第9話『二人の話』

「……ッ!」


 冬木は俺の顔を見てしばし固まった後、踵を返して走り出そうとする。


「待てよッ!!」


 それは予想が出来ていたことだった。 冬木の顔はあまりにも悲壮に満ちていて、そしてこの場から逃げ出したいような顔をしていたからだ。 そんな顔は、俺が一番良く知っている。 俺もその昔、きっとそんな顔をしていたのだろう。 どんな気持ちでどんな想いか、少なくとも多少は理解ができる。


 だから分かった、それだけは分かった。 そして、ここで逃げ出すことはこれから負け続けることを意味している。 負けて、負けて、負け続ける。 俺がそうだったから、そうなんだ。 俺と同じような目に遭う奴はこれ以上増えて欲しくはない。 そんな想いをするのは俺だけで十分だ。


「離してくださいっ!!」


「断るッ! どうして逃げるんだよ冬木! 話もまだ途中だし、お前の言いたいことを俺は聞いてねえぞ!」


「どうして……ッ!」


 掴んだ腕を振りほどこうと、冬木は必死に腕を振るう。 今までの落ち着いた雰囲気、そして冷たい雰囲気からは想像できないほどに必死で、それが冬木の本音のようにも思えた。 決して他者に見せることのなかった、本音。


「言っとくけどな、ここでお前が逃げたとしても、俺は明日もお前に絡むぞ。 お前と居るのは、そんなに嫌じゃない」


「ッ……どうしても、そう言うんですね。 そう、想うんですね」


 冬木が腕に込めていた力が抜けていく。 それを肌で確認した俺は腕を離し、冬木の顔を見た。 涙で光る顔は、どこか幻想的のようにも見え、俺は不覚であったものの一瞬、見惚れてしまう。 だが、すぐさま思考を振り払い、冬木の顔を見直した。


「何があったんだよ、冬木。 俺にはお前が周りを嫌っているようには見えない、本当は普通に打ち解けたいんじゃないのか? クラスに」


「……分かりました。 成瀬君は、どうあってもそうなんですね。 仕方ありません」


 冬木は言い、諦めたかのようにゆっくり、歩き出す。 すぐさまその後ろを付いていき、無言のまま俺と冬木は歩いて行く。 数分、数十分、どれくらいかは分からないが、それほど長くない時間歩いた俺たちはやがて、川沿いに置かれているベンチに辿り着く。 冬木はそこで立ち止まり、ベンチに腰掛けた。 それを見た俺もまた、人一人分ほどのスペースを開けてベンチに座る。


「私のことを話します。 私の秘密はたった一つ、それを聞いた成瀬君はこう思うでしょう。 私を連れて行くべきは、どこかの病院だと」


「どうだか。 そう思わない自信はあるぜ」


「……ならば、賭けをしますか。 もしも成瀬君がそう思ったら、金輪際私に関わるのは止めて頂くと」


「別に良いけど、それならお前は何を賭けるんだよ?」


 それに、仮に俺がそう思ったとして冬木にそれを知る術はない。 明らかに不公平な賭けになってしまうが……本当に良いのか、こいつ。 まぁ、冬木がそれで良いというのなら俺は構わないが。


「……もしもそう思わなかったら、きっと成瀬君とは仲の良い友達、というものになれると思うんです」


「……俺と? いや、まぁ、よく分からないけど」


 冬木の口からそんな言葉が聞けるなんて、正直な話、思ってすらいなかった。 だが、そう言ったということは、冬木はやはり心の奥底では人のことを嫌っているというわけではない。 ただ何かを抱えていて、その何かが大きくて、どうしようもないだけなのだ。 冬木がたった今発した言葉は嘘ではない、本気でそう思っているのだ。


「では」


 それを聞くと、冬木は顔を前へと向けてゆっくりと語りだす。 冬木空、その人物のことを。


「……私は」


 言いづらそうに、そう何度も口にする。 何度も途中まで口に出し、そして数秒黙り込む。 そんなことを冬木は繰り返していた。 俺はただ、その間ずっと待ち続ける。 冬木が言おうとしている言葉をしっかりと聞くべく、言葉に出せるその時を待った。


「私は」


 瞼を強く閉じ、息を大きく吐き出す。 それが心を落ち着かせたのか、次に冬木が眼を開けたそのとき、その眼に迷いはなかった。 そして、冬木はようやく次の言葉を紡いだ。


「私は――――――――んです」


「……………………は?」


 それは、あまりにも予想外の言葉だった。 俺の予想する範疇を大きく超え、そして俺の想像を明らかに逸脱した答え。 冬木空は、人の思考を読み取る力を持っている、冬木はそう口にしたのだ。 冬木の言葉は嘘ではない、何一つ、一欠片も嘘など含まれていない。


「近くに居る誰かの思考が、私の耳に届くんです。 私が望まなくとも、頭に響くように聞こえてくるんです。 だから、私は人が怖い」


「お前……それ、マジか?」


 嘘ではないと分かっていても、俺は聞き返してしまった。 だって、あまりにもその言葉は信じ難いもので……俺はそのとき、嘘であって欲しくないと、そう思っていた。


「……だから言ったじゃないですか。 成瀬君は、私がそう口にしたとき、連れて行くべきはどこかの病院だと思う、と。 別に怒りはしません、唐突にそんなことを言う頭がおかしい女、そう思うのは当たり前で、普通です。 だから……え?」


 冬木は一人で続けると、唐突に俺の方へ顔を向けた。 きっと、その瞬間俺の思考を読み取ったのだろう。 俺の思考を聞いてしまったのだろう。 だから、驚いた。 だから、信じられなかった。 だから、冬木は動けなかった。


 俺はそのとき、こう思っていた。


 やっと会えた、と。


 思えば、冬木空は不思議な奴だった。 とてもそうは見えないのに、やたら察しが良く、そして驚くほどに人を見抜く眼を持っている。 今日のこの資料集めだって、俺が言う前に自分から言い出したくらいだ。 更に、冬木は俺の考えを読んでいるかのような言動、行動は少なからずあった。


 今だから思える。 それは、冬木が俺の思考を図らずとも読み取ってしまっていたことに。


 きっと怖かったのだろう。 きっと孤独だったのだろう。 人の思考を読み取る、それはある意味俺の持つ力よりもよっぽど残酷だ。 俺の力はあくまでも人の嘘が見えるというだけで、人が奥底に秘めている想いを見抜く力ではない。 だからある程度はマシだった、だから今日まで普通でいられた。 しかし、冬木の力は違う。 人が心の奥底で秘めている想い、それを見てしまう。


 ……冬木は、俺のように人が分からなくなって怯えたのではない。 人が分かりすぎてしまって、怯えたのだ。


「はは、あはは……はははッ!!」


「あ……と、急に、何を」


 俺が笑いだした意味が分からなかったのか、冬木は怪訝な目を俺に向ける。 そうか、いつでも思考を読めるというわけではなく、それに規則性はない完全なるランダムなのか。 なら、俺のことを知らなかったのも無理はない。


「悪い悪い、いや、なんかすげえ良く分かったよ。 けど、賭けは俺の勝ちだな」


「……どうして」


 全く理解ができないといったように、それこそ俺の頭がおかしくなったんじゃないか、といった風に冬木は俺を見ている。 でも仕方ないだろ、今まで散々考えていたのが馬鹿みたいに思えてきたよ俺は。 こんなこと、普通はないだろ?


「とっとと話せばもっと早く仲良くなれたかもな、冬木。 改めて自己紹介しとく。 俺は成瀬修一、俺は――――――――人の嘘を見る眼を持っている」


「な……! そんな、あり得ません。 まさか、私に合わせて適当なことを」


「ああ、それは嘘じゃないな。 てか自分がそんな力を持ってるんだから信じろよ……」


 まぁ、無理もないか。 きっと、俺が何も知らない状態でそんなことを言われていたら、冬木と同じ反応をしていたと思う。 けれど、俺は冬木と少しの間だが話をして、冬木のことを多少なりは知っている。 だから今なら、冬木がそんな力を持っていると言われても、驚きはするものの疑いはしない。


「……私は今、とても驚いています」


「嘘じゃない。 それは別に顔を見れば分かるけど」


「……私は牛乳が大好きです」


「お前牛乳嫌いだったの……?」


「……私は一人が好きです」


「嘘だな、それはお前の本心じゃない」


「……私は、私は今! 成瀬君のその言葉が嘘であって欲しくないと思っています! 成瀬君にそんな力があって、私と友達になって欲しいと……!」


「―――――――――今更すぎるだろ。 俺もお前と友達になりたい、こんなことを腹割って話せるのは、きっとお前しかいないから」


「……信じられません。 本当に、本当に信じられません。 私以外に、そんな妙な力を持っている人がいるなんて。 けど、ふふ」


 冬木は、笑っていた。 俺の顔を見て、ハッキリと笑っていた。 その笑顔はあまりにも綺麗で、これまでひた隠しにしてきた感情の全てが曝け出されている気がした。 一体、何年の間こいつは一人で耐えていたのだろう。 一体、どれだけの時間を孤独でいたのだろう。 俺には朱里が居た、しかし冬木には誰もいなかった。 その孤独な時間は、俺にはとても想像ができない。


 だが、それも今日まで。 今日この日から、俺は冬木と友達だ。 そして、冬木はもう一人ではない。


「面白いくらいに、成瀬君の思考がそれを肯定しています。 初めてです、人の思考を読めて、良かったと思えたのは」


 こうして、俺と冬木空という少女の話は始まった。 人の嘘を見抜く眼を持った俺と、人の思考を聞き取る耳を持った少女の話。 不思議な不思議な三年間の話を、ゆっくりと始めよう。

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