第7話『所謂、雑談』
「良かったのか?」
「構いませんよ、人数が多ければ多いほど楽しそうですし。 それに、朱里さんがいれば困ることもなさそうです」
……確かに。 俺と冬木という孤独な人間が二人して水族館に行ったところで、下手をしたら水族館の入り口に近づくことさえできずに帰ってしまう可能性もある。 活気溢れる場所というのは敷居が非常に高い。 水族館然り、遊園地然り、映画館然り。 俺としては一番敷居が低いのは自分の部屋である。 冬木もきっとそうだと思う。
というわけで、俺と冬木は今現在、山を抜けるために駅までやってきている。 大きな山を抜けた先が隣町、それを抜けるためには電車か車か徒歩で大回りというわけだが、学生身分である俺たちが選んだのは電車というわけだ。 そして、今は朱里と美羽がやって来るのを待っている、という流れ。 結局あのあと、話した結果一緒に行こうということになり、どうせならそれが良いかと思って今に至るのだ。 朱里は朝早くから美羽のところへ行っており、少し遊んでくるということだからその活力が恐ろしくて仕方ない。 俺と冬木は約束の時間よりも早く、こうして殆ど人がいない駅のホームで並んで座っている。
そんな冬木の今日の服装は生地の薄いカーディガンに膝辺りまでのワンピース、肩には前と同じポーチがぶら下げられている。 なんだか冬木にはこういう落ち着いた格好というのが似合う気がする。 朱里はどちらかと言えばジャージが似合うタイプ。 美羽は……羽とか似合いそう、天使の羽。
「長峰さんの妹も、良い子だと聞いています。 成瀬君から見てもそうだったんですよね?」
「一言で言えば天使だな」
「……前から少し気になっていたんですが、成瀬君はロリコンなんですか?」
「なわけないだろ!!」
あらぬ誤解を生んでしまうところだった。 というか俺が天使だと思うのは美羽だけであり、他の年下には一切興味がない! 冬木は一体俺の何を見てそう言っているんだ。
「……まぁ良いです。 それより成瀬君、パンフレットを用意したんですが……見てください」
と、横に座る冬木が少し俺へと身を寄せて、ポーチから取り出したパンフレットを見せてきた。 事前にパンフレットを用意するとは、どれだけ楽しみにしていたんだろうこいつ。 俺なんて、今現在把握していることは電車に乗るという行為だけだぞ、どの駅で降りるとかも全く知らない。 全部朱里任せ。
「イルカショー?」
「はい、ぜひ見てみたいです」
……結構大人びた性格をしている冬木だが、その実案外子供っぽい。 ちょっと嬉しそうだし……きっと今までそういうところで遊んだことがないから、全部が全部新鮮なのかもしれない。 と、少しだけ思った。
「いいんじゃない? 水族館と言ったらって感じだし、俺も若干見てみたい。 ただ言われた通りのことをするだけで生きているイルカたちを」
「なんだか悪意のある言い方ですね。 ですが、イルカが芸をする……と書いてありますが、少し信じられません。 確かにイルカは頭が良い動物ですけれど……」
冬木は言いながら、難しい顔をして口を抑える。 知らないことはどうやら調べているらしい冬木だが、部屋に篭って調べるだけでは分からないこともある。 言葉と、時折見える嘘から、冬木空という奴は案外好奇心旺盛でもあるのだ。
「カラスとか豚も頭良いって言うよな。 というわけでクイズだ冬木。 これ正解したら俺の持ってる1ポイントお前にやるよ」
「ポイント……ああ、あの賭けですか。 本来はコミュ力の勝負なので違う気もしますけれど、構いませんよ。 外れた場合は?」
その辺り、しっかりと確認してくる辺りが実に冬木らしい。 このまま進めて、もし間違えても「聞いてない」と冬木が一言言えば終わりそうな話なのに、しっかりしているよな、やっぱり。 ちなみに今の所有ポイントは俺が2ポイント、冬木が1ポイントで俺が一歩先へと行っている。 その勝っている分の1ポイントも、何故か秋月に怒られながら手に入れたというものだからあんまり嬉しくないが。
「なんも。 あいつら来るまでの暇潰しだしな」
それに、もしも冬木が間違えたときのことを考えると、ポイントまで取っていたら後が怖い。
「分かりました。 では、どうぞ」
「おう。 さっき言ったように、イルカとかカラス、犬に猫、豚も頭が良い動物だけど、この地球上で一番頭が良い動物はなんでしょうか?」
「簡単ですね。 チンパンジーです」
「ぶっぶー、答えは人間でしたー」
俺が言った瞬間、冬木の片眉がピクリと動いた。 それだけで冬木が怒っているということが十二分に伝わって来る。 そして冬木は俺を睨む、睨む、睨む。
「成瀬君は、そうなると二番目ということですか?」
「人間否定すんのやめてくんない!? こんなによく喋るチンパンジーいねえだろ!」
「ですが、チンパンジーは群れで行動するといいます。 人間にも同じことは言えますよ……はぁ」
ということは、群れで行動していない俺たちとは一体。 そんな答えに冬木も辿り着いたのか、自分で言って自分で傷付いている。 冬木の言葉自体は諸刃の剣もいいところだな……。
「成瀬君が性格の悪い引っ掛けをするからです」
少し目を細め、冬木は俺に向けて言う。 俺は冬木ほど人に冷たい視線を向けられる奴を知らない。 なんだか冬木の冷たい視線に慣れすぎて、それ自体が心地よく感じられ始めたな……良い感じに調教されてきている気がしてならねえ。
「でも間違ってはないだろ」
「間違ってはいませんが」
「……ごめんね?」
「最初から素直にそう言ってください。 成瀬君には思いやりというのが足りないかと」
「お前が言うの!?」
俺はまだ覚えてるぞ、ファーストコンタクトでいきなり「死ねゴミクズ」と言われたことを! いや言われてなかったかもしれないが、視線的にそんな感じだったことを!
「言ってみた方が良いですか?」
「すげえタイミングで聞いてきたな……」
よりにもよってそこか、と思いながら思考を聞かれたことを理解する。 しかし改めてそう尋ねられると、いつか言われるであろう日に備えて聞いておいた方が良いかも。 実際に言われるのと想像で言われるのは大分違うし……けど精神的ダメージを考慮すると、まだ早い気も。
「何を変なことを考えているんですか。 言いませんよ」
「おお……そりゃよかった」
「……絶対に言いません。 絶対に」
そんなことを真面目に言う冬木を見て、少しだけ悪いことをしたなと思った。 冬木という奴は冷たいように見えて、距離感があるように見えて、冷めているように見えて、その心根は誰よりも優しい。 他人を傷付けないために自分を傷付けるような選択を選んでいた冬木は、そうなのだろう。 だから俺は、冬木と友達でいたいと思うのだ。
「あ、そうでした」
そこで、冬木は何かを思い出したのか、手に持っていたパンフレットをポーチにしまい、違う物を取り出した。
「秋月さんから、これを成瀬君に渡してくれと頼まれていたんです」
「秋月から?」
一冊の本程度の厚みがある紙の束を冬木は取り出す。 サイズこそ文庫本程度で、一瞬俺は何かの本の貸し借りでも約束していたっけかな、なんてことを考える。
が、受け取った俺はすぐに違うことに気付いた。
「とても良く出来ていると思います。 前期テストまでに完璧にできれば、問題なく補習は免れられるかと」
はい、問題集です。 しかもご丁寧に俺が苦手な文系の問題ばかりである。 前にそういや秋月には苦手な教科とか聞かれたことがあったな……この伏線だったとは。
「どうして成瀬君は文系の問題が苦手なんですか? 実は、私もあまり得意としていなくて」
「そりゃお前、例えば……このときの主人公の気持ちを書きなさい、とかあるじゃん? いや知らねえよそんな抽象的なものじゃなくてしっかり答え作れよって思うタイプだし」
「あ、それはすごく分かります。 人によって答えが変わる、という問題には、問題そのものに欠陥がある、または思考の変化に果たして問題が対応できるのか、という疑問も生まれますしね。 今日はこの考えが正解だったとしても、十年後、二十年後、百年後には一般的な概念そのものが変わっている可能性もありますし……人の考えは、その日その日によって形を変えるものですから」
……いや、そこまで深くは考えてないけどね。 しかし、俺と冬木が同じく文系が苦手だとすると、なんだか納得せざるを得ない。 友達がいない者の傾向かもしれない、成瀬修一15歳にして新発見だった。
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