせ、その声の方へと顔を向ける。 長峰さんはどうやら怒っている様子で、広場の片隅で誰かを怒鳴り散らしているようだ。


 遠巻きに私と秋月さんはその人物を確認する。 まさか、という思いがあってのもので、簡潔明瞭に言ってしまえばその怒鳴られている人物が成瀬君ではないか、という考えがあったからだ。 というのも、長峰さんを孤立させるために成瀬君には動いてもらっていて、その最中に何かあって……というのが一番考えられるわけで。


 そして、そんな嫌な予感というものは的中する。 長峰さんの前に立っていたのは成瀬君、困ったように笑っているものの、その相手である長峰さんは今にも殴りかねないほどの表情をしていた。 中学の一件から、こういう場であそこまで長峰さんが周囲に分かる形で自分を出すというのは珍しい。


 ……一体何をしたのだろうか。


「少し様子を見てくる。 冬木が見つかると逆に面倒事になりそうだから、待っていてくれ」


「分かりました」


 秋月さんは言い、長峰さんと成瀬君の下へと近づいていった。 それから数分、戻ってきた秋月さんから私が聞いたのは、どうやら成瀬君が長峰さんに水をかけた、というものらしい。


 ……なんというか、成瀬君は本当に行動が唐突というべきか突発的というべきか、たまに少し不安になってしまうのは私だけだろうか。

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