第6話『所謂、天使』

「デートだね!」


「デートではねえよ」


 それから数日が経ち、土曜日の朝。 俺は朱里が作った朝食を摂りながら、目の前でニコニコとしている朱里に向けて言う。 事の流れが流れだっただけに朱里にも相談したのだが、それを聞いた朱里は終始ニコニコと嬉しそうであった。 とは言っても話したのは「冬木と出かけることになった」ということだけであり、場所の話はしていない。 万が一にでも口が滑れば朱里が後をつけてくる可能性もあるからな……。


 そんな明日は冬木と水族館の約束をしており、心配だった方の体調も完全に元通りである。 果たして長峰の看病が効いたのか、冬木との約束を守らなければという思いが働いたのか、どちらかは分からないけど。


「それよりお前、友達多いのは良いことだけど、友達は選べよ」


 そんなことを考えていたら、一つ思い出した。 長峰が家に来た原因、その諸悪の根源は目の前に居るじゃないか。


「ほえ? 一応選んでるつもりだよ? 良い子しかいないし」


「嘘だな。 お前はそう思い込んでるかもしれないけど、長峰の妹と仲が良いってだけでヤバイぞ」


 俺が言うと、朱里は首を傾げて目をぱちぱちと動かす。 小動物のような仕草であるが、朱里は困ったときにこうする癖がある。 ということは、俺の言っている言葉が理解できないのか……それとも長峰の妹の話そのものが単なるでまかせか。 しかし長峰はあのとき嘘は吐いてなかったよな……?


「長峰の妹って、美羽みうちゃん? だよね?」


「名前は知らないけど、この前お前が鍵を渡した長峰の妹」


「……えー、美羽ちゃんめっちゃ良い子だよ! もうね、天使」


 ……いやいや、それはお前騙されてるぞと言いたい。 あの長峰愛莉の妹となれば、見た目は確かに美人で、外見上の性格は良かったとしても、その内面が恐ろしくビッチの可能性が高い。 それも純粋ビッチというマイナス要素しかないものまでプラスされており、俺としては今現在、もっとも苦手としている人物だぞ。 その妹なんて、絶対にろくでもないに決まっている!


「良いか朱里、友達はよく考えて作れよ」


「おにいに友達について説教されるなんて……。 いやいや、でもほんとーに良い子だよ。 なんなら呼んで見る? 今日暇っぽかったし」


「……」


 正直言って、関わり合いたくない。 ……が、朱里の今後のことを考えると、この辺りで化けの皮を剥がしておいた方が良いかもしれない。


 幸いなことに、俺の眼は嘘を見破ることができる。 その長峰の妹の嘘とやらを朱里の目の前で見破ってしまえば、朱里も気付くことができるだろう。 朱里は俺の力を知っている、さすがに目の前でそんなことが起これば、長峰美羽とやらの正体を知らせることができる。


「オッケー、良いぜ。 お前の友達として相応しいか俺が見てやろう」


「……なんかおにい、冬木さんと友達になってから偉そうだよね」


 ……いや、別に冬木が友達になったからって調子に乗ってるわけではない! と、思いたい。




 というわけで。


「お邪魔しますー」


「どーぞどーぞ! 何もない家なんだけどねー」


 それから数十分後。 リビングのソファーに座り、腕を組んで待ち構える俺の耳にそんな声が聞こえてきた。 まずは第一関門、他人の家に入るときの挨拶はオーケーだ。 ちなみに長峰愛莉はここで脱落している。 挨拶どころか勝手に入ってきたからな。 冬木はセーフ、俺と友達だから。


「こんにちはー」


 そして、ドアが開かれその長峰妹が現れた。 丸くて大きい目、髪は黒のストレート、前髪をヘアピンで纏めている。 服装は水色のワンピース、手首には長峰姉と同様の数珠……じゃなかった、確かシュシュというらしいものが付いている。 鞄は何故か学生鞄だが……まぁ中学生ならこんなものか。


「あ、朱里ちゃんのお兄さん。 いつも姉がお世話になってます」


「……中々やるな、お前……いてっ!」


 と、礼儀正しく頭を深々と下げた長峰妹に向けて俺は言う。 言った直後、朱里に頭を叩かれた。


「ちょっとおにい! あたしの友達にあんま失礼なことしないで」


 ……怒ってるときの朱里である。 俺は素直に「ごめんなさい」と謝り、組んでいた腕を解き、丁寧に挨拶をしてきた長峰妹にも頭を下げた。 人間、素直というのが一番良い。


「あの、姉に何か嫌なことをされたら、わたしに言ってくださいね。 わたしが言えば、お姉ちゃん止めると思うので……」


「……全部話すと一時間くらいになるけど良い?」


「そ、そんなにあるんですかっ!! ごめんなさい、ごめんなさい! わたしが強く言っておくので!」


 ……あれ、もしかしてこの妹。


「本当にごめんなさい……お姉ちゃん、ハッキリと思ったことを言う人だから、結構そういう問題が多くて」


 天使なのではないだろうか。 そう思う俺であった。




「それで、朱里ちゃんが寝ぼけて変なことを言ってて」


「ちょ、その話は禁止ー! ダメだよ美羽ちゃん!!」


 しばらくの間、長峰妹こと長峰美羽と雑談をした。 それで分かったことと言えば、長峰妹は長峰には勿体ないくらいの天使であるということである。 可愛い、礼儀正しい、性格が良い、可愛い、優しい、気が利く、可愛いといったところだ。 まさに天使。


「ははは、にしても本当に長峰の妹なのか疑問に思ってくるな。 ここまで性格が違うと」


「よく言われるんです。 でも、わたしには勿体ないくらいの姉で……お姉ちゃん、とっても優しいんですよ」


 そうやって姉を庇うところもまた天使である。 ちなみに美羽がなんと言おうと長峰愛莉を俺が好きになることはない、大っ嫌いである。


「お姉ちゃん、毎日ご飯作ってくれて、勉強も見てくれて、家事も全部やってるんです。 わたしもお手伝いはするんですけど……お姉ちゃん、放っておくと一人で全部やっちゃうから」


「そう言えって言われたの?」


「違います! ほんとのほんとです!」


 それは、俺が一番よく分かっていることだ。 長峰美羽は嘘を吐いていない、となれば……長峰は家の中では、優しい姉というのをやっているらしい。 その反面、俺や冬木が被害を受けている気がしなくもないが。


「あれ、でもお母さんとかお父さんは?」


「おい馬鹿――――――――」


 朱里の不用意な発言に、口を挟む。 ご飯を作り、妹の面倒を見て、家事もこなして。 それを全て長峰がやっているのだとしたら、たった今朱里がした質問は避けるべきことだ。 もうちょっと考えて発言しろ馬鹿野郎と言いたい俺だったが。


「大丈夫です。 お父さんは、わたしが生まれてからすぐに亡くなっていて、お母さんは今、入院してるんです。 でももうすぐ退院できるみたいで、お姉ちゃん張り切ってて」


 他人の家庭事情ほど反応に困る話もないだろう。 冬木のことを聞いたときもそうで、たった今美羽から聞いた話もそうだ。 それがマイナス方向への話だった場合、特に反応に困ってしまう。


「……悪いな、嫌な話させて」


 俺が言ったのを受け、朱里は慌てて「ごめんね」と言った。 今頃ようやく気付いたのかよと言いたいが、まぁそれが朱里らしいと言えば朱里らしい。


「ぜんぜん! わたしはお姉ちゃんのこと、勘違いして欲しくないなって思っただけで……お姉ちゃんカッコイイし、綺麗だし、優しいしで……」


「美羽の話聞いてればよく分かるよ、さっきは悪いこと言ってごめんな。 それだけ褒められる姉ってことは、立派なんだろ」


「……はい! でも、わたしいっつも迷惑かけちゃってて。 ご飯のお手伝いもしようとするんですけど、逆にお料理を教えてもらっているみたいになっちゃうし……家事も、そんなのばかりで」


「分かる分かる! あたしも家事やってるときにおにいに手伝われると邪魔で邪魔でさー、あっはっは!」


「お前のそれ美羽に対して攻撃してるからな」


 どう考えても「分かる分かる!」って言いながらする話じゃない。 それは長峰姉に対する同意であり、少なくとも美羽に対する同意ではないからな、朱里の場合その辺りが分かっているのか本当に怪しい。 あと俺の手伝いを「邪魔で邪魔で」と言ったことについては一生恨む。 事あるごとに朱里は「朱里号突撃ー!」と言いながら突っ込んでくるが、今度から俺もそうしてやろうかな、修一号突撃ー! って。


「わたし、いつもお姉ちゃんの邪魔になってる気がして……」


 俺がそんな考えをしていたところ、先ほどの朱里の発言が効いたのか、少しふさぎ込みながら美羽は言う。 そんな姿を見て、何も声を掛けないということはできそうになかった。


「ま、同じ妹が居る俺から言わせてみれば、迷惑掛けられようが何されようが妹ってのは可愛いもんだよ。 それに美羽みたいな妹なら長峰も邪魔だなんて思わないだろ。 ぜひとも朱里と交換してほしい」


「おにい本音が漏れてるよ、あたしとっても複雑な気分だよ」


「あはは、ありがとうございます。 嘘でもそう言ってもらえると、嬉しいです」


 嘘じゃないんだけどな。 だって、長峰が本当に迷惑だと思っているなら、お揃いのシュシュなんて付けないだろう。 妹を大切にしているからこそ、そういう部分で繋がりを持ちたいのかもしれない。 長峰が全ての家事をやっているのは、きっと自分の元から妹が離れていくのが怖いんだ。 その気持ちはなんとなく、分かる。


 そりゃあもちろん、誰も彼もが兄妹で良好な関係を築くことはできないかもしれない。 長峰と美羽の仲が良いように、俺と朱里のような普通の関係の兄妹だっているわけで、そうなればあまり良くない関係の人たちも存在するだろう。 けど、兄妹というのは親と子よりも、よっぽど近い繋がりを持ったものだと俺は思っている。 少なくとも多少は同じ景色を見て、同じ過程を踏み、同じ屋根の下で暮らすことになるのだから。


「まったくおにいはカッコつけなんだから。 あたしは捨てられそうになってるっていうのに! 美羽ちゃんこんなおにいなんてほっといて明日のことはなそ!」


 と、朱里はぷりぷりと怒って言う。 捨てるわけじゃないぞ、あくまでも美羽との交換で、あくまでも社会勉強の一環として長峰家に入れてやろうと言っているのだ。


「明日どっか行くの?」


 そうは思うも、さすがに本当に交換されると美羽が天使すぎる所為で家から出たくなくなってしまう。 というわけで、尋ねてみた。 すると、返ってきた答えは意外すぎて。


「ん? 水族館だよ水族館、この前商店街のくじ引きで……じゃーん!」


 言い、朱里が笑顔で取り出したのは見覚えのあるチケット。 そしてその言葉は、とてもごく最近聞き覚えがあるものであった。

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