第22話『校外学習と、始まり』

「それじゃ、皆ちゃんと座席に座ってねー。 30分くらいで着く予定だから、寝たりしないでね」


 成瀬君との話し合いも終わり、その時間がやって来た。 学校へ着くと既にバスは何台も止まっており、そのうちの一つに乗り込む。 今日の行動はクラスで決められた班ごとで、私の班には私と成瀬君、そして秋月さんを含めて7人。 これまで班での話し合いは一度もなく、他の班よりもくっきりと分かれ目ができている感じだ。


「……」


 そんな私の横に座ったのは秋月さんだ。 ジーンズにパーカーというラフな格好で、秋月さんの私服はいつもこのようなものが多い。 動きやすさを意識してというか、彼女にとっては面倒臭くない格好、というのが適切だろう。


「成瀬から聞いたよ、今日のこと」


「……朝、少し成瀬君とは話しました。 水瀬さんのことを」


 私が言うと、秋月さんは「そうか」と短く返事をする。 あの日のことは秋月さんもきっと覚えているに違いない。 私も忘れるわけがなく、私が人の思考の恐ろしさと、そして人と人の関係は意図も容易く途切れてしまうと思い知らされた日のこと。 あの場には秋月さんも居て、流れというのは彼女も知るところだ。


「謝るつもりはない。 謝ったところで、冬木にとってはどうでも良いとしか思わないだろうしな」


「秋月さんが謝ることではありません。 原因は、秋月さんには関係のないことですから」


 私と、長峰さんと、そして水瀬さん。 それぞれに原因があり、そしてそれぞれの選択が間違っていた。 最初から間違え、最後まで間違え続けてしまった話。 そのことは三人ともに分かっていて、更に言えば三人ともにどうもしようとしなかった話だ。 こう言ってしまうのはあれだけれど、なるようになったというだけの話。


「でも、その後のことは関係ある。 今更、だけどな」


「……」


 その後。


 長峰さんは人気があった、そして私は静かで目立たない人物という認識があった。 長峰さんは私を嫌い、それを行動に移した。 それに伴い、周囲は私を矛先を向けた。 たったそれだけの話だ。 皆が流れに流され、その流れを止めようとする人も変えようとする人もいなかっただけに過ぎない。 私がほぼ全ての人に嫌われるのにそこまでの時間はかからなかったし、それに伴い実害が増えてきたのものそう時間はかからなかった。 別にそれに対して不満はないし、変えようとも思わなかった。 私に関われば関わった人は酷い目に遭うことは明白で、それならば関わろうとしてくる人を拒絶してしまった方が余程楽だった。


 いつからだろう、いつから私は誰かに悪口を言われても平気になってしまったのか。


 いつからだろう、いつから私は悪意に対して慣れてしまったのか。


 いつからだろう、いつから私は何に対しても平静でいられるようになったのか。


 それは、きっと間違っている。 平気でいて良いわけがない、慣れてしまって良いわけがない、平静でいて良いわけがない。 私はそれを成瀬君と関わり、秋月さんと関わり、知った。


「私に手伝えることがあればなんでも言ってくれ。 私はこんな性格だから、言われないと分からないことも多くてな」


「秋月さん……」


 私はきっと、恵まれた。 友達というものに恵まれた。 それは今に限っての話ではない、昔からずっと変わっていないのだ。


 ただ単に考え方がそれを否定していたに違いない。 それを変えてくれたのが成瀬君で、やはり私にとって彼は少々特別な存在なんだ。


「ありがとうございます。 秋月さんにそう言って頂けると、とても嬉しいです」


「……別に、そんな改まって言うことでも」


「いえ、私秋月さんのことが好きです」


「……げほげほっ! な、なんだ急に!? 少し寝る!」


 ……何かおかしかっただろうか? いや、これでもしっかりと勉強はしている。 秋月さんはしっかりしているが、その内面はずぼらな部分が多い。 そういう人は他者からの感情にも疎いと本で見た。 だから好意はこういう風に直接的な言葉で伝えた方が良い、と書いてあったんだけれど。


 ともあれ秋月さんに私の好意は伝わったとして……今日の学校としての主題はもちろん校外学習ではあるけれど、私にとっては少し違うところにある。


 長年、私が棚の上において放置していた問題だ。 長峰さんとの関係、それは形はどうあれどうにかしなければならないまでになっている。 見て見ぬ振りをしてきたこと、目を逸らし続けてきたこと、それらは着実に積み重なってしまっている。


 ……成瀬君の力は人を見ることで意味がある。 けれど、私の力は人を見ずとも働いてしまう。 私は誰も見てこなかった、自分も他人も何一つ見ておらず、見てきたのは何もない空間だけだ。 だから私の中は空っぽだ、それこそ名前通りの人間だ。


 外の景色を見る。 今では見慣れてしまった道ではあったけれど、バスから乗って見るそれらはいつもと違ったように見えた。 車内は話し声で溢れ返っていて、それらを聞きながら私はボーッと外を見る。


 そう言えば、成瀬君はどうしているのだろうか。 ふと気になり、通路を挟んで向こう側に座っている成瀬君に視線を向けた。


「……これ食べる?」


「え、いや大丈夫……です」


 成瀬君に話しかけていたのは水原さんだ。 彼女のことは良く知らない、というよりかはいつも寡黙で考えていることもあまり聞いたことがない。 そんな彼女は成瀬君に自ら食べているお菓子を差し出し、そんなことを尋ねていた。


「……なぜ敬語なんでしょう」


 私は独り言を呟く。 私の隣に座る秋月さんは既に耳にイヤホンを付け、その目は閉じて教師の指示には従わずに寝る様子を見せている。 だから私の独り言も聞こえることはないだろう。


「……そう」


 興味がなさそうに水原さんは言い、窓の外へと視線を向けていた。 私同様に窓側へ座る彼女の姿を見つつ、成瀬君は困ったように後頭部を掻く。 接し方が分からないというのは私と一緒で、しかもそれがあまり交友関係がありそうにない水原さん相手となれば難易度は高いだろう。 そんな彼女が自ら話しかけてきてくれたのだから、もう少し気の利いた返事をすれば良いのに、と勝手ながらに思う。


 例えばそう、節約中なので……とか。 あのお菓子が一体いくらするものなのかは分からないけれど、200円で10個入っているとしたら1個20円。 成瀬君はひとつ食べる度に水原さんへ20円の支払い義務が生じる。 1個単位で考えれば大したものではない気もするけれど、積み重なれば結構な金額になってしまう。 この辺りではバイトなんて数えるほどしかないし、殆どの人はお小遣いなどで交際費を出しているという具合だ。 私の場合は比島さんの手伝いなどが主で、成瀬君の場合は家事をしていると聞いている。 そのため、20円の価値は積み重なれば大きなものとなる。 断る理由としては妥当だ。


「……えーっと、悪いな俺が隣で……はは」


 面倒臭いタイプの人だ。 そんなことを思いつつ、通路を挟んで座る成瀬君の会話に耳を傾ける。 横に流れる景色を眺めつつ。


「……別に。 興味ないし」


「はは……」


 成瀬君と水原さんの空間だけ別空間のようだ。 なんというかこう、他は打ち解けた話し声というのが聞こえるのに対し、二人の空間は見ていて怖さを感じる空間だ。 成瀬君はかつて「お前よりコミュ力はある」なんて豪語していたけれど、大概だ。 私も決して優れているとは言えない、でも成瀬君も人のことを言えるほどじゃない。


「えー、ほんとにー? でも私そんな料理得意じゃないよー」


「またまた、なんでも得意そうじゃん愛莉は」


 どこからか聞こえてくる声。 長峰さんとその友達だろう。


 彼女は変わった。 昔……中学時代の彼女は良くも悪くも尖っていた人だった。 高圧的で、どこか上から目線で、それでも悪い気はしないという不思議な人だった。 誰とでもすぐに打ち解けられるというのはその当時から持ち合わせていた彼女だったが、今のそれと昔のそれとでは全然異なるものになっている。


 今の長峰さんは、昔あった棘というものがなくなっている。 まるで別人かのように笑い、クラス行事にも積極的で表立って文句を言うことは一切ない。 そして成瀬君と出会って確信したけれど、それらで彼女は一切の嘘を使っていないんだ。 だから今の長峰愛莉という人も、長峰愛莉であることは間違いない。


 ただ一つ、気になること。 私が向き合おうとしなければきっと気づかず、気付こうとさえしなかったこと。 今となってはそれが見える、彼女が吐いているわけがない嘘、存在しないはずの嘘、成瀬君の眼でも見えない嘘ではない嘘が私には見えた。 恐らくその嘘は、長峰さんが長峰さん自身すら騙している嘘だ。 だから嘘ではなくなる、だから嘘として成り立たない、本人ですら騙されているのだから、嘘でなくなってしまう。


 今の長峰さんの姿は、どうしても重なってしまうのだ。 クラス行事に積極的で、肯定的で、明るくクラスの誰とでも打ち解けていた彼女――――――――水瀬友梨と。

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