第16話『希望と、現状』

 私には人の思考が読める。 いや、読めるというのは多少の語弊があるから言い直そう。


 私には、人の思考が聞こえる。 これは物心が付いたときからのもので、それが原因で親には捨てられる羽目になった。 なんだこの子は、気持ち悪い。 笑顔で優しい言葉をかけてくれた両親は、そう思っていた。


『うわ、朝からこいつかよ』


 そんな思考が聞こえてきた。 廊下ですれ違った男子生徒の声だ。 朝から私に会うというのは、黒猫が目の前を横切るかのように、靴紐が切れたかのように、縁起の悪いことのよう。 かと言ってそれに不満、文句といった類の感情は抱かない。 それは私が無感情だから、というわけではなく、ただただその流れに慣れてしまっただけ。 どれだけ汚い言葉でも、毎日聞いていれば慣れてしまう。


「……」


 実際に正面から言われることもある。 今日も無愛想だな、一匹狼を気取るな、可愛いと思ってるの、気持ち悪い、死ね、などなど。 それらを挙げれば枚挙に暇がないが、そういう風に正面からの言葉を防ぐ術を私は持っていた。 それが音楽を聴くということ、最初は何でも聴ければ良くて、家にあったジャズのCDを勝手に拝借したことが始まりだった。 そんな暇潰し、自己防衛のためのジャズは、今では趣味と言えるレベルにまで達してしまった。 まるで興味がなかったそれが、今では唯一の楽しみとも言えるほどに。


 しかし、そんな自己防衛の音楽も教室内に入り、席に座れば外さねばならない。 入学してから二日目、中学生のときから殆ど変わらない面子、変わらない空気、変わらない世界は私を枠の外へと追いやっている。 人の思考が聞けるなんて、百害あって一利なし。 私はこんな力をくれたどこかのお節介な人を呪う。


「おはよう」


「……」


 私がイヤホンを外したのを見計らったかのように、後ろの男が声を掛けてきた。 この男は昨日も帰り道で私に話しかけてきていて、見ない顔ということは高校に進学するのと同時に引っ越しでもしたのだろう。 私に話しかける、という行為がどのような意味を持つのか理解していない、分かっていない。 そんなことをすれば、この男も私同様、枠の外へ追いやられるというのに。 この世界には枠があって、その中に収まる範囲で行動しなければならないようにできている。 男の行動、私に話しかけるという行動は、明確にその枠外へとはみ出る行動だ。 空気を察して欲しいと強く思う。


 だから、私は男の方を一度ハッキリと見て、何も言わずに前へと視線を戻す。 こうすればあからさまに無視をされた、ということが男には分かるはず。 そうすれば抱く感情は嫌悪感、そうして私を嫌うことで、その他多くの仲間たちを手に入れられるなら、それが最善のはず。


『うわ、この人冬木に話しかけるとか……』


 ほら、こうなった。 男の隣の女子生徒が、格好ではまるで興味なさそうにしているがそう思っている。 私に関わるとろくなことはない、何度も同じように、私に関わろうとしてくる人は居たけれど、最終的には私の敵へと回るだけだ。


「はーい、ホームルーム始めるよー」


 そんなとき、丁度良いタイミングで担任である北見先生が教室内へ入ってくるなり、元気な声でそう言った。 それに伴い、教室内の喧騒は静まり、学校の一日が始まったことを表している。


『……ねむ』


 後ろからの声。 名前は……成瀬、成瀬という人。 一日の始まりから考えることが「眠い」とは、一体どのような生活を送っているのだろう。 学生だからといって、日常生活のリズムを崩すのは関心できない。 しようとも思わないけど。


 こうした思考は、私の近くに居る人限定で聞こえてくる。 不幸中の幸いか、教室内の声が全て聞こえるなんてことはなく、聞こえるのは精々二つほど隣くらいまでのものだった。 私がここへ座ったとき、まるで罰ゲームの如く、ぽかりと私を中心に席は空いていた。 でも、そんな反抗をしても最終的には席に座らなければならない、私の前、右前、右隣、右後ろ、そして後ろ。 そこに座る人たちは敵曰く「不幸な連中」とのこと。 同じ仲間だというのに、心の中ではそんなことを思っているのを私は知っている。


 かと言って、そんなことを告げ口はしない。 意味がない。 だって、私以外には人の思考を聞けることができる人なんていないから。 言ったところで、ただ頭がおかしい人、という烙印を押されるだけだ。


「それじゃあ今日は帰りのホームルームで委員会を決めていくから、よろしくね」


 北見先生は言い、教室を後にする。 それを確認した私は、手帳を開いて今日の科目に目を落とす。 殆どは座学だけど、高校に入ったばかりということもあり、まだ本格的な授業には移らないと思われる。 そういった場合はただ外を見つめて時間を過ごすということが殆どで、退屈な一日になりそうだな、と思った。




「では今日はここまで」


 年配の教師が言うと、教室内が再び喧騒に包まれた。 時刻は十二時十分、今から一時までが昼休みとなっていて、多少なり心が安らぐ時間でもある。


 私は鞄を持ち、そのまま教室を出て行く。 とは言っても帰るわけではなく、教室に鞄を置きっぱなしにすればどうなるか、あまり想像したくはない結果が待っているだけというのを知っているから。 だから私は教室を離れるとき、鞄を持つようにしていた。 もちろんそれができないときもあり、そういうときはなるべく最後に教室を出て、最初に教室に戻るようにしている。


 そのまま廊下を歩き、階段を登っていく。 目指す場所は人気がない場所、立ち入り禁止の屋上。 当然無断でそれをすれば、最悪停学にもなりかねない。 だから私は担任の北見先生に相談をし、そのような許可を貰っていた。 中学から私についての情報はある程度行っているだろうとの予測と、簡潔明瞭に言ってしまえばイジメのような現状、更にそこに私の思考を聞ける力を使って、屋上に立ち入る許可を得るにはそう苦労はしなかった。 ただし条件として、絶対に他の人にバレては駄目、というものが付随してきたけれど。


「……ふう」


 扉を開け、屋上へ出ると、そこには綺麗な青空と澄んだ空気が広がっている。 少しだけ、特別な感じが嬉しい。 でも、本当に短いたった五十分の安らぐ時間は大切にしないといけない。


「……」


 校庭からは、楽しそうに騒ぐ声が聞こえていた。 校舎内からは、こんな昼休みにも練習をしている吹奏楽部の音楽が鳴っている。 この高校に通う人、全てが今このときを楽しんでいるようにも感じられる。


 たったの三年間。 中学の三年間は、楽しい思い出が結局一つもなかった。 一番多く会話をしたのは、授業中の受け答えかな。 それならいっそ、どの教師と一番多く会話をしたか、というのを記録していくのも面白いかもしれない。 今のところ、一位は北見先生。 二位は……。


 ふと、あの男の人の顔が浮かんだ。 成瀬、成瀬君。 私に話しかけてくる、いつかは私の敵になるであろう人だ。 今のところ、厄介なことに成瀬君が二位に位置づけている。


 三位は、長峰さんだろうか。 入学式の日、クラスの振り分けを見ていた私に、横から「あなたと同じクラスって最悪の気分だよ」と言われた。 私はそれに対し、すいませんと短く返した。 たったそれだけの会話だったけれど、同級生と会話をしたのは数ヶ月ぶりのことだった。


 別に長峰さん……彼女が悪いわけではない。 この私が枠の外に居る状態は、他でもない私が作り上げたものだ。 私が周りを拒絶し、拒否し、逃げ続けた結果、こうなっただけ。 人と仲良くなっても、その人は結局心の中で何かを思う。 その何かを知ったときの痛みは、想像を絶するほどに突き刺さるようなものだった。 それならば独りが良い、独りで居た方がよほど気が楽で、楽しい。


 楽しい。


 ……楽しくは、ないか。


 耳にイヤホンを付け、鞄の中からお弁当を取り出す。 朝、自分で用意したものだ。 世の中にはおかず交換、という友達同士の交流があるらしいけれど、果たしてそれが楽しいのかも分からない。 機会があればやってみたいと思うし、そういう些細なことで楽しめるならその価値は大いにあるのだろう。 しかし残念ながら、私にそんな機会はない。


「……」


 普通の高校生は、どのように生活しているのだろう。 そんなことを考えながら、卵焼きを一つ口に入れる。 砂糖を入れて甘くしてある卵焼きは、今の気分とは正反対のような味だった。


 ……どのように皆は遊んでいるか。 中学のときよりも、その幅は広がるのだと思う。 帰りに友達とご飯を食べたり、もしかしたらお祭りに行ったり、神中山へ遊びに行ったり……それとも反対側、電車に乗り都会へ遊びに行くかもしれないし、その近くにある海で遊ぶこともあるかもしれない。


 そんなことすら、私には分からない。 普通の高校生がどのように遊んでいるか、普通の友達が何をして遊んでいるか、毎日がどれだけ楽しいのか。


 私がどうしてここに居るのかも、分からない。


「……友達、欲しいな」


 誰もいないところで発したその言葉は、誰もいない空に消えていった。

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