第6話 ドミナント

 今日は週末、そして月末に迫った週末である。そう所謂、華金というやつだ。夜の町を練り歩き、美味しい料理に舌つづみを打ち、酒を流し、酒乱で舞って床につく。贅沢な週末である。

 して、

 かく言う俺はといえば、せっせこと小説を書いていた。と言っても例の如く順調とは言い難いのだがな。書けないからと言って、何も書かないわけにはいかない。何かしら書かなければ、作品の輪郭を捉えることすら出来ないからだ。

 傑作は書こうとして書けるものではない。そして自分の選ぶ傑作はただの自己満足でしかないのだ。人に読まれ、何かの巡りか偶然によって傑作は生まれる。だからとにかく書く必要があるのだ。とにかく書いたその中から、傑作が生まれるかもしれない。そう思って書いていなければ傑作は生まれないし、腕も鈍るし、ならば書かない理由はないだろう。

 だが、いつまでも暗中摸索と言うわけにはいかないな。

 先日掴んだタネ、それを活かしたいと考えながらどう組み込むかを考えていた。しかし、納得できる答えがなかなか出ない。

 いいタネだと思ったんだがな。

 そのとき、スマホが振動した。持ち上げて見ると、頃合いを見計らったようにメッセージが届いた。

 メッセージを一読し、すぐに俺は身支度を整えて家を出た。




 路線バスに揺られ10分、人が賑わう居酒屋の多い駅前駅に到着した。そこから歩いて数分、着いたのは揚げ物が美味い大衆居酒屋だった。

 店に入り、駆けつけた店員に待ち合わせだと伝えると席に通された。そこには、テーブル席で一人かけ蕎麦をすする男がいた。

「よっ」

「うう!」

「口にものを入れて話すな」

 男は何回か咀嚼して飲み込んだ。

「おう! よく来てくれたな」

「ちょうど行き詰まっててな、気分転換したいと思っていたところに、見計らったようにお前のメッセージが来たんだよ。本当に都合よくな」

 俺は対面の席に座った。

「で? なんでもう蕎麦食ってんだよ」

「いやーすまん。春先はドタバタしててよー。飯もロクに食ってらんないんだわ。だから腹減っちまってさ」

「教諭様は大変だこと」

 コイツは黒崎透、公立高校で国語を教えている教諭である。俺とコイツとの関係は、同じ中学校高校に通った10年以上付き合いのある仲である。

「とりあえず生でいいか?」

 ズルズルすする黒崎に言うと、箸を持っていない手で丸を作って合図する。俺は、店員を呼んで2つ頼む。すぐに生ビールは運ばれてきて、俺にはお通しが出された。そして、いつの間にか、黒崎は蕎麦を完食していた。

「お前相変わらず食うの早いな…」

「そりゃ時間に追われる社会人だからなー。時短時短」

 生ビールを運んできた店員に、ついでに食べ物も頼んだ。

「そんじゃ…」

 黒崎はジョッキを持って前に出す。それは社会人ならば言わずとも伝わる合図である。

「おう」

「「乾杯!」」

 カチンとジョッキを鳴らせて二人ともビールを喉に流す。キンキンに冷えたジョッキ、鼻を通る麦とホップの香り、胃が冷たい液体が滴る感覚。

「うっ……、あー…。うまいいぃ、これのために俺は生きているわー」

 ダミ声混じりの黒崎はしみじみと言う。

「黒崎おまえ、年々ジジ臭くなっているぞ」

「いいんだよ。俺らはもうアラサーが見えてきたんだ、若くねーの。俺なんか高校生相手に仕事しているから、毎日自分がジジイなんだって思い知らされているぜ」

「それは比較対象が悪いんじゃないのか?」

「そうかもな。でも俺たちには高校生みたいな溢れん活力もフレッシュさもねーだろ? 枯れてなくとも、湯水みたいに湧いてはない。年々目減りしているのは事実だろ」

「確かに」

 料理をつまみつつ、酒を飲みつつ、他愛のない話しを俺たちはした。酔いが徐々にまわってくるのが分かって、タバコを取り出した。この辺では珍しいタバコの吸える居酒屋だ。

「お前もどうだ?」

 俺がタバコを勧めると黒崎は、電子タバコを胸ポケットから取り出して机に置いた。

「紙は辞めたんだ。世の中電子化推進だからよ」

「アナログの良さが分からんとは。ご立派な公務員様だことだ」

 タバコを咥えて火をつける。

「紙とペンで執筆しない作家がよく言うぜ」

 目を逸らし、一息吐く。

「それを言われると何も言えん。でもなんで辞めたんだ?」

 電子タバコを吸って吐いてから黒崎は口を開く。

「ああ、簡単なことだ。教師になったからだよ」

「大変だな」

「別に苦にはなってない。学校は全面禁煙だし、喫煙することは有害であるという保健体育の教育があるわけだしな。それに、もし学校でタバコの煙を不意に生徒が吸って何かあったり、タバコを知らずに落として生徒が興味本位で火をつけたり、タバコの火で火事になったり、それらの可能性を加味すれば吸わない選択肢を取る方が利口だろ?」

「だから電子タバコで妥協していると?」

「そりゃー俺も人間だから我慢するのはストレスだ。それに、多くの大人は酒を頻繁に摂取するわけだが、これは教師も例外じゃない。だがアルコールは人体にとって有害だ。酒も有害なのにタバコは駄目でアルコールはいいのか? アルコールが有害なら教師はアルコールを絶つべきじゃないか? そう教える立場の者としてな」

「アルコールは他人に影響を与えないが、タバコの煙は他人にも影響をあたえるからじゃないのか? それに、アルコールは基本的に日中は飲まない」

「おいおい、迷惑な酔っぱらいはいるんだから周りに悪影響を及ばさないわけじゃないだろ? それに、タバコは吸っても思考能力は低下しないから、その点に関してはタバコは酒を上回っている」

 なんだが都合の良い解釈にも思えるが、黒崎の言っていることは事実でもあるために否定し難い…。

 電子タバコの吸い殻を灰皿に置いて、黒崎はまじまじと真剣に俺の目を見る。

「これはあくまで俺の主観で主義主張だが、教師は生徒にああしろこうしろと理由なしに行動させるのは間違っている。どうするか、なぜそうするのか、考えて選ぶのは生徒でなくてはならないはずだ。そうじゃなけりゃ教師のやることは教育じゃなくて強制だ。己で考え、選択し、行動する。これを出来るように導くのが教師のやるべきことだと、俺は思っている」

 何杯目かのジョッキに半分ほど残っている常温に近いビールを黒崎は一気に飲み干す。

「ぐっぷー…。だから俺は…、俺の選択でタバコを吸うことに決めた!!」

 黒崎は俺が机に置いたタバコから一本取り出して火をつけた。顔を見ると、顔が真っ赤になっている。

「ふー…。やっぱ紙が神だわー! かみだけにね! ヤニ最高ぅー!!」

 いい話が全て台無しである。

 昔からすぐに酔うやつだと知っていたが、今日はいつもより早いように感じた。もしかすると、疲労が溜まっていたのかもしれない。あるいは、日々の教師としての緊張が緩んだのかもしれない。だが、黒崎がさっき言っていたことは本音だろう。

 やることも、やらないことも選ぶのは大人でも他人でもなく自分自身であり、選択には必ずメリットとデメリットが付き纏う。そのメリットとデメリットを呑むのもまた自分自身であると。それを伝えるのが教師の役目であると。黒崎が言いたいことはこんなところだろうか。

「タバコを吸わなきゃ教師の鑑だったのにな」

 俺は黒﨑がタバコに夢中になる傍ら、ボソリと言った。

「何か言ったか…?!」

「いいや、揚げ物は飽きたからあっさりしたものでも食べてお開きにしようかなって、よ」

「えぇー。もうちょっとはなそうぜぇえぇ…」

 黒崎は眠気を堪えているようだった。

「俺もそうしたいが、お前眠そうだし、また次回だ。今度は俺のアパートにでも来いよ。そこでゆっくり話そうぜ」

「約束、な……!」

 黒崎は目をつむりながら拳を突き出してきた。これは本格的にダメそうだ。

「おう、約束だ」

 グータッチで答えて、俺は店員にタクシーをお願いした。










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