第11話『所謂、友達』

「うっす、悪いな遅れて」


「いえ」


 その後、クラス委員室へと行った俺は、扉を開けながら中に居る冬木にそう伝える。 冬木は一瞬だけ俺に視線を向けるが、すぐさままた作業中の手元へと視線を落とした。 真面目というのを体現したかのような存在だな。 こいつの中には遊びという概念がひょっとしたらないのかもしれない。


「北見先生はなんと?」


「ん、お前の保護者と連絡が取れなくて困ってるって。 だからなんとかして欲しいって頼まれた」


「……それは私に直接言って良いことなんですか? それに、成瀬君に頼む理由が分かりませんが」


「いやだってお前に隠し事できないじゃん。 それなら言いにくいことも隠しておくより言った方が良くない?」


 無意識、かつ無差別に冬木は近くにいる人間の思考を読み取ってしまう。 冬木自身が望まなくとも、人の思考を聞いてしまうのは人間関係として致命的なことだろう。 嘘が見えてしまう俺も大概だけど、表面上のそれよりも人の内面を見てしまう冬木の方が、よほど辛いのだと思う。


「それを言えば、成瀬君にも隠し事はできませんが。 現に、私に付き纏って私の秘密を知ったではないですか。 毎日毎日話しかけ、私はどうしようかと結構悩みました」


「すげえ棘のある言い方だねそれ……聞く人が聞けば捕まり兼ねないから、付き纏っていたって思うのそろそろ止めて欲しいよ俺。 とにかく北見から言われたのはそれだけだ、伝えたからな」


 とは言ったものの、隠し事というのができないわけではない。 要するに、冬木の近くに行ったとき、そのことを考えなければ良いだけだ! 考えなければ読まれることはない!


「……そのことを考えなければ良いとは、何をですか?」


 そこ読んじゃった!? そこ読まれるとどうしようもねえな!


「いや別になんでも――――――――」


「何を隠しているんですか? 考えなければ大丈夫、とは私に悟られないように、ということですよね? 気になりますが」


 ……こいつこんな喋る奴だっけ? いやまぁそれはどうでも良いとして、ぐいぐいと顔を近づけて言うのは止めてほしい、心臓に悪い。 その真っ直ぐな視線を俺に向けると俺は逃げられる気が全くしない。


「何を隠しているんですか、成瀬君」


 顔を逸らすものの、冬木は無表情で俺の顔を覗き込む。 一度そこを読まれてしまったら、冬木の追求を逃れるのは困難を極めるということが良く分かった。 それが例え断片的なものだったとしても、頭が良い冬木は勘付いてしまう。


「えーっと、別にそんな大したことじゃないけど」


「では、話してください。 大したことでないならば、隠す意味が分かり兼ねます」


 ……観念するしかないか。


「冬木が喜んでたって、俺と友達になれて」


 満を持して言ってみた。 これ、俺どうなっても知らないからね。 全ては俺に話した北見が悪い。 俺は悪くない、俺は悪くない。


「喜んではいません」


 即答である。 だがしかし、なんて言えばいいのか、冬木の周りに黒い靄が現れている。 俺どんな顔をすればいいの、こんなとき。


「……成瀬君の眼には何かが見えているかもしれませんが、喜んではいません」


「いやでも……」


「喜んではいません」


 ハッキリと、無表情で冬木は俺にそう告げる。 いやもう分かった分かった分かったよ! 嘘でも傷付くからそれ以上は止めてっ!


「心外です。 私はただ、丁度良い暇潰し相手を見つけただけだというのに」


「随分酷い言い方だな!?」


 まぁ、それもまた嘘だから良いんだけどさ。


「そんな暇潰し相手の成瀬君ですが、今日の予定は?」


 ふいに、冬木がそんなことを言う。 俺に予定があるというのが間違っていることに気付いていないらしいな。 強いて言えば朱里と遊ぶ可能性があるくらいで、他の予定は一切ナシだ。 その朱里と遊ぶということも、全ては朱里の気まぐれで決まるから予定としては埋まっていない。


「ないけど」


「では、帰りに少し付き合って欲しいことがあります」


 ……また珍しい。 なんだか昨日から今日にかけて、冬木の態度が百八十度変わった気もする。 普通に話し、普通に接する。 きっと、本来の冬木はこういう奴なんだろうと、そう思った。


 ま、それは俺も一緒か。 昨日までの俺だったら、今の冬木の頼みも断っていただろう。




 そして、午後五時。 クラス委員としての仕事を終えた俺と冬木は、昇降口から学校の外へ出る。 少し話は変わるが、今の今まで相談役としての仕事はしたことがない。 むしろクラスの中でも随分と浮いている俺たちに相談する奴が居るとは思えないが。


「それで用事って?」


「……黙って付いてきてください」


 冬木は言い、スタスタと歩く。 俺は言われた通りに黙って、冬木の後に付いていく。 てっきり、俺が話した冬木の保護者のことで何かあると思ったのだが、冬木が向かうのは駅とは正反対の方だ。 特に面白い物があるわけでもない方向に、冬木は歩いて行く。


 背筋をピンと伸ばし、カーディガンを羽織り、スカートを履く冬木は、明るい髪色も相まって後ろから見れば完璧にヤンキーである。 まぁスカートの丈は長い方だし、歩き方がえらく綺麗なことからよくよく観察すれば違うと分かるけども。


「そういや、冬木の力っていつくらいからなんだ?」


「数十秒前に言った言いつけも守れないんですか、成瀬君は」


 呆れたように、眉を顰めて冬木は俺の顔を見る。 いや待て、別にそれについて文句を言うのは一向に構わないけど、言い付けってなんだよ言い付けって! 俺とお前はあくまでも対等だぞ!? 昨日友達になろうって話したよね!? こいつにとっての友達ってまさかそういうこと!? 主従関係って言うんですけどそれ!


「物心が付いたときには既に。 成瀬君は?」


 なんだ、結局話してくれるのか。 何かは言ってくるが、基本的に質問にはしっかりと答えてくれるな……。 でもこれは今に始まったことではなく、最初からか。


「俺も似たような感じだな。 最初はそれが当たり前って思ってた」


「ふふ、私もです。 でも、日が立つにつれて分かってくる。 自分が見ている世界は、他の人達が見ている世界とは違うと」


「……んで、最初はそれが楽しい。 俺の場合は人の嘘が見えるなんて、どんだけ便利なんだって」


「私の場合は、人の考えがすぐに分かり、気を利かせることも人に好かれるのも自由自在に」


 そう、最初はそうだった。 冬木もそれは一緒だったようで、ぽつりぽつりとそんな言葉を漏らす。 だが、その後に待っているのは決して楽観的な未来ではない。


「ある日、私は人の悪意に触れました。 けれど、その人は笑っていました」


「俺もだ。 人は平気な顔をして嘘を吐くと、知った」


 それは着々と積み重なる。 そして、最後には人の奥底にあるグチャグチャとした黒い泥に飲まれていく。 人が心の奥底で思っていることは、果てしなく黒く、黒く、黒いのだ。


 それが見えてしまうということは、嘘のない世界を見るのと同義だ。 それはどれだけ理想的な世界なのだろうと、空想学者は言うかもしれない。 だが、実際に見た俺からすれば、それは悪夢に他ならない。 人がどれだけ日常的に嘘を吐くか、他愛ないことから決して吐いてはいけないことまで、人は平気で嘘を重ねる。 平気で人を陥れる。 誰もが思っている以上に、それは日常的なものだった。


「……そして、私は一人が良いと思いました。 周りに誰も近寄らなければ、そんな感情に触れなくて済むので」


「そうだな。 周りに嘘を吐く奴がいなけりゃ、嘘を見ることもない」


 しかし、学生身分である俺たちにはそれが難しい。 人の集まり、社会の縮図のような箱庭に居る俺たちには、人と触れ合わないことはできなかった。 だから極力それを避けた、だから一人で居た。 しかし、そこは一人の世界ではなかった。 同じ場所に居る奴は、思いの外すぐ近くに居たんだ。


「私にとって、成瀬君は初めての友達です」


「……マジ? お前結構寂しい奴だったんだな」


「なっ……! そこは嘘でも「自分もだ」と言うところではないですか!?」


 俺の言葉がプライドを傷つけたのか、冬木は怒ったように怒鳴りつける。 その反応も新鮮で、なんだか面白かった。 冬木は少し顔を赤くし、俺に言う姿は面白い。


「嘘吐いたってバレるだろ。 別に良いじゃんか」


「……まぁそれもそうですね。 では、その点で言えば成瀬君は私の先輩ということですね」


 おお、案外悪い響きではない。 それに冬木に慕われるというのは存外気持ちが良いな……。 あれ、もしかして普段虐げられているからか? だとしたら俺、めちゃくちゃ悲しくね? なんかうまいこと飼い慣らされている気がするが……気のせいだよな?


「実は、今日は成瀬君と遊ぼうと思ったんです」


 冬木は言うと、立ち止まる。 俺は数歩進んでからそれに気づき、足を止めて振り返った。 冬木は道路脇の桜の木を見上げ、風によって流される髪を抑えている。 尊いような、儚いような、そんな表情は印象的だった。


「俺と?」


「はい」


 言い、俺の方へと冬木は向き直った。 そして、真っ直ぐこちらを見ながら続ける。


「友達と遊ぶ、ということが分からなかったんです。 とりあえず誘ってみたものの、何をすれば良いのか、何を目的にすれば良いのか、そもそも友達と遊ぶとはどういうことなのか、それが分からなくて」


「そっか。 まぁ別にこれっていう決まった形はないと思うけど」


 なんとなく、冬木の気持ちは分かる。 冬木は今までずっと一人で、友達と遊んだことすらないのだ。 だから何をすれば良いのかが分からない、遊ぶということ自体が分からない。


 それは俺も一緒だ。 だが、少なくとも俺の方が場数としては多い方だろう。 一般的な人と比べたら、そりゃめちゃくちゃ劣っているだろうが。


「とりあえず……あ、今日ってまだ時間は大丈夫?」


「今日は大丈夫です。 比島さんは今日、他で演奏があるので、帰りも遅いですし」


 ……比島さんというのは、冬木の暮らしている家、その店の名前でもあった人だ。 そこの関係は気になるものの、やはり軽々しくして良い質問じゃあない気がする。


「ならさ、俺の家来るか? 朱里も話してみたいって言ってたんだ」


「成瀬君の家……ですか? ええ、はい……なんだか、それは少し楽しそうです」


 驚いたような、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、冬木は言う。 俺以外から見たら、きっと冬木の表情はそれほど嬉しそうには見えないのだろう。 だが、俺にとっては冬木のその表情の変化は大きくて、冬木が喜んでいるということは分かった。


「おっし、じゃあ行こうぜ。 あんま遅くなりすぎると寒くなるしさ」


「はい」


 こくんと頷き、冬木は小さい体を再度、俺の隣まで動かした。 遊び方というのを決めるだけで随分な時間を食ってしまったが、それもまたどこか楽しい。 そう感じた、四月のことであった。

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