第8話 ドミナント
相も変わらず公園のベンチである。
なぜかって? 現実逃避である。
最近はえらく活発に日常を過ごし、なんやかんやあった出来事に、なんやかんやアイデアをもらい、なんやかんやで書いた小説の書き出しとプロットを編集者の田所さんに送ったところ、なんやかんやと感想をもらい読んだ結果、俺がやりたかったことってこれだっけ?となんやかんや悩んだ挙げ句、お蔵入りとなった。というかボツだ。
でも全く書けなかったのが、書けはするになっただけでも進歩したと思うべきなのだろうな。
空を仰ぐようにベンチにもたれかかって、お馬さんの形をした雲を目で追っていた。
あーあ、馬券でも当たらねーかなー。
ゆったりと泳ぐ雲間から真っ白な太陽が天高くから覗く。眩しくて体を起こした。そして、見覚えのある影が遠くからこちらに向かっていた。目を細めて見れば、紛れもなくあれは宇宙人である。
どうしてこうもタイミングよく、いや、バットなタイミングで現れるのか不思議である。彼女ならば計算した上で現れていても驚きはしない。だが、恐らく彼女が頻繁にここに訪れていて、その試行回数によるもの、つまりは偶然だろう。
それはともかく、キャトられる前に逃げねば。
俺はそそくさとその場から離れようとする。すると、
「ちょっとー! 私に気付いてなぜ逃げようとしているんですか!」
彼女は大きな声でそう言うと、突然足をピタリと止めて続けて言う。
「止まらないと、もっと大きな声で悲鳴を上げてから『変質者』と言いながら佐々木さんに指を差しますよ?」
なんつーことを言いやがる。
やむ無く俺は逆再生のごとくベンチに座り直し、彼女が、新枝が来るのを待った。
「おい、さっきの脅しは一体どこで覚えてきやがった」
最強すぎる極悪な脅し文句が、まさか彼女の口から出てくるとは思わなかった。出どころ次第では大気圏に突入したスペースロケット並みの勢いで粉々に粉砕した後、練って固めて題名『極悪の文言』とタイトルをつけて片田舎の美術館に収蔵し、未来永劫語り継がれる負の歴史にしてやりたいくらいだ。
「あーあれは、佐々木さんの小説で覚えました」
あ
そういえば書いたわぁ…。
見事な2コマオチ。超特大ブーメランが超特急列車並みの勢いと轟音とともに脳天どころか体を真っ二つに引裂き、精神的なダメージが大き過ぎて俺は頭を抱えた。そんな情なーい姿を見ていた彼女は小バカにするように鼻で笑った。
「まさか、自分が書いた言葉で苦しめられた上に、自分が書いていたことを忘れていて、今思い出して後悔していたんですか? 特大ブーメランですね。 あ、これも佐々木さんの小説で覚えました」
傷口に塩を塗るどころか、傷口にロンギヌスの槍が飛んできた。的確過ぎる予測と言うか、まるで心を見透かすような読心術でおじさんもう活動限界よぉ……。
「…ちょっと、……タバコ」
近くの喫煙スペースにて一服。例のごとく彼女、新枝は壁を隔てて向こうにいる。わざわざついてくるほどのよっぽどな理由でもあるのだろうかと考えたが、さっぱり思いつかなかった。だが、他愛のない話をしているうちに、一つだけ分かったことがある。それは俺が煙を吐いてから彼女は話しかけるということである。タバコを口につけている時には決して彼女は話しかけなかった。
ふー、と一息。
「佐々木さんはなぜタバコを吸っているんですか?」
なぜ、か。
その言葉を俺なりに拡大解釈するのならば、いつ、何をきっかけに吸っているのか。体に毒と言われているのに吸う合理的な理由があるのか。と言ったところだろうか。彼女はそこまで意図していないだろうが、その問いにどう答えたものかと一瞬の逡巡が生まれた。
「俺が好きな小説の登場人物がタバコを吸っていた、からかな」
他にも理由はあるのだが、嘘ではない。
「そのキャラクターにというか、その作品に感化されて吸ってみようと思って吸い始めた」
「その作品というのは?」
「蒼き衣を纏いし崇高なる奉仕の念とラブコメの名の下に若き三人の男女たちが各々の信念をもって躍動し反発し築き上げる群像劇じゃよ」
俺は目を細めてRPGのチュートリアルに出てきそうな伝説を口伝する老人のごとく語った。と言うか伝説と言って過言ではないのだがな、その作品は。
「謎の語尾はなんですか…?」
「何年も前に始まって、何年か前に終わった割と前の作品だからな。昔話みたいなものかと思ってな」
彼女は理解しがたいという表情で首を傾げた。そこで何かに気付いたらしい。
「とても思い入れがあるように見えますが、その作品がきっかけで小説を書き始めたんですか?」
短くなったタバコを灰皿に落として、次のタバコに火をつけた。
「そうだ」
「ならぜひ読んでみたいですね」
「かなり有名で健全な方のライトノベルだから、近くの図書館にでも所蔵されているだろうし、暇つぶしがてら行ってみればいいんじゃないか」
「そうします!」
拳を胸の前で構えてそう言う。読む気満々だな。
「話を戻しますが、タバコって吸うとどうなるんですか?」
「まだ話を掘り下げるのか…? 正直、未成年にタバコの話をするのは気が引ける」
「でも禁煙が進む中でそれでもタバコを吸うのは何故か気になるじゃないですか」
お前の個人的な興味関心など知るか。
「はぁ…。じゃあ吸ったらどうなるのかだけ答えるが、今日のところはそれ以外は答えないからな」
「それでいいです」
答えを待っている彼女の眼差しは、タバコへの興味などではないのだろうと思わせる。今の彼女はタバコに興味があるのではない。単にタバコを吸うその行動原理に興味があるのだろう。知らんけど。
煙を吐く。
「タバコを吸うとな」
「はい」
「気持ちよくなって」
「はい」
「高揚感が生まれて」
「はい」
「生命力が満ちていくような感じがする」
「そうなんですか…?!」
「そんなわけあるか!」
「え」
「タバコを吸ってもどうもない。気持ちよくも高揚感も生命力も何もない。と言うか無だ。無」
そう、タバコを吸ったところで気持ちよくなんてならない。吸えば気持ちよくなるというイメージが強いけれど、決してそんなことはない。もしかすると吸うことで快楽を得ている人もいるのかもしれないが、少なくとも俺は見たことも聞いたこともない。
「ではなぜタバコを吸うんですか?」
結局話は振り出しに戻る。だが至極真っ当な疑問であろう。
俺は半ばほど吸ったタバコを灰皿に落として喫煙スペースから出た。
「理由はいろいろあるだろうが、一番多いのはそれが習慣化してしまうからだろうな」
何か事がある度にタバコを吸う。これが喫煙者のよくある行動だ。この行動が度重なることでタバコを吸うことが習慣化し、生活の一部に組み込まれタバコから手が離せなくなるのである。
新枝はどうやら納得がいっていないようで、険しい顔をしていた。
「深く考えることなんてない。授業中にペン回しをしてしまうみたいなもんだからな」
「そういうものですか…」
「そういうもんだ」
胸の前で組んだ腕はまだ解けない。だが、それが全てであることは間違いないのである。これ以上余計なことを聞かれないようにそろそろトンズラするか。
「ところで新枝よ。お前、今日学校は?」
「サボりです」
清々しいまでの即答。
「…そうか。なら本当に図書館にでも行ってみればいいんじゃないか? 俺と話すことにどれだけの価値があるか知らんが、視野を広げるという意味では図書館はうってつけだぞ」
「そうですか?」
「ああ。何せ学生が白昼堂々居ても誰も何も言わないだろうからな。それに本も山程無料で読める」
「確かにそうですね」
今度は納得いっているようだ。よしよし。
「ですが、」
え?
「で、ですが?」
「なんだか厄介払いされているような気がして」
そう言って彼女はこちらに視線を向けた。
「いや? ぜんぜんソンナコトナイヨー?」
「本当ですかー?」
「ウンウン」
行け! 行ってくれ! そして、あわよくば図書館の沼にハマってこの公園には帰ってくるな。
「ま、いいでしょう。佐々木さんの言うことにも一理ありますし」
彼女は手を後ろで組んで、続けて言う。
「でも、私は佐々木さんと話していると、自分の世界が広がっていくような感じがして楽しいですよ」
「そうですかい」
やはり分からん。だが、こちらが彼女のことが理解できない、予測をしたところでそれを優に超えてくる宇宙人であると同時に、彼女もまた俺のような人間は宇宙人なのかもしれない。写し鏡ではなく、未知との交流。
どこまで行けばそれを理解と呼べるのか、俺は知らない。
「俺はお前と話していると疲れるけどな」
「そんな邪険にしないで下さいよー」
「冗談だ。半分」
「そうですか、半分」
実際、疲労ではなく、疲労感である。
「私はこれから図書館に行ってみようと思います」
そろりと後退るように彼女は離れていく。
「おう」
「それでは、また!」
彼女は進行方向に足先を向け、体を捻って上げた手と顔だけこちらに向けていた。
「おう、」
仏頂面だった俺は顔の強張りを解いてから言った。
「またな」
手は挙げなかった。手はズボンのポケットのなかで、タバコとライター無駄に触っていた。
彼女は前を向いて去って行った。完全に見えなくなってからまた喫煙スペースに入って、タバコに火をつけた。
「また」ね。
また余計な杞憂が頭をよぎった。
タバコを吸い続け、考えをまとめて頭を整理した。
「ま、大丈夫か」
タバコを灰皿に落とした。
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