第20話『二人の少女と、一人の少女』

 誰がなんと言おうと、進んでしまった針は止まらない。 一度動き出したそれはまるで雪崩のごとく動き続け、収まるということを知らないかのように崩れ続ける。 私が知ってしまったこと、この力の所為で気付いてしまったこと、幾度となくそれは起こって、今回もきっと同じ結末を辿っていく。


「いやー、まぁそうなるよねって感じだったね」


「いきなりだしそりゃそうでしょ。 予約受けてくれただけマシだけど」


「……」


 山の向こうに行き、また戻ってきて、私たちは歩いている。 天気はなんとか持ちそうだったけれど、いつ雨が降り出してもおかしくはないくらいには崩れていた。 空を見ると、薄暗く不気味な雲が視界を覆う。 肌寒さも感じるほどに辺りは寒かった。


「ちょっと、冬木さん聞いてる?」


「へ? あ、はい」


 いきなりのことで変な声が出てしまった。 声の方に顔を向けると、長峰さんが不機嫌そうに私のことを見ている。 話に乗ってこなかったことが不服なのだろう、彼女はそういう人だ。


「ったく……返事くらいしてよ、それとも敢えて無視?」


 私にとって、長峰愛莉という人は思ったことをそのまま口にする人だ。 その分付き合いやすいというのは分かっているものの、全てが全てそうというわけではない。 たとえば他愛のないことを考えたとしても、それを彼女は一々口にはしない。 どうでもいいことは口にはしないし、言ったところでというようなものも口にはわざわざしない。 人間は一日の間に多くの思考をする。 これから何をするか、昨日のこと、印象深いこと、今取り組んでいること、その場で感じたこと。 無数にも思考に思考を重ね、人は日々を生きている。 それは、長峰さんとて変わらない。


 ……そう、だから。


『安斎に告られたの、そこまで気にしてるのかな』


 それが、長峰さんのその思考が聞こえた。 長峰さんが知るはずのないこと、知っていてはいけないこと、私が手の平に仕舞い込んだ小石、それを長峰さんはいつの間にか握っている。


 私はとても動揺した。 そして、こう思考した。


 どうして彼女はそれを知っているのか、と。


 その答えはすぐに出た。 あのときあの場に居たのは私と安斎君だけではない、もう一人居たではないか。


「……水瀬さん、話したんですか? 安斎君のことを」


「……え? なんで……話して、ないよ」


 私の一言は唐突なものだったのは間違いない。 会話の最中、いきなりそれを口にしたからだ。 しかし、そのときの私にはどうなるかなんてことは考える余裕がなかった。 突き付けられた事実にどう対処するかという結果、私は自身の責任を放り投げ、近くにいた水瀬さんに責任転嫁することを良しとしてしまった。


「は? ちょっと待って。 冬木さん、私がそれ知ってるのなんで知ってんの?」


「……いえ、それよりも長峰さんがどうして」


 この瞬間、私たち三人は混乱していたと思う。 少なくとも私はそうだったし、私の言葉に見るからに動揺した水瀬さんもそうだ。 そしてきっと、彼女も。


「……友梨、もしかして私のこと笑い者にしてたってこと? 冬木さんと二人で、失恋した馬鹿女って」


 長峰さんの声は震えていた。 彼女にしては珍しい感情の変化で、それもいつも強気な彼女とは思えない声色だった。


「なんでそうなるの!? わたしはただ……」


 水瀬さんはすぐにそう返す。 私も何か言うべきなのだろう、二人のことを止めるべきなのだろう、私がここでたった一言、私が持っている力のことを話せば解決できるかもしれない。 でも……できなかった。 言ったところで変な眼で見られるだけ、そう思って何も言えなかった。 きっと信じてはもらえない、頭のおかしい女だと思われるだけ、だから私は口を固く縛る。


 ……それは、ただの自己保身に過ぎない。 私は私を守るために、目の前で起きていることを見過ごすような人だったというわけだ。 そんな自分に嫌気がさす、自分が嫌いになっていく、心のどこかに黒い塊のようなものができたような、そんな感覚を受ける。 そして、それでも私は口を開くことができない。


「ただ、なんだよッ!? それしかないだろ、こいつが知ってんだから!!」


 長峰さんは水瀬さんに掴みかかり、私のことを指差してそう叫ぶように言った。 その瞬間だったかは分からない、私の鼻先に冷たい雫が一つ落ちたと思えば、すぐさま天気は荒れていった。 予報外れの雨は、勢いを増していく。 そんな雨を気にすることなく、長峰さんと水瀬さんの二人は言葉をぶつけ合う。


「言ってないって! わたしだって空にゃんが知ってるのがなんでって思うくらいだし……!」


「……ま良いや、くっだらな」


 しかし、長峰さんは唐突にそう言うと胸倉を掴んでいた手を離し、冷たく言い放つ。 言葉の応酬は激化するどころかそのひと言によって一気に落ち着いていった。 長峰さんの考え方は独特で、どれほど熱くなったとしても常に物事を冷静に捉えることができている。 そのとき自分はどうあるべきなのか、というのが確立していると言っても良い。


「実際のとこどうなのか知んないけど、冬木さんが知ってたってのは事実だから。 ねーねー冬木さん知ってる? 友梨ってさ――――――――冬木さんのこと好きなんだよ? 友達としてとかじゃなくて、恋愛対象として」


「ちょっ……! そんなわけ、ないでしょ。 変なこと言うのやめてよ、愛莉」


「変なこと言ってんのはあんたでしょ、友梨。 何年付き合ってると思ってんの? そんくらい見ればすぐ分かるっての」


 知っていた。 長峰さんがたった今私に伝えた事実は、私は知ってしまっている。 だからそのことについてはそれほど驚きはしなかったけれど、違うことについては驚いた。 長峰さんも長峰さんで、ひどく不安定になっているということだ。 でなければ、気付いたとしても本来の彼女であれば絶対に口にはしていないことを口にしてしまっている。


 誰も彼もが、その場においては正常ではなかった。 色々なことが重なって、織り交ざって、掻き混ぜられて。


「そんなわけ……っ」


 水瀬さんは言い、私のことを見た。 私はただ、何も言わずに水瀬さんのことを見た。 目と目が合った、そして私はすぐに気付いた。 水瀬さんは、怖がっている。 他でもない私のことを怖がっている、どんなことを思っているのか、それが分からずに怖がっているのだ。


「ッ……!」


「水瀬さん!」


 そして、水瀬さんは耐えきれずに振り返ると走り出す。 一連のことに置いて私が出来たことは、最後の最後に彼女の名前を呼ぶことだけだった。 それも、ただ単に呼んだだけに過ぎない。 彼女がもし立ち止まったとして、私は何か言うことができたのだろうか? この場を収めることを言えたのだろうか?


 ……いいや、きっと私は何も言えなかった。 私の中に、心の奥底にあった想いはもしかしたら、私の声を無視して走り去ってくれという、残酷極まりない想いだったのかもしれない。


「……」


 残されたのは、私と長峰さんのみだった。 未だに雨は強く私たちを打ち続け、長峰さんは私の肩に手を置いたままの姿勢で水瀬さんが走り去った方を向いている。


「……長峰さん?」


「……」


 そして私はようやく気付く、長峰さんが私の肩に置いた手が微かに震えていたということに。 顔を長峰さんへと向けると、雨なのかそれとも違う何かなのか、長峰さんの頬を水滴が伝っていた。 数秒、数十秒だろうか? しばらくの間、長峰さんは私の肩に置いた手を離すことなく、ずっとそうしていた。




「最低だなって思うっしょ」


「……先ほどのことですか」


 少し経って、私と長峰さんはどちらからというわけもなく公園のベンチへと移動した。 だいぶというか既に手遅れなほど雨に打たれてしまったこともあり、張り付いた服が少しだけ気持ち悪い。 そんな中、屋根がついたベンチに座るとぽつりと長峰さんは零す。


「正直なとこどうなの。 友梨からなんか聞いてたわけ?」


 長峰さんも雨が染み込んだ服を気持ち悪そうにぱたぱたとしながら私に尋ねる。 顔はこちらを向いておらず、既に先ほどまでの長峰さんではなくいつもの長峰さんに戻っていた。


「いえ、何も聞いていません。 その場に水瀬さんがいたことは知っていましたが……」


「だろうね、そりゃそうだろうね。 知ってた」


 言うと、長峰さんは自虐するように笑う。 珍しい仕草だと、そう感じた。 そして、私が何かを言う前に長峰さんは口を開く。


「友梨がそういうことなんてしない子ってことは私が一番分かってる。 なのに、私は……何やっても中途半端なとこ、昔からなんも変わってないや」


「……そうでしょうか。 私から見たら、長峰さんは明るく誰とでも打ち解けられるような、そんな人に見えますが」


「別に冬木さんに慰められたってなんも嬉しくない。 それよりさ、どうして分かったの? 私が知ってたってこと」


「それは……」


 どう言おうか、一瞬力のことを話そうかとも悩んで、やめた。


「少しだけ察しが良いというだけです」


「嘘だね。 ま、別に言わなくても良いけど」


 最初からそれに興味はなかったかのように、長峰さんは言う。 なんというか、長峰さんは人のことを見抜く力というものを持っているのだろうか。


「なーんとなく、こんなことになる気はしてたんだけどね。 三人で仲良くするのはきっと無理」


 その言葉は意外なものだった。 それも長峰さんが口にしたということが意外で、私は黙って長峰さんの言葉に耳を傾ける。


「誰かと誰かが仲良くやれても、それは二人に限っての話でしかないんだよ。 例えば私と冬木さんが仲良くしても、私たちは友梨と仲良くやっていけないんだと思う。 逆も一緒で、組み合わせを変えても一人は絶対に浮くんだろうなって」


 普段、自分の考えをこうして細かく話すことはない。 だからそれこそが長峰さんの本音のように聞こえた。 聞こえてくる思考からも読み取れなかった彼女の本音、それは自分ですら欺いていた想いなのかもしれない。


「だからさ、冬木さん。 一つ約束して」


「……私にできることでしたら」


 私が言うと、長峰さんは笑って言う。


「……もし友梨と仲良くするなら、あいつの味方になってあげて。 友梨ってああ見えて本当にいろいろ危なっかしいし、すぐに思い詰めるし勢いだけで行動するとこあるから」


 それが、私と長峰さんの間で交わした約束だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る