第21話『秘密と、心』
「……っ」
目が覚めた。 昔のことを夢に見るなんて、私も私で案外引き摺ってしまっているのかもしれない。 しかし、そのおかげで思い出せたことも少しある。 今の私があって、昔の私もまたある。 今だからこそ言えることかもしれないけれど、私は長峰さんや水瀬さんと……友達のような関係だった。 友達というものが具体的にどんなものなのか、未だに分からないことは数多いけれど、それでも今ならそう思える。 きっと、二人もそう思っていたに違いない。
「ん……」
ベッドの横に置かれた携帯の光が目に入った。 アラームは設定していないので、誰かからの連絡だろう。 私のところに連絡するとすれば、成瀬君か朱里さん、それか秋月さんくらいか。
「……カメラでも付いてるのかな」
差出人は成瀬君で、その内容は「起きたか? 少し話したいんだけど」というものだった。 それを見た私は独り言を呟き、部屋の中を一応見渡してみた。 まさか成瀬君がそんなことをするとは思えないけれど、念のため。 もちろんそれは見当たらず、私は携帯に視線を落とす。 校外学習の朝早く、成瀬君から届いていたメッセージから感じたのは「珍しく早起きだな」という随分失礼な思いだった。
校外学習は一度学校に集合し、そこからバスに乗って山へと向かう。 集合時間はいつもの登校時間よりも遅い午前9時、今は6時だから結構な余裕がある。 だから成瀬君もこうして連絡してきたのだろう。
どうせなら、会って話した方が良いだろう。 内容も大体予想がつく、私がこの前水族館で言ったことについて……としか考えられない。 それについて私に拒否権というものはないだろう、何しろ私から振った話なのだから当たり前だ。
「おはようございます」
「悪いななんか、家まで来てもらっちゃって」
朝、準備をして成瀬君の家へと着いたのは午前7時半頃だった。 玄関扉を開いた成瀬君にそう挨拶され、私は軽く頭を下げる。 そのまま中に入った成瀬君について行き、どうやら今日はリビングへと通されるようだ。
「……あー」
「……えっと、外に出ておいた方が良いですか?」
しかし、リビングへの扉を開けた瞬間に私と成瀬君は止まった。 すぐ目の前、その足元とも言える場所に大人の女性が倒れている。 部屋着なのか、ノースリーブに下はスウェットという格好だ。 成瀬君の家族構成に姉はいなかったから、多分母親だろう。 スタイルはとてもよく、気持ち良さそうな寝顔からでも整った顔立ちというのが見て取れる。
……少し羨ましい。
「いやいい、すぐ起こす。 おい起きろ! ここで寝るなっていつも言ってるだろ!」
成瀬君はしゃがみこみ、その母親と思われる人物の顔を叩く。 少し親不孝ではと思うものの、いつもの流れというやつなのだろう。 それをする流れは手慣れたものだ。
「うーーーーー、あと5時間……」
「なげえよ! 友達来てるんだからみっともないことするなって……」
「……友達?」
成瀬君のその単語に反応したのか、その女性は眠そうにしながらも体を起こし、私に顔を向けた。
「……女の子! 彼女か!? なによ修一、彼女いるならもっと早く連れて来なさいよー!」
先ほどまでの眠気は吹き飛んだのだろうか、一瞬で笑顔に移り変わり、そして成瀬君の肩を叩き出す。 やはりというか、笑顔が似合う女性だ。 更に一見すれば姉と言われても全く違和感がない若さを持っている。
「あ、初めましてだね。 アタシは成瀬静香、一応このバカの母親やってまーす!」
「その挨拶すげえ馬鹿っぽいぞ」
「またすーぐそういうこと言う。 で、でどうなの? こーんな可愛い子が彼女なわけ?」
好奇心旺盛……そして話し方、朱理さんの母親と言われればとても納得してしまう。 成瀬君もたまにノリよくボケていることがあるから、最早血筋なのかもしれない。
「ちげえよ、冬木は友達だって言ったろ。 てかそういうこといきなり言うの普通に失礼だからな」
「えー! ケチだなぁ……ね、冬木ちゃん。 名前なんていうの?」
「あ、えっと……空です。 冬木空と言います』
「かーわいーいー! 抱き締めていい!?」
「……えと」
……とても対応に困る! なんというか、朱理さんをもっとこう……強くした感じだ。 朱理さんのグイグイ来る部分を更に高めた感じ、というのが適切かもしれない。
「冬木が困ってるからやめろって……夕方からまた仕事だろ? 寝とかなくて良いのかよ」
「うー……すぐそうやって邪魔者扱いするんだから」
『いや事実めっちゃ邪魔なんだけど』
「……ふふ」
成瀬君の脳内でのツッコミが面白く、思わず笑ってしまった。 すると、成瀬君の母親は私の顔をジッと見つめる。 興味あり、といった感じで好奇心の塊のような人だ。 私が笑ったことがそこまで珍しいのか、まだ出会って数分といった感じだけど……。
「笑うと更に可愛くない!?」
「だからそういうこと言うなって……いい加減にしないと怒るぞ」
「もーケチ! いいなぁいいなぁ空ちゃんと仲良くて。 アタシも仲良くしたーい!」
「歳考えろよ! 良いからほら、早く寝ないと寝る時間なくなるから……」
成瀬君が言うと、成瀬君の母親……静香さんは唇を尖らせながら立ち上がる。 そして私の方をまた向き、頭の上に手を置いて口を開いた。
「修一と仲良くよろしくね、結構面倒臭いところもあるけどいい子だから」
「いえ、成瀬君には私もお世話になっていますので」
「礼儀正しくていい子ね! 修一も見習いなさいよー」
「……」
最後の言葉に成瀬君は静香さんを一睨みし、それを受けた静香さんは肩を竦めてリビングから出ていく。 それを見送った成瀬君はため息を吐き、私へと顔を向けた。
「悪いな変な親で。 そういや会ったことなかったよな」
何度か成瀬君の家には遊びに来ている。 とは言っても殆どは平日だし、朱理さんこそ出会うことは多いけれど母親には会ったことがなかった。 夜勤をしているということは聞いていたけれど、その時間的な問題が大きかったんだと思う。
「いえ、気にしていないので大丈夫ですよ。 優しそうな人ですね」
「子供っぽいから困るんだよ……朱理とは気が合うみたいだけど」
「……あはは」
「空笑いからどんな悲惨なことになるか想像付いたか。 ……まぁその愚痴は今度にするとして」
言いつつキッチンへと成瀬君は向かう。 自分の分のコップと、客用のコップをそれぞれ並べると予め蒸らしてあったコーヒーを注いでいた。 そのまま手を動かしながら私に向けて続ける。
「冬木空が空笑いって続けて言うと少し面白くない?」
「……ふふ、いきなりなんですか」
私の名前の空と、空笑いの空をかけているのだと思うけど、あまりにもくだらないしつまらない。
「いやだから冬木の名前って空だろ? それと空笑いの空をかけてて……」
「あはは! 説明しなくていいです!」
「お前ほんとくだらない駄洒落みたいなの好きだよな……」
いや、それは勘違いだ。 あまりのくだらなさに笑ってしまっているだけで、それ自体が面白いとか好きだとかそういうことは一切ない。 だから私に妙なキャラ付けをするのは心底やめてほしい。 別に駄洒落が好きというわけではなく、くだらないことを成瀬君が言うからどうしても笑ってしまうだけだ。
「いい加減にしないと怒りますよ。 ……ふふ、それでお話とは? 長峰さんのことですか?」
「あー、まぁそういうこと。 やっぱり分かるよな、さすがに」
成瀬君は言い、客用のコップをリビングにあるテーブルへと置いた。 それに習い、私はコップの前へと座る。 成瀬君は私の向かい側に同じように腰掛け、コーヒーを一口飲んでいた。
「ミルクも砂糖も入れちゃったけど良かった? 俺、甘くないとコーヒー飲めないんだよ」
「私も甘い方が好きなので大丈夫ですよ」
私が言うと、成瀬君は「そっか」と言い、またコーヒーを口に含んだ。 少しの間沈黙が訪れ、それが居心地悪かったのか、成瀬君がまた口を開く。
「そういやさ、昨日の夜なんだけど朱里とゲームやっててさ……」
「成瀬君」
それを聞いたことによって、ようやく気付いた。 これは成瀬君の思考を聞いたわけではない、私がそう思い、そう感じたのだ。 だから私は言わなければならない、黙ってただ成瀬君の話に耳を傾けているだけでは駄目なんだ。
「言いづらいことでも、私は聞きますよ。 もちろん無理にとは言いませんし、成瀬君が言いたくないのであれば話してくれなくても構いません。 この話は前にしましたよね」
私が何より今怖いのは、成瀬君との現在の関係というのが壊れてしまうことだ。 今まで特に気にすることもなかったそれが、今では一番怖い。
「……ああ」
「何を聞いても私が成瀬君に対して怒ることはありません。 嘘ではないことは分かりますか」
私が言うと、成瀬君は一瞬目を見開いた。 私の言葉が意外だった、とでも言いたげな顔だ。
「でも、でもです。 私はきっと……成瀬君が私に隠し事をしたときの方が、怒ると思うんです。 ……いえ、怒るというよりかは、悲しい……ですか」
自分自身でもその気持ちの正体は分からなかった。 しかし仮に、成瀬君が何かを隠していて、それに私が気付いてしまったとしたら……そう考えたときの感情は、悲しいというのが最も適切だ。 どんなことでも良い、些細なことでもくだらないことでも、私を傷付けるようなことであっても。 私に関することで隠し事はあまりして欲しくない。
……ようやく少し、私は私のことが分かった気がする。 成瀬君に出会い、触れ合い、話し合い、そうすることでようやく分かったことだ。
私は人が心の奥底で思っていることを聞き、傷付いていたわけではない。 私は人に何かを隠され、それに気付いてしまうということに傷付いていたのだ。 自分で傷付いていた、なんて言うのはおこがましいことかもしれないけれど……きっと、そうなんだ。
「そう、だよな。 なに躊躇ってんだよ俺は! 馬鹿みたいだ」
「知ってますよ、それ」
「さり気なく棘を刺してくるあたりいつも通りの冬木さんっすね……」
そう、いつも通り。 前まではいつも通りなんて言葉を使うのは私個人だけに対してだった。 それが今は違っていて、私と成瀬君のやり取りを指して使っている。
そんな些細なことが、少し嬉しかった。
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