第17話『駄洒落と、作戦』

「では、最後にクラス委員会を決めます」


 話がそこになったとき、教室内の空気は一段と固くなった。 誰も彼もがやりたくない仕事で、それを避けるために興味のない委員会に入った人もいるだろう。


 長峰さんと北見先生の会話があり、クラス委員会の仕事の全容が明かされる。毎日の雑用は、この年頃の高校生にとっては絶対に避けたいもの。 教室内は静まり返る。 予想はしていたけれど、あからさますぎる流れだ。


『睨め睨め睨め睨め睨め睨め!』


 そして、私の後ろに座る成瀬君はどうやら馬鹿なようだった。 チラリと視線を移したが、北見先生をこれでもかというほどに睨んでいる。 指名を避けるための選択だろうけど、それは今後3年間、北見先生から「恐い生徒」という認識をされることを分かっているのだろうか。 メリットとデメリットが明らかに違いすぎる、メリットしか考えていない行動だ。


 そして。


『……冬木がやりゃいいのに。 真面目ぶってるし』


『早く終わらないかな。 誰か手あげないかなー』


『おら手上げろよ冬木。 そんで何もすんな』


 そんな声たちが、私の耳に届く。 誰かがやらないか、私がやらないかと同級生は望んでいるようだった。 当然、私以外の同級生は仲間で、彼ら彼女らにとっては私は敵。 そんな面倒くさいことを私に押し付けるというのは、皆の共通意識なのだと思う。


 ……勝手なことばかり。 自分がやるという選択は、端から存在していないかの如く、私に全てを押し付ける。


 そして、私はそれを受け入れる。 この思考を聞く力は、私の罪か何かなのだと思う。 それほどのことをした記憶なんてこれっぽっちもないけど、きっと私の前世は極悪人だったのだろう。 ……もしかしたら私がそう思っているだけで、中学生のときのことが原因なのかもしれない。 いや、それしかないか。 私にとっては当然のことでも、他の人にとっては私の行動は最悪なものだったのかもしれない。


「……はい」


 手を挙げ、声を放った。 同時、聞こえてきたのは喜びの声だった。 私の周りは最初からそうしろという思考だ。


 だが、この話は私の予想外の方向へと転ぶ。 全くの、予想外。


「はい」


 後ろから、声が聞こえた。 思考を読み取ったのではない、実際に声を発した者がいた。 そして、私の後ろに存在する生徒は一人だけ。




「……まさか二人パターンだったとは」


 北見先生に案内され、クラス委員室と呼ばれるそこへ通された私と成瀬君は、北見先生から軽い説明を受けたあと、今日の仕事として大量の資料を手渡された。 今は私と成瀬君の二人きり、その教室で作業に慎む。


 が、成瀬君はそんなことを呟いている。 話をまるで聞いていなかったのか、そのことは最初に北見先生が説明していたというのに。 一日の最初に「眠い」という思考をするだけはある。 不良だ。


「今日は良い天気だな」


 更に面倒なことに、成瀬君は私に話しかけてくる。 無視を先ほどから私は決め込んでいるが、それでもめげずに話しかけてきていた。


『無視つらっ!! せめてなんか反応しろよっ!』


 頭の中ではそんなことを思いながら。 私は気付かれないように視線を窓へと向けた。


 ……天気は大して良くはない。


 その後数分、沈黙が訪れる。 私は独りがいいのに、成瀬君のよく分からない思考が仕事の邪魔をしてくる。 いっそのこと、教室の隅と隅で作業をした方が、余計な思考を聞かずに集中できるかも。


 ……さすがにそれは可哀想か。 人を避けても、私の敵と同じようなことを私はしたくない。


「そういやさ」


 成瀬君は言うと、数秒置いて続ける。


「布団が、吹っ飛んだ」


「……っ」


 なに!? いきなり何を言う!? 事前に何かしらのアクションもなく、本当に唐突に成瀬君が妙なことを言い出した。 私は不意の攻撃に、思わず顔を逸らして反応してしまう。


『アルミ缶の上に、あるミカン』


 思考が聞こえる。 そして数秒後、成瀬君が口を開く。


「アルミ缶の上にあるミカン」


「くっ……」


 ダメだ、事前に何を言うか分かっていても笑ってしまう。 むしろ、事前に考えてたギャグのレベルが低すぎて、更にそれを全く変えることなく言葉にしたのが面白すぎる。


「……先程からうるさいです。 少し静かにしてもらっても良いですか」


「だったら世間話でもしようぜ、じゃないとまたギャグ言うぞ」


 私が耐え兼ねて言うと、成瀬君は若干得意げにそう告げてくる。 得意げな顔をしていること自体、腹ただしい事実だけれど、それは今の私にとっては有効とも言える手だった。 この静かな空気の中、淡々と質の低いギャグを言われ続けるのは正直辛い。 何もそれが面白い、というわけじゃない、断じて。


 それから私と成瀬君は少しの間、言葉を交わした。 久し振りの会話、久し振りの他愛のない話、何年振りだと思うほどのそれは、私にとっては早く終わって欲しいと思うばかりだった。




「……疲れた」


 似合わず言葉を交わし、そして変に気を使って気を張っていた所為もあり、自室に帰ってくる頃にはクタクタになっていた。 私は制服姿のまま、ベッドに体を投げつける。 髪が乱れて視界に入り、それを一房掴んで手遊びを始める。


 この髪も、人を避けるために染めたものだ。 この田舎でこんな見た目の人は少なく、かなり浮いている。 だから私は敢えて髪を染め、周囲から避けられるようにした。 周りの人が距離を取れば、私を嫌えば、心の中でどんなことを思っていても気にせずにいられるから。


「変わった人だった」


 私のことを知らないから、そう見えるのかもしれない。 昨日の帰り道、私に関わるなとハッキリ伝えたはずなのに、今日はそのこと自体を忘れたかのように話しかけてきた。


 表面上、という可能性もなくはない。 けど、心の中でも成瀬君は「どうしたら冬木と仲良くなれるか」ということをひたすら考えていた。 最早、意味が分からない。 可能性として考えられるのは、重度の物忘れ、重度の被虐趣味、重度の変態のどれかしかない。 今はまだ、成瀬君がどれに当てはまるかは分からないけど……私がどれだけ冷たい眼で見ても、冷たい態度を取っても、成瀬君の思考がそれだということは、現時点では重度の被虐趣味、というのがもっとも考えられる可能性。


 もしもそうだとすると、私が取っている態度は成瀬君にとって、嬉しいことなのかもしれない。 人の性的嗜好に口を挟むつもりはないけれど、その相手は私以外の誰かに向けて欲しい。


 そして、そうなると私は成瀬君に対して態度を変えなければダメだ。 逆に優しくする……冷たすぎない程度に接する、というのも一つの手だろうか? それをすれば、重度の被虐趣味である成瀬君は私もそこらへんの女と変わらないと思い、離れてくれるかもしれない。


 しかし、問題はそれが間違いであった場合。 そのときは、成瀬君視点で物事を考えると「ずっと話し続けたら優しくなった」となり、大きな大きな勘違いが発生する可能性が高い。 メリットよりデメリットのほうがよほど大きく、やはり成瀬君に対して優しく接するというのは間違いとしか思えない。


「そうだ」


 私はあることを思いつき、部屋に置いてあるパソコンの前へと座った。 横に置いてある眼鏡を掛け、電源を点け、少しの間立ち上がるのを待った。


 しばらくして表示された画面から、ブラウザを開く。 検索ボックスに入れた文字は「異性から嫌われるコツ」というもの。 単純に人に嫌われるコツとやるよりも、より正確な情報を引き出すために絞っていったほうが良いだろう。


「……殴る。 なるほど、確かに」


 口元に手を置き、その言葉を頭の中で反復させる。 物理的な攻撃は納得せざるを得ない。 いきなりの不意打ち、それも軽いスキンシップのようなものではなく、明らかに敵意のある攻撃を加えれば、間違いなく嫌われるだろうと書かれていた。


「でも、それはちょっと……」


 しかしそれも数秒のこと。 私は呟くように言いながら、可能性の一つ一つを探っていく。 確かに嫌われるには簡単な方法だけれど、いきなり殴り付けるなんて嫌われるどころか人としてどうなのか、という疑問を抱いてしまう。 それに、叩かれた成瀬君は当然痛いだろうし、そういうのは嫌だ。


「悪口を言う。 正面から思い切って言えば、相手もあなたを嫌うでしょう。 悪口のコツとして、相手の身体的特徴を侮辱する発言が効果的です……これを書いた人はどんな性格なんだろう」


 でも、効果としては最適かもしれない。 成瀬君が相手であれば、まずはその目付きに対して言うべきかな。 成瀬君は目付きが怖い、そんな眼で見ないで欲しい。 そういった類のことを言えば、成瀬君も私を嫌いになるかもしれない。


 ……よし、少し練習だ。


「成瀬君は目付きが怖いです。 そんな眼で私を見るのは止めてください……」


 うん、こんな感じ。


「……いえ、今のは軽率な発言でした。 私に非があります、ごめんなさい」


 謝ってしまった。 想像上の成瀬君相手に頭を下げてしまった。 ダメだ、この方法は少し難しすぎる。 いくら嫌われたいからといって、相手のことを罵倒し傷付けるのはよくない。 言われた成瀬君は気にするかもしれないし、傷付くかもしれない。 それをよしとしてまで嫌われたいとは、思わない。


 その後、夕食とお風呂を済ませた私は、日付が変わる頃まで成瀬君にどうやったら嫌われるか、ということを考えていた。

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