第16話『長峰さんと、私』

「そんでさー、こいつ好きな人いるわけよ」


「はぁ!? それ勘違いだから、死んで」


 それから数日、長峰さんも水瀬さんも、どうしてか私に絡んでくることが多かった。 その日は昼休み、お弁当を広げる私のところに二人はやってきて、私が何かを言う前に近くにあった椅子と机を勝手に使い、それぞれの昼食を並べている。 これが日課になりつつあるものの、私は嫌な気分にはならなかった。 そもそもこうしてわざわざ私の近くへ来てくれる人たちを無碍にするというのも、気が引けてしまうし。


「誰だと思う? 空にゃん」


「ええと、安斎あんざい君ですか?」


 私が言うと、長峰さんはその端正な顔を赤く染める。 水瀬さんはと言うと、驚いたように声を漏らしていた。


「ちょっと友梨言ったでしょ!?」


「へ? いやいや言ってないない! これでも口堅いし! 空にゃん凄いなぁ、よく見てるねえ」


 と、言われても単に二人の思考を聞いただけだった。 安斎優希という人は、クラスの女子の中どころか学年内でも人気がある男子である。 サッカー部に所属し、スポーツも勉強もでき、外見も整っていて人気が非常に高い男子、ということは認識していた。 あまり興味がないので詳しくは知らないけれど、既に数人の女子に告白されたとも聞いている。


「で、空にゃんは好きな人はとかいないの?気になる人とか」


「……そういうのはよく分からないので。 長峰さんと水瀬さんは好きですが」


「まさかの告白!? へへ、嬉しいこと言うねぇ空にゃん」


 恋愛感情としてのそれと、単なる好意としてのそれは違うことくらいは分かっている。 けれど、適当に流しておかないと掘り下げられても面倒だと思い、私は言った。 それにその言葉はそれほど嘘というわけでもない、正確に言うと「分からない」というのがもっとも適切だろうけど。


『うわー、上部だけの言葉』


 長峰さんの思考が聞こえた。 そして、間髪入れずに長峰さんの言葉が聞こえてくる。


「上部だけだよねそれ。 心の中ではめんどくさとか思ってそう」


「まーたあんたはそういうことを……気にしないでね、こういう奴だからこいつ」


「いえ、分かってます」


 数日話し、長峰愛莉という人のことは分かっている。 彼女は思考そのままに話し、嘘という嘘をあまり吐かない。 思ったことをそのまま口にしてくれるので、私としては幾分か話しやすい相手だ。 常に本音であるからこそ、怖がる必要も感じなかった。


「なにその言い方、私より可愛いからって腹立つ」


「……はい?」


 長峰さんの言葉に、思考が止まる。 長峰さんの発した言葉の意味が分からずにだ。


「ほら、空にゃん「今更なに言ってんだ」って顔してるよ、愛莉」


「へ? いや、そうではなくて……長峰さんの方が余程綺麗ではないですか」


「……ちょっと友梨こいつ殴っていい!?」


 立ち上がり言う長峰さん。 そんな長峰さんを押さえ込むように肩を持ち、水瀬さんは口を開いた。


「あはは、空にゃん、愛莉の秘密一つ教えてあげる。 空にゃんと仲良くしたいって言い出したの愛莉なんだよ。 この子、可愛い子好きだから」


 水瀬さんが言うと、長峰さんは機嫌を悪くしたように頬杖をついて顔を逸らす。 怒っているというのは一目で分かったが、意に返すことなく水瀬さんは口を開く。


「愛莉曰く「あいつ私より可愛くてムカつくけど仲良くしたい」だもんね?」


「黙れ殴るぞブス」


「照れてる照れてる。 ってわけだからさ、仲良くしてあげてよ、空にゃん」


「はあ」


 言葉に困ってしまう。 なんだか良く分からない言語を並べられている気分だ、一度整理して会話の流れを辿ってみたいが、今現在も止まることなく会話は続いている。 長峰さんの好きな人は誰か、という話からどこまで飛躍していくのだろうか。 少し頭が痛くなってきた。


「はいはいちょっといいかー? 飯食いながらで良いから聞いとけよー」


 と、そこで救世主とでも言うべきか、担任の教師が教室内に入ってきた。 若い男の教師で、あまりやる気があるタイプではなく授業もそのまま流すだけということが多い教師だ。 名前は山岸やまぎしとおる、良くも悪くも普通の教師で、事なかれ主義だという噂もある。


「今日の帰りのホームルームで、10月にある文化祭の役割決めるぞー。 まだ本格的にってわけじゃないが、まぁおおよその役割だからそんとき詳しく説明するからなー」


「結構早い段階で決めるんだね、何やるのかなぁ」


 山岸先生の話を聞き、私と長峰さんに向けて口を開いたのは水瀬さんだ。 私も同じ感想を抱いたが、特別やりたいことというのもない。 流れに任せて置けば良いか、なんてことを考える。


「かなり毎年気合い入れてやってるみたいだけどね、神中文化祭」


「そうなんですか?」


 長峰さんはさすがというべきか、その辺りについては詳しいようだ。 感心したように私が言うと、長峰さんは続けて口を開く。


「去年もそうだったでしょ? 準備とかすごかったし」


「……文化祭は休んでいたので」


 行事物というのは人が多く集まって、私にとっては非常に居づらい場所になってしまう。 近くに人がいればいるほどに思考を聞いてしまう機会は増え、それは私にとって頭が痛くなるような出来事だ。 だから文化祭、体育祭などの行事は休んでいた。


「おお、気が合いそう。 ってのはどーでも良いとして、先輩に聞いたんだけど……中学も高校も行事には気合い入ってるんだってさ。 めんどくさいだけだよねー、授業しなくていいのは嬉しいけど」


「そう? わたしは好きだけどなー、文化祭とか体育祭。 二人はなんかやりたいことないの?」


「ないない、敢えていうなら楽して終われるならなんでも良いや。 冬木さんもそうでしょ?」


 高圧的に長峰さんは言う。 まるで、私に同意を求めるような聞き方だ。 だが、そこまでせずとも私は長峰さんと同意見である。 文化祭で下手に仲の良い人というのが今より増えてしまうのは思わしくない、今でさえ長峰さんと水瀬さんがいつ私から離れてくれるか、ということを切望している状況では。


「そうですね、できればあまり関わりのないような仕事が良いです」


「えー! 二人とも冷めすぎでしょー。 折角なんだから楽しまないと損だよ損。 言っとくけどわたしと二人一緒の役割するからね、決定!」


 あまりにもそれは強引だったし、長峰さんも心底嫌そうな顔をして文句の一つ二つを口にしていた。 しかし、水瀬さんの性格を考えれば分かり切ったことだった。 もちろん当時の私はそれを知らず、長峰さんが文句を言っていた理由というのを知るのもその日の放課後のことである。




「ほんっと最悪。 あいつマジでいつか痛い目見るよ、間違いなく」


「……同意です。 一体どうして」


 その日の帰り道は、私と長峰さんでの帰り道だった。 長峰さんはどうやら電車でそのままどこかへ行くらしく、駅近くに家がある私と一緒に帰ることになった。 水瀬さんは他の友達と遊ぶ予定がある、とのことらしい。 それなら長峰さんも一緒に行くだろうと私は予想していたのだが、長峰さんの用事というのは外せないものらしかった。


 そして、放課後に私は水瀬友梨という人のことを少し知った。 彼女はあろうことか、経費・資材準備係という役割を買って出たのだ……それも私と長峰さんを巻き込んで。 丁度三人必要とされる枠はそれで埋まり、恐らく三人だったからこそ水瀬さんは名乗り出たのだろう。


「あいつと関わるとろくなことないからねー、気を付けた方が良いよ、冬木さんも」


「……でも、長峰さんは仲が良いんですよね? 水瀬さんとは」


「まぁ付き合い長いしね。 それに……友梨といるとなんか分からないけど楽しいんだ。 絶対に私のタイプじゃないんだけど、なんだろ……多分私より優れてるから?」


 それは意外な言葉だった。 長峰さんはなんというか、他人より絶対的に上の立場にいるような人の雰囲気を受けていたから。 話し方もそうだし、態度もそうだ。 自分の見せ方を分かっている、だから人より上の立場になれる、そういう人がそんなことを口にしたのは意外だった。


「ムカつくけど、私友梨にだけは絶対敵わないし。 あ、でも冬木さんには余裕で勝てるから」


「そうですか。 でも、それは少し分かる気がします」


「……」


 私が言うと、長峰さんは私の顔を覗き込む。 何か変なことでも言ってしまったのだろうか、それともこの会話はおかしなものなのだろうか、それが分からなかったが、とにかく長峰さんはジッと私の顔を覗き込んだあと、口を開く。


「なーんか、冬木さんって冷めてるよね。 全部が全部、上辺だけで話してる感じ。 本当の冬木さんってどんな風に話すの?」


「え、っと」


「んなこと聞いても困るよね。 ま、別にそれが嫌ってわけじゃないし良いよ。 私に似てるなって思っただけ」


 少し、怖かった。 長峰さんの言葉や、長峰さんの雰囲気ではない。 迷いなく私の顔を覗き込む長峰さんの瞳が怖かった。 私が距離を作り、なるべく距離を開けて話していることを容易く見破った彼女の瞳が怖い。 そして何より、なんの迷いもなく一歩を踏み出す彼女が怖い。 人の心、人の思考を怖がる私と違い、彼女はなんの躊躇いもなく踏み込んでくる。 長峰さんは「私に似ている」と言ったが、私と真逆のような人だと、そう思った。

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