第11話 トニック

 朝の通学。学校へは電車を降りてから少し歩く。けれど、新枝可那の向かう先は例の公園であった。

 この頃は、今日は今日はと願いながら公園に行く。彼がいないことが最近増えたからだ。

「やっぱり今日もいないよね」

 内心では半分諦めてはいるものの、彼がいないことに可那は肩を落とした。そのまま、ベンチに座った。

 季節は夏から秋に移ろう時期。肌寒さはなく、暑苦しさもない、過ごすには丁度いい気候の続く日々である。

 可那はぼんやりとしながら頬杖を突いて、空を眺めた。

「なにしよう」

 ボソリと呟いて、流れる雲を目で追った。

「そう言えば…」

 ふと、慎の言葉を思い出した。

『暇なら図書館にでも行けばいい』

 ここから図書館までは歩いて数分で到着する距離にある。

 可那は立ち上がり、スクールバック手に取った。


 人はそれほど多くない。入口を抜けてしばらく書架をうろうろしていた。目的もなく可那は歩き回るばかりでどの本を手に取るかを延々と迷い、ライトノベルと小説が並ぶ書架の前で足を止めた。

「(青い衣の…なんだったかな…)」

 止まったのは足だけでなく、手も止まっていた。悩んでいても仕方ないと彼女は分かっている。

「(青いこのレーベル?を端から読んで行けばいいか)」

――入学式当日の大規模テロ阻止、規格外の能力、知識、高専生の注目は彼女に集まった。徐々に露見する彼女の異端さ、彼女に戦いを挑む学年首席。「私はもう魔法で人を不幸にしたくないんです」

「私、魔法が好きです!」「魔法は人を笑顔に出来る私の唯一の方法だからです」彼女の正体は…?現代転生系ライトノベル、開幕。

 最初に手に取った作品は、ラノベらしいラノベじみた作品だった。佐々木の書いていたライトノベルとは反面で、魔法、異世界、バトルという未知の作品は、彼女にはとても新鮮に映った。嫌悪感などない、シンプルな好奇心が彼女の心を躍らせる。

 早速、席に着こうと人目の少なそうな隅に向かった。幸い誰もいない、と思って席に近付くと広げられたノートと筆記用具、机の下にはリュックサックがあった。仕方ないと残念に思いながら移動しようとして、可那は広げられたノートに視線が止まる。艷やかな髪を耳に掛けてノートを覗き込む。

「(これ、物語だ…!)」

 どんな物語なのだろうと気になったが、ページをめくるのは止めておこうと可那はジッとノートを凝視した。

 流れるようで、整頓された力強い文字。小さなメモ書きには物語の構想がまとめられていた。

「(佐々木さんも、こんな風に書いているのかな?)」

 見入っていた。

 視線が釘付けに、思考が活発に。

「あ、あのぉ…」

 後ろからかかる声に、視線をそのまま向けるとビクッと気圧されるように表情を固める大きな男子が立っていた。

「あ、え、えと……、僕の、ノートに何かぁ…?」

 冷や汗に張り付くような苦笑いを浮かべている彼を見て、可那は自分が困らせているのだと気付いた。

「ごめんなさい! 物語を書いているみたいだったから、どんな話なのかなって。勝手に見て嫌だったよね?」

「いえいえ! 正直びっくりしましたけど…、話を見られるのは嫌ではないので、大丈夫です」

「そっか、ありがとう。……それ、君もしかして同級生?」

 彼の学ランの襟元のピンバッジを可那は指す。そのデザインが可那と同じ学校の同じ学年カラーの校章であった。

「…確かにそうですね。女子の制服は男子と違って分かりやすいのに、僕、全然気付いていませんでした…」

 柔らかい苦笑いをして彼は頬をかいた。

「私は4組の新枝可那、よろしくね」

 彼は「4組の新枝さん…」と呟いて、可那は首を傾げた。

「どうかした?」

「…、あ! すみません! 僕は1組の小原明日風と言います。字はこのように書きます」

 明日風はノートの新しいページに自分の名前を書いて見せた。

「アスカってそう言う風にも書くんだ。私はね」

 ノートを借りて「小原明日風」の隣に自分の名前を書いた。

「こう書きます」

「新枝さんの名前は、とても綺麗な名前ですね」

「どうなんだろう?」

「カナの可は可能にする許すのような意味がありますし、カナは叶う叶えるにも掛かっている言葉ですから、気力溢れる明るい言葉だと思います」

 淡々と言う明日風をジッと可那は見つめ、彼がそれに気付くまでに数秒。

「あ…、え、いや…! すみません偉そうに上から目線で語ってしまって…」

 くちゃくちゃに身振り手振りをして赤くなる耳を誤魔化す。

「ううん。全然上から目線じゃないよ。私は自分の名前をそんな風に考えたこと無かったから、感心していたんだよ。ありがとうね」

「そ、そうですか…! あはは…」

 うなじを手で押さえる彼は目線は泳いで、やり場に困った目線は可那が持っていたライトノベルに止まる。

「あの…! その持っている本って…?」

「ああ、これ? これは…」

「新枝さんも鎹幽先生の作品読むんですか?! 僕も『魔法高専の帰術師』好きなんです!」

 と遮り、さっきの淡々と語る口調とは違い、語る言葉に熱が籠もっていた。

「大賞受賞作品のラブコメの作風が僕は好きだったんですけど、同時に出されたバトルものも面白そうかもって読んでみたら、やっぱり面白くて、ラブコメのときのように心情描写に力を入れているのかなと思ったら、世界観の造詣が深くてとても引き込まれるんですよね!」

 新枝は早口に語る彼に、作品に、ぽっかり口を開けて関心していた。

「へー、この作品ってそんなに面白いんだね」

「……は! あー…、す、すすみません…。また一人で語った上に、好きだと勘違いまでして……」

 我に返って冷静さを取り戻した明日風は、自分の悪い癖を晒し、恥ずかしさで項垂れた。

「君がそこまで熱弁するんだから面白いんだろうね。読むのがより楽しみになった」

「あはは…、フォローされてばかりで恥ずかしいですね。そう言って頂けるとありがたいです」

「ううん、気遣いじゃなくて、本当にそう思っただけだから」

「そ、そうですか…。でも! 本当に面白い良い作品なので、読み終えれば、きっと好きになってもらえると思っています」

「好きなんだね」

「はい…! 大好きです。だから、多くの人に鎹幽先生の良さが伝わって欲しいです!」

「そっか、いいねそう言うの。本当に、いいな…」

 消えるような最後の言葉が聞き取れず、明日風は頭にハテナを浮かべて「なんて…」と言いかけた。

「あのー、申し訳ありませんが、他のご利用の方もいらっしゃいますので、会話の声量は程々にお願い致します」

 と、横から女性の職員が穏やかな笑顔で現れた。二人は「すみません…」と一礼し、職員が去ると静かに席に着いた。

「注意されちゃったね」

「そうですね…。僕のせいですみません」

「そんなことないよ。私もここに来た目的を忘れていたからね」

「目的ですか?」

「そう、堂々と学校をサボって本を読むと言う目的」

「あはは…。でも、新枝さんって学校をサボる方だったんですね」

「どういう意味?」

「あいや、その、新枝さんは才色兼備で先生方からの信頼も厚く品行方正という噂を学校でよく聞いたので」

「それは猫被ってたからだよ」

「そうなんですか?!」

「そうだにゃーん」

「にゃ…、にゃーん?!」

「ふふ…、ごめんごめん。何となくでしか生きてこなかったから、当たり障りないようにみんなにいい顔してただけだよ。才色兼備でも品行方正でもなくて八方美人だったてわけ。そのせいで学校にいる場所も生活する意味も見失って、今ここにいるの」

 明日風は目を見開いたあと、組んだ手の親指同士をこすり合わせた。

「僕も……、僕も実は、学年が変わって居場所が…無くなったんです…。今まで同じクラスでよく話していた人がクラス替えで疎遠になってしまって…。それで今のクラスで自分の名前と、このノートのことで揶揄われて、学校に行くのが嫌になりました…。でも親の手前、家にいるわけにもいきませんし…」

「それでここに辿り着いたと?」

 明日風はコクリと頷いただけだった。

「そっか」

 どこかでパラリと紙がめくれる音がした。ピピと鳴る電子音、コトンと書架に戻る本の音、ガガと床を引きずる椅子の音、強く打つ胸の音。ゴクリと唾を飲む音。

「あっ、……。僕は、気の利いたことも、面白いことも言えません。失礼は多々ありますし、人見知りも酷いです。…それでも、あなたと話していてとても楽しくて、もっと沢山話しをしていたいです。だから、」

 可那は、明日風の言葉を脳内で文字に起こしてみた。するとこんな言葉の羅列をどこかで見たような既視感を覚え、明晰な頭脳の引き出しを開けていくと、佐々木が書いたライトノベルのクライマックスの主人公の言葉に驚くほど似ていることに気付く。

「僕と、」

 可那はピクッと動いてから固まった。

「t」

 子音が口の形から分かり、あの言葉が出ると身構える。

「友達に、なってくれませんか…?」

 パラリとどこかでページが捲れる音がした。

「…、あ! 友達ね、いいよ全然」

「いいんですか?!」

「当然」

「あ、ありがとうございます!」

 ペコリと一礼すると、明日風は笑顔だった。

「でも私と友達になろうと思ったの?」

「こんなに人と話していて楽しかったのは、久しぶりと言うか、懐かしいと言うか、」

 明日風は手のひらに視線を落として、ぎゅっと空を握る。

「楽しいと思える相手が目の前にいるのに、このまま終わってしまってはいけないと思いました。だからです。だから、新枝さんと友達になりたいと思ったんです」

「そっか。嬉しいけど、なんか照れるね!」

 顔を上げた明日風は次第に顔に血が上るように赤くなった。

「…あの、もしかして、僕、今、すごく恥ずかしいことを言ってました…?」

「ふふ…、かもね」

 そう可那が言うと更に熱くなったようで、頭から湯気が薄っすらと上る。

「やっぱり、小原君はすごいよ。これからよろしくね」

 ツンと氷柱のような指の手のひらが伸びる。その手がなんなのか、明日風は理解して握り返した。

「はい! よろしくお願いします」

 明日風は大きく喜んで、可那はそれを見て微笑んだ。

「あのー…、申し訳ありませんがぁ…」と、また職員から声が掛かった。

「す、すみません!! あ! すみません…、すみません……」

 そして反射的に大きく謝ると、響く声に気付いて明日風は青くなった。

「ふふ…」

 と、嬉しくて、楽しくて、また笑った。



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青と春の顕性 ゆきの @yukitaka0424

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