第18話『着々と、崩れて』

 時の流れはあっという間だ。 気付けば文化祭まで丁度二週間前となり、準備も本格的に進んできた。 喫茶店で使う備品などは教師が揃えてくれて、私たち資材管理係の仕事のうち殆どは雑用のようなものだった。 けれど、一応は重要な役割というものもある。


 それというのも、喫茶店で使う衣装を用意するというものだ。 もちろんそれはメイド服に執事服、電車で隣町に行き、それらを調達するというわけだ。 当初はレンタルなんて話も上がったけれど、どうせならと人数分の衣装を揃えてしまおうという話になり、その重要な役目が私たちということ。


「そんじゃ今度の日曜日ね、すっぽかさないでよ愛莉」


「なんで私だけ……こいつもでしょ」


 長峰さんは言い、私を指差す。 それを見た水瀬さんはすぐさま口を開いた。


「空にゃんはそういうの遅刻とかするタイプじゃないでしょ、どう考えても。 一番怖いのあんたなんだから」


「はーヤダヤダ、友梨ってほんと冬木さんには優しいよね」


「……別に気のせいでしょ?」


 強く否定することなく、逆に弱々しくともいえる言い方で水瀬さんは言う。 私は特に気にならなかったが、長峰さんはそれが気になったようで水瀬さんのことを見ていた。 こういうとき、思考を聞けたらなと思うことはある。 が、そこまで私の思う通りに話なんて進まない。 いつだって聞きたくない言葉を聞いてしまい、聞きたい言葉が聞けることなんて極僅かだから。 確率としては半々のはずなのに、私にとって聞きたくない言葉の方が聞こえてくるということは……誰も彼も、心の中で思っていることはそういうことなのだろう。


「ちょっといいか?」


 と、そこで後ろから声がかかった。 私たちは今、教室で三人が机を囲んで座る形で、それぞれがその声の主の元へと顔を向ける。 そこに立っていたのは男子で、確か安斎君のグループに属している人だ。 名前は……恥ずかしながら、そこまでは記憶にない。 印象が強い人、というわけでもなかった。


「どったの?」


 それに返事をしたのは水瀬さんだ。 それを聞き、男子はすぐに口を開く。


「冬木少し借りていいか? ちょっと用事がある」


「お、なになに告白? いいじゃんここで」


「ばっ! ちげぇよ! 俺じゃねえっての!」


「ふうん?」


 そんな流れとなり、私はその男子について行くことになる。 長峰さんは興味がなさそうに、逆に水瀬さんは興味津々に私に顔を向けていた。 そんな二人に軽く頭を下げ、私たちは教室から出て行く。


「用事、というのは?」


「……俺じゃねえからな? 校舎裏に来てくれってよ」


「はあ、ええと……私一人でですか?」


「ついて行ったら怒られるって……良いから伝えたからな? それじゃ」


 そう言うと、男子はその場から去って行く。 廊下に取り残された私は数秒、どうしたものかと考えた。 考えたが、そうしたところで私が呼び出されている以上、この場に立ち尽くしたところで何も解決はしないだろう。 ならばもう伝えられたそこ……校舎裏に行くしかこの話を終わらせられない。 そう思い、私は校舎裏に行くべく足を動かすのだった。




「や、急にごめんね、冬木さん」


「ええと……」


 そこで待ち受けていた人物は、正直私が予想すらしなかった人物だ。 そして、私は彼の名前を知っている。 知らないという一言で済ませられる相手ではない。


「私に何か用事ですか? 安斎君」


 安斎優希、その人は女子の中で人気が高い男子……らしい。 水瀬さんに話を聞く限りではあるし、時折通りすがりの人の思考を聞く限り、それが事実だ。 そして長峰さんが好意を寄せている男子、と私は認識している。 そんな人が私に用事とはなんだろうか? 今まで一度も話したことなんてないのに。


「分かるっしょ? 人気のないところに呼び出してるんだから」


「……人に言えない相談などでしたら、私より適任な人は多くいると思いますが」


「いやいや、あはは……マジ? ちょっと変わってるなぁって思ってたけど、まさかそこまでってのは予想外かな。 じゃあ単刀直入に言うけど、俺と付き合ってよ」


 言われ、私はすぐさま返事をする。


「構いませんが、どこへですか?」


「えーっと……」


 私の言葉に、安斎君は苦笑いを浮かべる。 何がおかしいのか分からず、しかしその直後声が聞こえた。


『マジかよこいつ。 まぁ顔は可愛いし性格駄目でもいっか』


 ……私が望もうと望むまいと、その人の思考は容赦なく私に聞こえてしまう。 聞かなくても良いことを聞いてしまい、安斎君だってその言葉を私にぶつける気など微塵もなかったのだろう。 そう考えると、きっと悪いのは私ということになってくる。 聞かなくて良いことを無理に聞いているのは、私だから。 他人に対して悪意がない人なんて存在しない、それを口にしてしまうか口にしないかの違いでしかなく、私の力はその全てを聞いてしまう。 今私が聞いたことに関しては、安斎君に非があるわけではない。


「……んー、俺、冬木さんのことが好きなわけ。 だから俺と付き合って欲しい、恋人として。 って言えば伝わる?」


 そう言われ、私は少し悩んだ。 いや、それは安斎君と恋人になるかどうか、という話ではない。 その話をどう断ろうか、ということで悩んだ。 仮にやんわりと断ったとして、後日また絡まれたとしたら正直あまり気分は良くない。 それに私に関わって無駄な時間を過ごすというのは安斎君にとっても迷惑だろう。 更に言えば、安斎君には好いてくれている女子がいる、私に構うよりも安斎君の方を見ている人たちと関わり合った方が、きっと彼のためにもなるはずだ。


 だから、私は言った。


「私は安斎君のことが好きではありません。 それに、私はあなたと違って顔が良かったとしても性格が嫌な人を好きにはなれません」


「……は?」


 ……言い過ぎたかもしれない。 私はそこまで言うつもりはなかったのに、気付いたらそこまで口にしてしまっていた。 しかし、そこまで言えば安斎君も私に関わってくることはないだろう。 それがきっと、一番丸く収まる方法だと思う。 このような態度を取る人に対して、まだ関わろうなんて思う人はこの世にいないはずだから。


「それでは」


 頭を軽く下げ、私は振り返る。 鞄は教室に置いてきた、長峰さんと水瀬さんが待ってくれているかは分からないけれど、どのみち教室までは戻らなければならない。 だが、物事はそう上手くはいかない。


「……いっ!」


 体が勢い良く横に動かされた。 肩を捕まれ、背中が壁に押し付けられる。 痛みに顔を顰め、目を開くとそこには安斎君の顔があった。 怒っているように、私のことを睨みつけている。


「そこまで言われると頭くるよなぁ!? おい!!」


「……放して、ください」


 声があまりでなかった。 怖かったからか、それとも力が込められた肩が痛かったからか、男の人がここまで力強いということは、知らなかった。


「お前覚えとけよ、そこまで言われて俺が何もしないわけねえだろ? 考えれば分かるよな?」


 脅しているのか、それとも勢いに任せて言っているのか、そのどちらかは分からないけれど、少なくともその発言には力というものがあった。 少なくともクラス全体として、私の言葉より安斎君の言葉の方が余程重みがある。 どちらの言葉が信用されるか、というのは一目瞭然だった。


「――――――――やめなよ、そういうのダサいよ」


「あ!?」


 聞き慣れた声が響き渡る。 私が抑えつけられた肩をそのままに顔を横へ向けると、そこに立っていたのは水瀬さんだった。 水瀬さんは目付きを細くし、安斎君のことを見ている。


「水瀬……チッ」


「別に言い触らすとかしないから。 でも空にゃんになんかするならわたしもそれなりになんかするってだけだし。 もう満足したでしょ?」


 水瀬さんは携帯を見せてニッコリと笑って言う。 恐らく録音でもしていたのだろうか、平面上はなんでもない言葉であったが、その動作からして安斎君が言い返す余地など皆無だ。


「……分かったよ、絶対誰にも言うんじゃねえぞ」


「約束は守る女なんでね」


 安斎君はバツが悪そうに私の肩を抑えていた手を離し、歩き出す。 その姿を消えるまで水瀬さんは眺めたあと、すぐに私の近くへとやってきた。


「……空にゃんだいじょぶ? 痛くない?」


「え、はい……大丈夫です。 ありがとうございます、水瀬さん」


 心配そうに私の顔を見て、そして私の肩を優しく撫でる。 ここまで人に心配されたのはいつ振りだろうか、少なくとも嫌な気分にはならなかった。


「まったく……酷い奴だよね。 別に告白とかは良いけど、それで断られて逆恨みとかサイテー」


「あの、水瀬さん。 どうしてここに?」


「へ!? あーっと……少し通りがかって……」


 と彼女は言うも、突然聞かれて焦っているのは明白だった。 そんな水瀬さんを私は無言で見つめる。


「……あはは、さすがに無理あるよね。 ごめん空にゃん、面白そうでついつい」


「そうですか。 いえ、構いませんよ。 そのおかげで助けてもらえましたし」


 それは事実。 それに、見られたからと言って困る話でもない。 だから私はそう言い、続ける。


「ですが……その、長峰さんには言わないでおいてくれますか? 安斎君は……」


「あ、うん勿論! 秘密にするよ」


 水瀬さんの言葉を聞き、私はひとまず安心した。


 ……安心。 安心? どうしてなのか、分からない。 分からなかったけれど、きっとそれはこれから文化祭ということもあり、クラスの足並みを乱すような流れにしたくなかったからだろう。 私が持ってしまった石は、小さな小さなものだった。 しかし、それを投げ込むべき川は決して流れの激しい川なんかではなく、静かな静かな川だ。 例えちっぽけな石だったとしても、投げ込めば簡単に流れが変わってしまいそうな静かな川。


「じゃ、いこっか空にゃん。 愛莉も待ってるだろうし」


「……はい、そうですね」


 そして、ゆっくりゆっくりと歯車は狂い始めていく。 このときは私も、長峰さんも、そして水瀬さんも……誰一人として、歪み始めていく歯車に気付くことはできなかったのだ。

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