第9話 ドミナント
時刻は午後5時頃。
今日は一日中部屋にこもっていた。溜まりにたまったホコリが薄っすらとかかる積ん読は、見事に曲線を描き、俺の住むアパートの一角にグランドキャニオンを形成していたのだった。その本の山を踏破、否、読破すべく、俺は朝から本を片っ端から読んでいた。
最新の気になったライトノベルは勿論、完結したライトノベルのシリーズや、漫画、専門書などなど。読書家ならよくある話であるが、壮観とも言える山はたかだか数十冊なんて可愛い数ではなく、推定数百冊の本が地震が来て倒れても大丈夫であろう自分の腰の高さを超えてしまわないよう無造作に積まれていた。多分大丈夫ではない。
わざわざネットショップで買った、恐らくこれから必要になるであろう数百の本を収容する本棚は、未だ組み立てられることなく玄関の壁にもたれかかって鎮座し、玄関を通る度に「俺を組みたてろぉ…」という威圧感を放っていた。本を読み終わるのが先か、本棚が組み上がるのが先か。組み上がってしまえば、読まれていない本諸共、棚に押し込められて日の目が浴びることなく整列させられることになるだろう。だからこそ敢えて、本棚を組み上げないのである。決して面倒だからではない。敢えてなのだ。
今日だけでラノベを3冊消化した。けれど、あれ?未読本が減っていないぞ?おっかしーなー。
明日からはまた本を読まずに散歩と執筆と喫煙の反復横跳びになるだろうに、一体いつになったらこのグランドキャニオンは消え去るのだろうか。冗談抜きで年単位の時間がかかりそうで俺は半目になりながら戦慄した。
ぐぅ…。
読書を中断すると、不思議とお腹が減ってきた。読書に集中していてきっと空腹に気づかなかったのだろう。
冷蔵庫の中を確認すると、食材と呼べるものはなかった。本は山程あるくせに食材はありゃしない。本でも食ってやろうかと本を見つめていると、ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。不用心に玄関の扉を半分開けると、大きめのトートバックを肩に掛けた制服姿の女子高校生が立っていた。長い髪、短いスカート、俺とは相反する陽のオーラを放つ彼女がなぜ女子高校生だと知っているのか、それは彼女が制服を身に付けているからではない。答えは簡単である。
「なんの用だ…?」
「お父さんがこれお兄ちゃんに持って行けって言うから来たんだけど? 早く部屋に入れて」
YesともNoとも言う前に、妹の光は俺の横をすり抜けて部屋に上がった。
「…なにこのデカい段ボール」
「何も言うな」
それがそこにある経緯を話せば、兄の怠惰の象徴だと自白するようなものである。
「あっそう…」
光は、ずんずんと迷うことなくキッチンに向かった。
「…なにあの本の山」
「何も言うな」
「いやいや、あれは」
「皆まで言うな」
妹の言葉を遮り、俺は目を細めて千里眼並みの眼力で気の所為レベルの壁のシミをひたすらに見つめていた。
「はぁ…。ならいいや……」
呆れた妹はトートバックからタッパーを取り出し、電子レンジにそれを入れた。
「ほら、お兄ちゃんも手伝って」
光はタッパーを俺に向かって突き出した。そうでした、妹はわざわざ美味しい食事をデリバリーしてくれてたんでした。
部屋の中心にあるローテーブルを除菌シートで軽く拭き、預かったタッパーを二つ並べた。妹はちゃっかり麦茶が入ったグラスを二つ持ってきていた。
チーン。
電子レンジから妹は別のタッパーを二つテーブルに置いた。
「はい、これはお兄ちゃんの」
温められたタッパーは同じものだが、もう二つあるタッパーは大きさが異なり、大きい方が俺のものらしい。
タッパーを両方とも開ける。開ける前から見えていたがこれは
「ハンバーグ定食か」
タッパーはラップで仕切られて、キャベツの千切りとご飯が詰められていた。
「うんそう。私のはご飯少なめで、お兄ちゃんのは野菜多めだよ」
「不健康だからね!」
「自分で言うならまともな生活しなよ。あと野菜多めにしたのお母さんだから」
「はい…。ご心配かけて申し訳ありませんでしたぁ…」
ど正論過ぎて何も言えない二十代兄である。
「いいよそんなこと、とにかく食べよ?」
「そうだな。冷めないうちに食べないとな」
俺達は手を合わせ、静かに言った。
「「頂きます」」
拳ほどあるハンバーグには、艷やかな特製のデミグラスソースがかかっている。
「うん!やっぱり美味しい!」
光はきらきらと目を輝かせ、嬉しそうにご飯を食べ進んでいた。
俺も続くように一口に切り分けたハンバーグを口に運ぶ。
「美味い」
妹がそれを聞いてまた嬉しそうにしていた。
黙々ともぐもぐと俺達はご飯を食べた。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様でした。ちょっとタバコ吸うわ」
俺はベランダで一本タバコを吸って、またローテーブルに戻った。
「相変わらずタバコ吸ってるんだね」
妹は俺が吸えるようになってから家以外で吸っていた事を昔から知っていた。
「…臭いか?」
「ううん。最近お父さんも吸ってるからあんまり気にしてない」
「吸っているのか」
「うん、お兄ちゃんがここに住んでしばらくしてからかな」
昔は吸っていたらしいと聞いていたが、それが事実だったことに俺は驚いていた。
「お父さんの洋食屋、今忙しいみたいだよ。来るお客さん増えたって言ってたし」
ゴロンと寝転んだ光は山から一冊本を取り、眺めながら言う。
「あ! これ、最近アニメやってるやつじゃん。ラノベだったんだ」
「持っていってもいいぞ。見ての通り手がついていないし、読む予定も未定だからな」
「じゃあ借りるだけ借りてこっかな。いつ読み終わるか分からないけど」
「心配するな。その作品は面白いから読み始めたら止まらなくなるはずだ」
すると光は、怪訝な顔をした。
「読んでないのになんで面白いって言えるわけ…?」
「俺くらいになれば、本を触るだけで面白いかどうか分かるのさ」
「いい歳なんだから、意味不明なことばっかり言わない方がいいよ? てか面白くて止まらなくなるならさっさと手を付けちゃえばいいのに」
ごもっとも。
妹の言葉一言一句がお兄ちゃんの胸に刺さって辛い。でも冗談じゃなくて本当にお兄ちゃん、本触るだけで面白いかどうか何となくわかるのぉ…。
ぺらぺらと本の中身をチェックした光は体を越した。
「私帰るね」
「そうか。途中まで送ろう」
立ち上がって晶に続いて玄関に向かった。
「その前に」
光はスニーカーを履く前に、後ろに振り向いてから手をハの字に広げた。
「ほら、早く」
静止していた俺に妹は催促する。
へいへいやりますよ。
「人にいい年してと言いながら、俺はいつまでお前とハグすればいいんですか…?」
「お兄ちゃん何言ってるの? ハグはれっきとした健全なコミュニケーションだから、兄妹とか歳とか関係ないから」
何を言っているの?はこっちのセリフだ、こっちの。
それにね、と妹は続く。
「それにね、ハグをすると幸せホルモンのオキ…、オキ? オキシ漬けみたいなやつが分泌されて良いらしいよ」
オキシ漬けにすれば確かに何もかも綺麗さっぱり真っ白になってしまいそうだが、リングのコーナーで燃え尽きたボクサーみたいになっちまいそうだ。
「オキシトシンだ」
「そうそれ、お兄ちゃん足りてなそうだし、オキシトシンのお裾分けってわけ。だから、これは私がしたいからしているわけじゃないの。お兄ちゃん想いの妹が、致し方なくお兄ちゃんの為に渋々ハグしているの」
「そうなのか、なら辞めるか」
俺がバサっと被さっている腕を上げると、すぐさまその腕を巻き込んで光は俺を締め付けた。
「おい」
ぎゅっと妹の腕が締まった。
俺はそのまま静止していた。そしてしばらくして、
「はい、充電完了。これでしばらくは大丈夫だね。妹に感謝して」
「はいはい、ハグして頂きまして誠にありがとうございました」
こんな言い訳、誰に似たのやら。憎めない可愛らしい妹である。
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