第5話 ドミナント
小説が書けるかもと息巻いて家に帰ったけれど、結局プロットみたなものしか書くことができなかった。
プロットと言うものの説明は恐らく不要だろうが、敢えて言うと、商品の開発に構想やデザインを説明するための企画書みたいなものである。俺はこのプロットをまともに書いたことがない。まともに、と言うようにプロットとは呼べないメモの塊を書くことはあるのだ。
やりたいことが大まかに決まった状態で小説を書き進め、その時の思いつきを取り入れながら書いている。下書きがないから行き当たりばったりで、結末を探りながら書いては消し、書いては消しを繰り返し、締切に間に合ったとしても翌日には昨日提出した原稿の一部が気に入らなくなって修正をするという始末。修正箇所は書いていた段階から気になっているのだが、何故か提出したあとになるといい感じの文章が思い付くのである。そんな効率も計画も微塵の欠片もないやり方で今まで書いてきた。それが今は出来ていない。これをスランプと言うのかもしれないが、俺はそうは思っていない。長い人生のたった一ヶ月小説が書けない程度で、本当のスランプはきっと何も手につかないのだと思っている。だが、俺はこうして書きたいと強く思っているし、何かしらは書けている。ご都合主義のラブコメを書く人間がそれを軽々しくスランプと言うのはおこがましいことなのだ。
つまり、この一ヶ月俺が小説を書けなかったのは、スランプでは無く、一時的不調というやつだ。不調は誰にだって、ものにだってある。コンピュータもスマホも定期的に再起動しなければエラーをはいてしまうのだから、完璧と言うのはそう簡単には手に入らないのだろう。ちなみに不調は英語でスランプと言うらしいが、俺は今その事実を忘れることにした。
デジタル式の置き時計を見ると午前5時。しかし、デスク上のノートパソコンの前から離れられずにいた。なんだろうな、何かが足りないと言うか、何かがうまくない。それはまるで、歯車の噛み合いが良くないような、あるいはクリアランスの甘いアメ車のような、そんな収まりの悪さである。またまたあるいは、寝不足による気の迷いなのか。何にせよ限界は近いが、違和感の出所が分からずには寝れない。
デスクチェアにもたれかかって腕を組む。
ラブコメは実に贅沢な物語である。平凡な主人公、あるいは天才的な才能を持つ主人公が、超絶かわいい女性たちに囲まれ、生活を送る物語。そして最後には誰かが選ばれて終わる。しかしある時俺は思った。超絶かわいいヒロインたちと絵に描いたような青春の思い出を作ったり、主人公の偶然がヒロインたちを救ったり、負けヒロインと呼ばれるサブヒロインから告白されたりと、主人公の日常充実し過ぎだろと妬ましく思ったのだ。そのくせ日常の中で起こるハプニングやヒロインたちとの関係で意味不明なほど深く悩んだり、負けヒロインから告白されてまんざらでもないのに「いや、俺には好きな人がいるんだ…」と断ったりと、一生分の運を贅沢に消費するのである。
俺は他人の作品の中でヒロインでは無くサブヒロインちゃんを推すことが多い。そして、その子がバカな主人公に告白してフラれ泣いている描写を読むたびに、主人公へ殺意を覚えていた。その時のお気持ちは控えめに言って、
コイツ、◯ロス。
俺のような思想は一般を逸脱した過激思想だということは認識している。だが、こんな思いをしないさせないためには、サブヒロインが負けない物語にするか、主人公をぶっころするしかないわけだ。
そういえば、サブヒロインが負けない系ラブコメが最近多い…。つまり、俺と同じように「Fぁっきん主人公」と考える過激思想の同士が書いているのかもしれないね。そうに違いない。きっと違うだろうけど。
ならば、負けヒロインはいらないのかもしれない。勝負させない、勝負しているのかどうか分からないを実現させればいいのだ。
負けなければ負けヒロインにはならないからな。
思案を巡らせている間に、意識が揺れる。とぎれとぎれになる。
ラブコメは現実離れした非日常で、しかし誰もが皆同じように幸せを享受することは叶わない。その一点においてだけは無情にも現実的である。
そもそもフィクションに現実もクソもないなだから、現実と対比するのはナンセンスなのかもなしれない。
主人公が、主人公らしく、主人公であればあるほど、何かが引っかかるのである。
パタリとパソコンを閉じる。
「これか…」
チッチとデジタル時計の時報で目が覚める。カラスの声が耳に入って立ち上がり、カーテンをめくる。焼けるような夕日が目に映ると、脳を焼くように熱くし、眠気も体の気怠さも一気に引いていく。
「……やっべ!」
すぐに着替えて簡単に身だしなみを整えてから、玄関を飛び出した。
時刻は6時になっていたのだ。俺からすればさっきまでは5時だったわけだが、無論、1時間しか経っていないわけではない。
デスクチェアで寝てしまい、体が痛くなってから目が覚めてベッドに移った。そこまではいい。だが、13時間も寝ていたとは思っていなかった。育ち盛りかよ。
足が焦りに急かされる。
早まる足に呼吸が乱れる。まだ走ってもいないのに、こんなにも乱れるのはタバコのせいなのか、普段のしだらない生活のせいなのか、どちらにしろ上がる心拍数が胸を叩いて止まない。
どうする、どうする? こういうときどうすりゃいいんだ? 走るか? 走った方がいいのか?
心臓から配給される酸素が足りず脳の活動が鈍いのか、迷いに引きずられて失速するように立ち止まった。
「また明日」その一言だけの口約束にどれだけの拘束力があるだろうか、どれだけの信頼があるのだろうか。もしかすれば、彼女はもういないかもしれない。最初からいなかったかもしれない。
他人以上、知り合い未満、の俺たちの関係の溝は今どれだけ埋まっている? 走っても走ったことを後悔するだけなんじゃないか?
立ち止まった途端、ぐるぐると頭がよく回った。
答えは簡単だ。
走らないといけないに決まってんだろ。
今は迷走している場合ではないのだ。とにかく行かなきゃならん。
何年ぶりにまともに走るのだろうか。全力で地面を蹴る。
どうせ後悔する。彼女がいてもいなくても、走ったことを後悔する。そもそもこんな時間まで寝ていた自分がバカなのだ。行き詰ってから何時間も机に噛り付いて、さっさと寝ればいいものを俺は変なプライドで意固地になって、偉そうに諭すくせにこの有様だ、まったくいい大人が笑える。
走りは疾走とは言い難く、泥臭い。それでも公園まではいつもの半分以下の時間で到着することが出来た。
いつものベンチが目前に迫って足を緩めた。
金槌で釘を打つような鼓動、滲む汗、枯れた喉、はち切れそうな脈。
目に入った汗を拭って周りを見渡した。けれど、彼女の姿はない。
「クソ…」
自分に向けた言葉を天に吐く。
「佐々木さん…? どうしたんですか?」
後ろから言葉がかかる。ああ、よかったよ走って。
「いやぁ…、ハァ…ハァ…。んなにも…」
「なにもって…、どうして走ってきたんですか?」
「昨日テレビで世界陸上を見て感動してな…、俺も100mを9秒で走るために練習をしているんだ」
「昨日はハンマー投げでしたよ…?」
あれれー?とジリジリと汗をかくなか、ヒヤリとする背には、ツーーと指をなぞらえれるような錯覚があった。
「それにその寝癖は…?」
髪も整えたはずだったのだが、不完全だったらしい。それを指摘され反射的に両手で頭を抑えてしまった。
「もしかして、さっきまで寝ていて私との約束を律儀に守るために走って来たんですか?」
止まらない汗は次第に脂汗にかわり、額をにじませる。
目を合わせたくなくて、彼女たちから視線を逸らせた。すると、彼女はクスクスと笑っていた。
「ふふっ…。やっぱりあなたは変わっている。変です。変人です。変態です」
「おい…」
「…でもいい人です」
自分の顔が熱くなっているのが分かってやむなく、寝坊したことを伝えると、いつものベンチに座るよう促される。
「私は、佐々木さんが来るとは期待していませんでしたよ」
彼女は隣に座りながらそう言った。そして続く。
「お昼頃になっても来ませんでしたから、何かあったのかなと思ってましたから」
「ん? ちょっと待て、まさか朝からここに居たわけじゃないよな?」
「いました」
「学校は?」
「さあ?」
俺は頭を抱えた。
「学校に行けとは言わないが、受験を控えているのに大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。私、行きたい高校ありませんから」
お前はこのままニートにでもなるつもりなのか? そう言わんばかりに清々しく彼女は笑ったが、なんとも笑えない本気めかしたジョークに苦い物を飲んだような表情を俺は浮かべた。
「そーかい」
しばしの沈黙が流れた。
「また何も聞かないんですね」
彼女は前にも聞いた言葉を投げつけた。だから俺も、同じように返す。
「聞いて欲しいのか?」
「はい」
同じ返答ではなく困った俺は頬を杖をついた。
「はぁ…。…お前、なんであの日俺なんかに話しかけたんだ?」
「ずっと気になっていたんですよ。このベンチで佐々木さんが何を見ていて、何を考えて、何を思っていたのかがです」
彼女は躊躇なく淡々と言う。
「私、見ての通り真面目で優等生な、いい子じゃないですか?」
どこがだ。
「親の言う通りに今まで生きてきたんです。兄もそうだったので。でもある日、友達が自分の将来について話していたんです。高校に行ったらやりたいこと、将来何をしたいのかということも。それで友達が私に聞いたんです。『将来の夢は?』って。他の人にもその友達は聞いていたんですけど、答えられなかったのは私だけだったんです。だって仕方ないじゃないですか。今まで親の言う通りに生きてきたんですから。だから、私親に将来はどう生きればいいか聞いてみたんです。そうしたら、父親は『自分で考えなさい』と言いました。母親は『自分のやりたい事をやりなさい』と言いました。今まで指図していたのに、急にそんな事を言ったんです。その言葉を聞いてから、私は、私が分からなくなりました。分からなくなって、今までどうやって生活してきたのかも分からなくなって、学校も家も居心地が悪くなりました。学校をサボるようになりました。あてもなくフラフラ歩いて、何かにあたらないかと思っていました。その時、昼間からベンチに座る佐々木さんを見つけたんです。毎日このベンチに座ってはうなだれて、タバコを吸って帰る。そんな縛られない生活をするあなたが気になったんです。あなたのどこかにヒントがあると思ったんです」
「なるほどな。だいたい分かった。だが、話をぶり返すようで悪いが、タバコを吸おうとする必要はなかったんじゃないか?」
「そうですね…。話した佐々木さんが想像を上回る人で、舞い上がっていました。あなたがタバコを吸うように、私もそうすれば何かが得られると勘違いしていました。あのときは、気が狂っていたのだと思います」
俺はあのとき、彼女が非行に走りたいだけの不良少女なのかと思っていたが、蓋を開けてみれば彼女は普通の歳頃らしい少女であった。
要は思春期である。
言動に明確な理由などない。どこからか湧き上がる衝動に、ただただ動かされるのが思春期というのものの症状なのだろう。しかし、なんだろうな、この違和感のようなものは。彼女はとても大人びて見えるし、言葉遣いも俺の妹より知性に富んでいる。オマケに大人をからかう度胸もありやがる。そんな彼女が「将来」と言う漠然としたもののせいで、崩れ乱れてしまうなんてな。人を見かけで判断するなとは、こういうことも言うのだろう。
「将来が見えないことが不安か?」
「さあ、どうなんでしょう。私自身、このモヤモヤが不安なのか焦りなのか分かりません。親に対する憤りなのかもしれませんが、どことなくソワソワします」
「誰かに相談とかしたのか?」
「今のところ佐々木さんだけです」
「その将来について話した友達に相談しないのか?」
「その子とはそれほど仲良くはないです。私の周りにいる仲良さそうに接している子たちは、私の居ない所で陰口を叩くような子たちばかりですから、むしろ私のこと嫌いなんですよ」
「新枝、もしかしてお前結構勉強は出来るんじゃないか?」
「はい、テストの総合順位は学年1位意外とったことがないです」
前々から気にはなっていたことだが、やはり彼女は学があるらしい。と、言うことはだ。
「学校では品行方正なんじゃないか?」
「それは勿論。私、学校では猫被ってますから。優等生です!」
「なら、男子からモテるんじゃないか?」
「学校でモテる男の子や先輩に何回も呼び出されました!」
新枝の周りに信頼出来る友達が居ない、出来ないのは彼女の自発的な言動が原因ではないのだろう。恐らく、強かな彼女は、学校で容姿端麗な優等生を演じているはずなのだ。ならば周りの女子が彼女の容姿や頭脳を妬んでいても不思議ではない。
変な話しではあるがな。
て言うか、なんでコイツさっきからムカつくくらい自慢げなんだ…?
「それで? お前はどうしたいんだ?」
彼女にそう尋ねると、彼女はまっすぐにこちらを見た。
「私は、どうすればいいんですか?」
「それはお前が決めることだ。やりたいことをやれ」
気の所為か、彼女の視線が落ちるようだっだ。期待していた答えではなかったのか、はたまた親に言われたようなことを俺も言ったからだろうか。
知らんと言うのは簡単だ。だが、俺は簡単に突き放すような大人でありたくない。そんな心無い言葉をさも諭すように吐く大人たちが心底嫌いだからだ。
「だが、やりたいことがないなら、色んなことに触れていけばいい。色んなことに挑戦して、その中で自分にハマるものを見つければいい。自分が本当にやりたいことって言うのは、簡単には見つからないんだよ。俺だってここ数年で見つけたんだから、お前が見つからなくても何もおかしくない。むしろお前の年代で進むべき道があること、目指すべき目標がある方が少数なはずだ。目標を語るお前の周りの女子たちの言う将来は、現時点の暫定的なものに過ぎないかもしれない。だから、焦るな。お前の人生なんだ、周りはどうだっていい。お前は、新枝は、自分のペースで、自分のやり方で自分を見つめればいい。俺はそう思う」
彼女と初めて会って怒った時のように、少し感情的に言ってしまった。それに気付いて俺はバツが悪くなった。
「すまん。お前が欲しい答えじゃなかったかもな」
彼女は視線を下にしたまま、黙っていた。つまりはそういうことらしい。
帰るか…。
立つ鳥、跡を濁さず。俺は立ち上がる。
「長々と語っていましたが、つまり、色々やってみろってことですよね? 小説家って長々と語るのが好きなんですねー」
「おいい!!」
張り詰めた雰囲気が風船のように割れた。
「なんですか?」
「なんですかじゃあねぇ!」
「えー?」
彼女はとぼけるように人差し指で頭の横を抑えた。
「何も言わねーから、てっきり納得できるような答えじゃなかったって思っただろーが!」
「それは佐々木さんが勝手に勘違いしただけじゃないですかー」
た、確かに…。
「私は、佐々木が長々と語るから要点をまとめて、内容を理解するために考えていただけですよ」
そう言われれば確かにそうだ…。
「だいたい、話が長いのが悪いと思います!」
「自分の事情を長々と語ったお前がそれを言うか?!」
「はい? 何を言っているんですか。私の事情を伝えるために無駄を省いて、あれ程の情報になってしまうのは仕方ないと思います。15歳の人生を語るには短過ぎるくらいじゃないですか?」
一理ある気がする…。
なぜかいつの間に俺が悪いという方向に話が向いてしまった。あ、あれれー?
彼女には否があっても自身を正当化し、論破してしまうという悪魔のような才能があるようだ。
「だから謝って下さい」
「お、おう…。すま…ってなんでだよ」
「嘘です。冗談です」
「なんなんだよお前は…」
流れで本当に謝ってしまいそうになった。15歳に翻弄させられる自分が情けなくなって頭を掻きむしる。だが、それはすぐにどうでも良くなった。
「ありがとうございます」
気づけば、彼女はそう言って笑っていた。
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