第18話『ゲームと、悪質』
「うぃっす」
「……」
次の日の放課後、ホームルームが終わったあと、すぐにクラス委員室へと行った私は、教室内に入ってくる成瀬君にそう挨拶をされる。 朝も関係なく挨拶をし、更についさっきまで教室で一緒に居たというのに、わざわざこの人はまた挨拶をするのか、と思った。
そして無視。 昨日の夜は色々考えたけれど、最終的に今のこのやり方を続けていくしかないとの結論に至った。 成瀬君は他よりも少し辛抱強いだけで、こうして徹底的に無視を続けていれば、やがて私に嫌われていると思ってくれるだろう。
「朝も無視されて放課後も無視されるのかよ……」
そうだ、私はそうする。 だから早く、私に無関心で居て欲しい。 私に構う時間は、今後三年間でもっとも無駄な時間だと早く気付いて欲しい。
「そういやさ、今日朝学校に来るときバッタを見つけたんだよ」
が、関係なく成瀬君は口を開く。 というか何かを語り出した。 私は微動だにせず、黙々と作業に慎む。 それに、この辺りの環境ならバッタなんていくらでもいるから。 成瀬君はどれだけ都会から引っ越してきたんだろう。 無視をされているのに語り出すのは少し怖いけれど……。
「そのバッタ、ばったばたしてたんだよな」
「……ふふっ」
だから唐突にそういうことは言わないで欲しい! そう昨日伝えたはずなのに、やはり成瀬君は人の話を全く聞いていない。
「学べよ、俺を無視したら延々とダジャレ話するぞ。 このために昨日、くだらないダジャレを徹底的に調べてきたんだからな!」
「……暇人とはあなたのようなことを言うんでしょうね。 そんなくだらないことを調べているなんて」
「相変わらず辛辣っすね……。 俺は興味のあることは調べるけど、冬木はそういうのしないの?」
「しません。 調べ物に時間を割くくらいなら、景色でも眺めていたほうが有意義です」
私が言うと、成瀬君は何故か無言で私を数秒、見つめていた。 何か、違うものを見ているような? 気の所為だろうか。 私を見ているものの、私を見ていないような視線の動きをしている。
「冬木が興味あることって言えば、どういうのだろ。 結構興味あるなそれ」
「……調べ物はしないといったはずですが。 話を聞いていたんですか」
『いやいやめっちゃ調べてるでしょ。 こいつが興味あることに俺は興味が湧いてきたな』
と、私が言うも、どうやら成瀬君の中では冬木空は気になったことは調べる奴、という認識が完成されてしまっているようだ。 思い込みが激しい……のかも。 ただ、事実私は昨日の夜、人に嫌われる方法というのを調べていたわけだけれど。
まぁ、そこまでこの人の勘が鋭いとは思えない。 ただの馬鹿、成瀬君はただの馬鹿。
「なんとなくだよなんとなく。 それより今日は俺と冬木さんの仲を改善しようと、考えてきたことがあるんだ」
「それならば私は協力しません。 改悪というのであれば、協力しますが」
「すげえ嫌な理由だな……」
ここまで、成瀬君とは二日間を過ごしている。 教室ではすぐ後ろで、更にはお互い望まずにクラス委員となり、こうして成瀬君の思考を聞く機会というのはかなり増えていた。 普通の人ならば会って数分、根気のある人でも一日が終わる頃には、私に対して嫌悪感を抱いている。
が、成瀬君からそれを聞けることが一切なかった。 私がどれだけ厳しく、冷たく当たろうと、成瀬君が考えていることの多くは私のことをどうにかする、というものでしかない。 可能性の一つに、過度のお人好しという候補が上がるほどに。
「実は俺には妹がいるんだけどさ」
「……知っています。 一度、会っていますし」
最初の日、あの妹の行動が切っ掛けで成瀬君は私に話しかけてきた、というのを思考を聞いて知っていた。 余計なことをしてくる、というのは兄妹で共通のことなのかもしれない。 私にとっては良い迷惑だ。
「おお、よく妹だって分かったな。 全く似てないだろ」
「見間違えるほどにそっくりかと」
嘘ではない。 性格が、とても似ている気がした。 成瀬君の思考を聞いて、私が勝手に想像する妹像だけれど。
「マジ? 今度並んで写真撮ってみるかな……」
それを成瀬君は見た目の話だと勘違いしたようだ。 別に訂正をしない、そこまでする義理はない。
「ああそれで、その妹から面白いゲームを聞いたんだよ。 お互いお題を出して、その答えを思い浮かべて、当てるってゲーム。 思考推理ゲームとか言ってたっけかな……。 友達とよくやるんだってよ」
「友達と」
その単語は、自然と私の口から出てきた。 友達とやる遊び、友達と。 それに気づき、私はすぐさま別の言葉を続ける。
「……私と成瀬君は友達でもなければ顔見知りでもない、ただの赤の他人なのですが、それでもやるんですか」
「せめて顔見知りくらいにはなってて欲しかったけど!? ……良いだろ別に、こう作業をしてるときって暇じゃんか」
「暇で遊べば、その分成瀬君の作業効率が落ちます。 その皺寄せは私に来るのですが、それが分かって言っているんですか?」
「おう分かってるよ。 迷惑かけてすいません」
素直に頭を下げ、成瀬君は言う。 それが分かっているのならやめて欲しかったが、それについて私が何か言う前に成瀬君は再び口を開いた。
「だから冬木にとってもメリットのあるゲームにしよう。 もしも俺の考えたものを一発で当てられれば、金輪際お前に絡むのはやめてやろう」
「……その発言自体、どうかと思いますが。 普通に何かをしなくともやめて欲しいという意見は通らないんですか」
「通らない!」
自信満々に彼は言う。 やはり、この人は相当厄介かつ面倒くさい人物だ。 交友を自ら断つつもりはあまりなく、私の態度を見ようと、関係なしに接触し続けてくる。 今ここで、成瀬君との関係を断てる方法があるのならやるべきではないだろうか?
……いやいや、それこそ成瀬君の思惑通りかもしれない。 ここはひとつ、彼の狙いを考えて見よう。
成瀬君としては、度々聞き取れる思考からいって、私との距離を縮めることが目的だろう。 それを当面の目的だ、と考えていたのを聞き取ったことがある。 一体全体どうしてそのようなことをしているのか、そのような思考をしているのか、というのは一旦置いておいて。 重要なのは、当面の目的をそれとしていること。
「……冬木さーん?」
なら、本当の目的はその先。 ここまで私に近づいてきて、更に他の同級生と話しているところは見ない。 可能性としては……裏で長峰さんらと繋がっており、私が心を開いた瞬間にネタバラシ、というものがある。
それならそれで大いに結構。 私に構った所為で孤独になる成瀬君は存在しなくなる。
「あのー聞いてますかー?」
しかしそうだとしても、成瀬君からは私に関する嫌な思考、というのがまったく聞こえない。 人は何かをするとき思考しなければならなくて、なのに成瀬君の裏には全く何も見えてこない。 それは、妙だ。
このとき考えられる可能性、それは成瀬君が無自覚の内に利用されている、という可能性。 成瀬君の特徴として、人の話を聞かない、無神経にズカズカと入ってくる、馴れ馴れしい、というのがある。 そうであれば騙されていると考えてもおかしい部分はない。 そして、無自覚の内に成瀬君は私にこのゲームを提案している、ということだ。
もしも私が勝てば、成瀬君は金輪際私に絡むのは止めると言っている。 それが意味するところは、私が勝てばネタバラシをする、ということになるだろう。 そして成瀬君が勝った場合は……。
……そうだ! 単純なこと、成瀬君が勝った場合の話をしていなかった。 このまま私が勝負に乗っていたら、成瀬君はとんでもない要求をしていたんじゃないだろうか。 危ない……気付けて良かった。
「おーい、生きてますかー?」
「その手には乗りません」
「えっ……なんの話?」
「成瀬君が勝った場合のことを話していません。 賭け事をするのであれば、お互いのメリット、デメリットを共有するべきかと」
人差し指を立て、強く言う。
「いきなり言うから何かと思った……。 俺が勝った場合か、そうだな」
成瀬君は腕組みをし、頭を捻る。 本当に考えていなかったのか、そんな仕草を数秒続けていた。 こういうとき、こういう場合にタイミング良く思考を聞ければ多少なりとも便利だと感じられるものの、そのときに限って何も聞こえてこない。 自由に扱えれば、どれだけ安心できることか。
「じゃあ、俺が勝ったら無視するのやめるってのはどうだ」
「……はい? 私が無視、ですか」
「いやそんな疑問符出されても困るんだけど!? お前毎回毎回、最初は必ず無視してるじゃねーか!」
「自然としていたので、そう意識したことはありませんが……。 そんなことで良いんですか?」
「恐ろしい返事だなそれ。 おう、それで良いよ」
とんでもない条件を言うか、はたまた賭け自体を取り消してくるかと思っていたけれど……違う、のかな。 成瀬君は至って普通に、その条件を出してきた。 とは言っても、私にだって簡単に飲み込める条件ではない。
「……教室では例外ということでもいいなら」
「教室では? なんでまた」
「成瀬君と話しているところを見られたくないからです」
「すいませんね毎回毎回話しかけて」
正確に言うと、成瀬君と話せば、彼の立場が危うくなってしまうから。 私、冬木空という人間はそういう人間として最早形が定まってしまっている。 私は言わば、居るだけで周囲に不幸を振り撒くような、そんな存在だ。
「けど分かったよ、それで良いなら。 ってわけでゲームの内容だけど……大方はさっき説明した通り、お題を一つ決めて、そのお題に沿ったものを頭に思い浮かべる。 んで、それを三回だけ質問したあとに当てるってゲーム」
「なるほど。 ですが、答え合わせはどのように?」
「ん? 合ってりゃ合ってたで、外れてたら外れてただよ」
……何を言っているのだろうか。 そのゲーム自体、致命的な欠陥が現時点ではあるけれど。
「そのルールであるなら、私は嘘を吐くので成瀬君の勝ちはあり得ません」
「……ああそっか。 それじゃあ紙に答えを書いておくってのはどうだ?」
成瀬君は何故か納得したように言うと、資料の山から不要な紙を一枚取り出す。 そこで納得するというのはおかしい話で、成瀬君はもしかしたら、今まで嘘を吐く人間に出会ったことがない夢の国の住人なのかもしれないと、そう思った。
……さすがにそれはないか。 ここは、私を不用心に信頼している、と結論付けておこう。
「分かりました。 それでは、始めましょう」
不本意ながら、私は成瀬君とそのゲームをすることになるのだった。 勝負は一回切り、お互いが正解、お互いが不正解の場合は引き分け。 どちらかが勝ったら先ほどの条件……私が勝った場合は金輪際、成瀬君は私に絡まないこと。 成瀬君が勝った場合、私が成瀬君のことを無視しないこと。 という条件だ。
「まずは冬木が当てる番からだな。 お題なんかあるか?」
「……では、成瀬君の好きな食べ物で」
この勝負、正直有利は私にある。 不規則ではあるものの、私は人の思考を聞けることができるのだから、私に圧倒的に有利なのだ。 とは言っても、そうやって思考を聞きたいときに聞ける、という優れたものでもない。 あくまでも客観的に、総合的に見ると私の方が有利、というだけだ。
「好きな食べ物か……オッケー」
成瀬君は数秒、考えるような仕草を取る。 そして、置いてあった紙にスラスラと文字を書くと、それを伏せて私を見た。 そこまですぐに出てくるのなら、やはり相当に好きな食べ物なのだろう。
「質問は三回、でしたか」
「おう、それに俺は「はい」か「いいえ」で答えるだけ。 三回あれば冬木にとっちゃ楽勝かもな」
「あなたが私の何を知っているんですか」
「……冗談だよ、怒るなって」
「怒ってはいません」
よく、勘違いされる。 話し方こそ癖でしかないが、私はどうやら表情に変化が小さいらしく、怒っていないのに怒っていると勘違いされることが多々ある。 無愛想といえばそうなのかもしれないし、別にそれ自体を直そうとも思っていない。 他人にどう思われようと、私はあまりそれを聞きたくないだけ。
「それはデザートですか? お菓子、スイーツ、その類でしょうか」
「いきなり絞ってきたな……答えは「はい」だ。 お前まさか俺の好きな食べ物知ってたりしないよね?」
「成瀬君の好きな食べ物が雑草だろうとゴミだろうと虫だろうと、私にとってはどうでも良いので知らないです」
「雑草とかゴミとか虫とか食べないからね? 一応言っておくけど」
それは本当にどうでも良い。 しかし、これでその食べ物を大分絞ることができた。 後、残された質問は2回……ここで最善の質問は。
「……一般的に、レストランなどでデザートとして出て来るものですか?」
「それはあんま絞れないと思うぞ。 答えは「いいえ」だ、そういうものじゃない」
「ふむ」
口元に手を当て、私は思考する。 残された質問は一回、レストランで出てこないとなると、ケーキやプリン、アイスなどは除外されると考えて良い。 成瀬君がひょっとしたらレストランに出てくるデザートを知らない、という可能性もなくはないけれど、もしもそうだったらそこを突けば、成瀬君の不正となり私の勝ちは決まる。
「……特定までは難しそうですね。 それは日頃口にするような甘いものですか」
「ああ、お前も食べたことはあるだろうし、日頃食べるような甘いものだよ」
「なるほど」
これで大分絞ることができたが、それでも特定にまでは至らない。 成瀬君に今後絡まれないための勝負だったけれど、勝ちを拾うのはやはり難しそうだ。 もっとも、私が勝つのが難しいのと一緒で、成瀬君が勝つのも難しい話。
が、そこで声が聞こえた。 正確に言えば、成瀬君の思考が聞こえた。 あまりにも偶然で、しかし私の耳にはしっかりと届く。
『朱里が作ったチョコ』
……いや、それはどうなんだ。 その答えは、確かにチョコと答えれば当たりそうなものだけれど、考えていることがあまりにも酷すぎる。 朱里というのは確か成瀬君の妹で、私とこうして接するようになった諸悪の根源でもある。 そんな妹が作ったチョコが好物だと真面目に考える成瀬君は、正直気持ち悪い。
「ほら冬木、もう三回質問は使ったぞ。 答えは?」
「その前に、成瀬君は私が勝てば、本当に金輪際絡まないんですか」
「約束は約束だし。 まぁ相当難しいことだけど、ちゃんと約束は守る」
「異常なほどに付き纏っているのに、ですか?」
「異常とか言わないでくれますか!? ぶっちゃけ、俺には勝つ秘策があるからな。 だから悪くて引き分け、良くてお前に無視されなくなるって考えなんだよ」
……その秘策というのも気になるけれど、きっと100パーセントの策ではないだろう。 だというのに、成瀬君は私に無視されないことを重要視している、ということだろうか? それはなんだか、少しむず痒くもなるような考えだ。
多くの人は、私を無視し、私に一切関わらず、私を空気のように扱っている。 空気、とは少し違うかな。 空気はなければならないから、不必要な何かだと考えている。
だけど、成瀬君はそんな私に構い続ける。 そしてあまつさえ「無視されなくなる」ことを望んでいるのだ。 多くの人が喜ぶであろう、私に無視されるという行為を望んでいない。 なんだか不思議な気持ちだった。
……。
……私は。
「……ガム、でしょうか」
私は、言えなかった。 なぜか、と問われれば分からないという答えが一番最適解だろう。 私自身でも分からない、その感情は恐らく、思考を聞いてしまったことへの罪悪感だと思う。 このゲームにおいて、不正のようなことは良くないという、正義感かはたまた罪悪感、そういった類の感情だったと思う。
だから、私は別の答えを口にした。 そうなんだと、思う。
「ハズレだ! 答えはチョコ、ちなみに朱里が作ったチョコなんだけど、めちゃくちゃ美味い」
「……そうですか」
「微妙な反応だなおい……そんなに外れたのが残念だったのかよ」
それは、知っていたから。 知っていたから、あまり反応が取れないだけ。 そうでなければ、なんだと言うんだ。
そして、次は成瀬君の番。 私は成瀬君のお題を聞いて、答えを外したことを後悔する羽目になる。 なぜって、それは成瀬君のお題があまりにも酷かったから。
「じゃあ俺の番な。 お題は「俺が好きな食べ物」でいこう。 知ってるからいけるよな?」
「……」
もう少し成瀬君のことを知っていれば、こうしてハメられることはなかったのかな。 というか、そこまでして私に勝ちたいという姿勢は凄いかもしれないけど、成瀬君にはプライドというものが存在しないのだろう。
そして、成瀬君のことを一つ……いや、二つ知った、二日目の放課後のことだった。
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