第14話『所謂、訪問』

「どうぞ、くつろいでください。 今、飲み物を取ってきますので」


 言われ、冬木は部屋から出て行く。 音楽屋の上、三回建ての構造になっている最上階に冬木の部屋はあった。 外から見たらボロい店なものの、その中は綺麗になっており、この部屋に来るまでの途中の店内にはジャズが流れているといった具合だった。 店主……冬木の保護者は運良くと言って良いのか微妙だが、入れ違いで会うことがなかったのは幸いである。 仮にも保護者側から見て、年頃の女子が部屋に男子を連れ込むというのは良くないことだろうしな。


 ……で、冬木の部屋に通され、冬木にくつろいでくれと言われ、放置されている俺なんだけど。


 すげえ緊張する! すげえ居づらいんだけどなんだこれ! というかあいつも俺を置いて部屋から出て行くとか無警戒にもほどがあるだろ! まぁ邪な思いを抱いていたら即気付けるから……というのがあるからだろうけど。


 にしても、今現在部屋の中心に居る俺だが、まるで動いたら殺される状況の如くその場から動けない。 壁際に移動しようにも、果たして俺が冬木の私物に触れて良いのかが分からない。 チラリと視線を動かす、ベッドが視界に入ってきた。 そして、布団の隙間に何かの足が見えている……。 恐らく、多分ぬいぐるみの類で間違いないが……ああして布団の中にしまっているということは、隠しているということだろう。 めっちゃ戻ってきたらツッコミたいけど、その後に訪れるのは酷い未来しか思い浮かばない。 落ち着け、深呼吸。


 落ち着くと、俺は再び「冬木空の自室に居る」という事態を認識し始めた。 壁って私物に入るんですかね? いやそれともこの室内の空気が冬木の私物なのでは……? 息を止める俺、数十秒後に苦しくなり始め、両手で口元を覆う。 俺の手の中に収めた空気ならば、俺の私物に入るというとんでも理論で生き延びるしかない!


「……何をしているんですか?」


「へ!? いやなにも!?」


 いきなり、冬木の冷めた声が響き渡る。 俺は驚き、目を見開いて冬木の顔を見た。


「と言われましても。 というか、成瀬君のその格好を見ると、とても失礼だと思うのですが」


「……ははは」


 口元を覆っていた手を退けた。 いやはや、冬木さんの言う通りです。


「……臭います?」


 若干気にしたように、というか少し恥ずかしそうに、冬木は問う。 今こそ俺の思考を読んでくれと言いたいが、物事はそううまく運ばない。


「違う違う! じゃなくてだな……ええっと」


 そして、仕方なく状況を説明する俺であった。




「つまり、成瀬君はこの室内の空気を吸い込まないために、ああしていたと」


「……はい、その通りでございます」


 1から10まで。 いや、0から10まで説明させられた俺は、その気恥ずかしさから正座をしながら冬木の言葉を待っていた。 どんな馬鹿にされ方をするんだろうなぁ……。


「……ふふ、一人で何をやっているんですか。 空気を吸わないためって……ふふ」


 冬木は笑いが堪えられないように、口元に拳を作って笑い出す。 笑い方1つとっても上品な仕草だったが、肩を震わせていることからよほどツボに入ったのだろうか。 前から思っていたが、こいつの笑いのセンスはどこかズレている気がしてならない。


「悪いかよ、空気を吸わないために息を止めてたのが」


「ふふ、あはは。 そんな自然の摂理に逆らって……ふふふ」


 ……ふむ。


「水に潜ってるとかじゃなくて、息をしないために止めたんだぞ。 この大変さが分かるか? 」


「あはは! 息をしないために……ふふっ! な、成瀬君、もう大丈夫です。 ふふ」


「息をしないために空気を吸わなかったことがか? それとも空気を吸わないために息をしなかったこと?」


「あははは! それ、それ一緒ですよ! ふふ……やめ、やめてください。 あはは!」


 笑いが抑えられないのか、冬木は珍しく大きな声で笑い出す。 そんな冬木は見たことがなく、俺は手を……いや口をか? 休めることなく言い続けた。


「いや一緒じゃねえよ、目的が違う。 息をしないためにだと自然の摂理に逆らって、空気を吸わないためにでも自然の摂理に逆らってる。 な?」


「だから一緒ですよ! あはははは!」


「いや違うって……」


「いい加減にしてください!」


 やがて、冬木は笑いながらもピシャリと言い放つ。 これ以上やれば怒る、とでも言いたげだ。 更に笑わせたい思いにも駆られるが、やりすぎは良くないな。


「成瀬君、一度やめなさいと言われたことはやめるべきです。 ……ふふ、分かりますか? 人として、一人の人間として、やって良いことと良くないことがあります」


「……ごめんなさい」


 未だに少々笑っているが、冬木の物言いがあまりにも的確、尚かつ芯が通っており、俺はまるで悪さを働いた子供のようにその説教を受けるのであった。




「……ふう。 ところで、話は変わりますが……来月の校外学習、班分けの話は聞いていましたか?」


 冬木は言いたいだけ俺に言うと、一旦息を吐き出したあと、そう尋ねて来た。 マジで話が180度変わってビックリっす。


「え、なにそれ」


「本当に何も聞いてないんですね、成瀬君は。 その件についても私からひと言ふた言はあるのですが……今は良いです。 成瀬君が校庭に居た小鳥について考えてたので、大体は察していましたし」


「……いやあれは二羽いたから、夫婦なのかなとか考えてて」


「知ってます。 ですが聞いてません」


 バッサリと言われる俺である。 てかそんな思考がいつの間に読まれてたんだ! 恥ずかしい!


「……こほん。 それで、校外学習の班分けはクラスの縦の列、1班7人の計5班、私と成瀬君は同じ班です」


「へー。 そういやクラスの人数って少ないよな。 クラスも多いわけじゃないし」


 前にいた中学は1クラス40人以上いたが、今の高校は35人前後だ。 まぁそこは田舎というせいなのだろうが。


 ……そういや、更にそういやのことだが、今の席順というのは名前順ではなく、入学式後に各自が座った席がそのままである。 通常、窓際ってのは人気席で、取り合いにもなりそうだったが……俺が教室に入ったとき、空いてたんだよな。 窓際の一番後ろ、一番の人気席とも言えるそこが。 ぼっちにとっても大変人気な席だ!


「それについては、私の所為ですね。 私が今の席に座ったので、その周りは避けられたんです」


「おお……読んだか。 お前そういうの怒らないのか?」


「怒るだけ時間の無駄かと」


「うーん……けど、それならなんで一番後ろじゃなくて一個開けたんだ?」


 些細な反抗だろうか。 そう思い俺は尋ねたのだが、冬木から返ってきたのはもっともな返事だ。


「プリント類は手渡しで後ろへ回します。 私が一番後ろの場合、私の下まで来ないということを二年前に学んでいます。 なので、もし渡さなければ私の後ろも巻き添えになるという意味を出すためあそこにしています」


「あー、そういうことか。 んで、俺が座ったと」


「はい。 ですので、あまり意味がなかったです」


「おい」


 それってあれだよね。 俺もクラスの中では浮いているから、2人揃ってプリントが回って来ないかもってことだよね。 今のところはまだ大丈夫だけど、めちゃ心配になってきたぞ!


「まぁそれは良いとして、私たちの班は秋月さん、水原みずはらさん、斎藤さいとうさん、宮村みやむらさん、横田よこたさんに私たち2人で7人の班です」


「全然顔と名前が一致しねえ。 その秋月って奴はかろうじで分かるけど」


「彼女は少々特殊ですからね、それはそうと顔と名前が一致しない……というのは、私もです」


 ……いや俺はともかくとして、今の高校って殆どが中学から同じ面子のはずなのに、覚えてないのはどうなんだ。


「成瀬君は、敵のことは覚えていますか?」


 と、またもや俺の思考を読み取ったのか、冬木はそう尋ねてくる。


「嫌なことはそりゃ忘れたいけど」


「私にとって、周りの全ては敵です。 ですので、それを一々覚える暇があれば、計算式のひとつでも頭に入れます」


 冬木は無表情で言う。 その言葉だけで、冬木がどのような仕打ちを受けてきたのか容易に想像ができた。 先ほどのプリントが回ってこないことといい、覚えておきたいことではないのだろう。


「……すいません、語弊がありました。 今は、全てではなかったですね。 成瀬君がいますから」


「おう。 頼りないかもだけどな」


「そうですね」


 冬木は少し笑い、そう言った。 冬木の周りに靄がないことから、それは嘘ではない。 しかし、それは冬木が本気でそう思っているわけではないことくらい、俺にでも分かった。


 俺の眼は冗談を見抜けるものではない。 あくまでも嘘を見抜くもの、それは酷く曖昧だけれど、それがしっかり判断できるようになったのは、冬木のおかげかもしれない。


 そんなとき。 不意に、部屋の扉が開かれる。 もちろん、俺が開いたわけでも冬木が開いたわけでもない。 俺と冬木は今、向かい合って座っているのだから当然だ。 俺は先ほどの流れから正座で、冬木も正座という珍妙な光景だが。 そして自然と開いたわけでもない。


「……客か」


 そこに立っていたのは、30そこそこの男だった。 見た目はイカツイ部類に入るだろう、男。 切れ目に耳にかかるほどの髪であるが、チャラいというよりも渋いという言葉が似合いそうな男だった。

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