15センチ=シェア
「まず何から話そうか、私達姉妹が親に捨てられた話からにする?」
病院内のカフェテリアで、僕は遠野のお姉さん─────
彼女はいつの間にか珈琲の入った紙パックを二つ持ってきていて、奢りだ、とそれを机に置いた。
「…何故、僕の事を?」
「笑美から聞いてんのよ、そんくらい君も分かってんでしょ?…にしても君、幸薄そうだねぇ。そりゃあ、騙される訳だよ」
「騙され…?」
「だから言ってんの、あの子に関わるのを止めなさい。あの子は君を騙してるだけよ。最初から、全部ね」
唐突に展開していく話に、付いていけなかった。何だ、何の話だ。僕は騙されている、彼女に。一体どういう事だ。
「…あの子の近くにいるとさ、変な事起こらなかった?」
「え…それは」
「そういう事だよ。そうだなぁ、多分あの子は君にこう言ってたんじゃない?"私と貴方は、思考が共有できるみたい"、とかさ」
珈琲を啜りながらそう続ける、僕の返答なんてお構い無しに会話を進めていく彼女のその強引さに、遠野が重なる。本当に姉妹なんだな、停止し始めていた頭の中で、どこか冷めた自分がそう呟いた。
「図星だろ?それはね、真っ赤な嘘なんだよ…いや、嘘ではないか。半分ホントで半分嘘。あの子はね、15センチ以内に近付いた人間に対して、誰にでも一方的に思考を送受信できんのさ」
多愛さんは何でもないように、全てを引っ繰り返した。15センチ。それは僕らの根底であり、僕らの関係の全てだった。その距離も、その温度も、何もかもがそれを基準として成り立っていた。何度も言い返そうとして、言葉が口の中で霧散していく。否定材料なんてものはない。だって僕は彼女に関して、それ以上の事を知らないのだから。その沈黙をどう捉えたのか、多愛さんは、ふっと小さく笑みを零した。そして、君も馬鹿だな、と口角を吊り上げた。
「…君の中で、あの子がどういう存在かは、私も知らない。けどね、それがとんでもなく大きいモノになっているんだとしたら、今すぐあの子の事は忘れた方が良い」
「…どうしてですか?」
目をしっかり見抜いてくるのもそっくりだ。彼女と目を合わせると、どこか試されているような、変な気分になる。彼女達の目には、そのくらい強い何かがあった。そこに映る僕にも、そんな何かがあるんじゃないかと錯覚してしまう程に。そうなると、僕は目を逸らせなくなる。囚われたみたいに、その一点から目が離せなくなるのだ。何秒間か、そうしていた。その間、多愛さんも目を逸らす事はなかった。きっと実際に試されていたんだと思う。しばらくして、根負けしたように多愛さんから口を開いた。
「…聞こえなくなるんだよ」
「え?」
「聞こえなくなるんだ。それもあの子の声が、じゃない。聞こえなくなるのは私達の声が、なんだ」
伏し目がちにそう言った多愛さんは、ゆっくりと窓の外に視線を移した。
「それだけじゃない。書いた文字も、伝える為の動作も、その全てがどんどん認識されなくなる…あの子にはもう何年も、私の声は聞こえてないよ。意思疎通する為には、15センチ以上近付く必要があるんだ。そうやってテレパシーを使えば使う程、また私の声は遠ざかる」
「…」
「あの子が大切なのなら、傷つく前に離れなさい。傷つける前に離れなさい。それが君の為。あの子の為なんだ」
─────*──*──*─────
「…一つ、聞いてもいいか?」
夕日は傾き始め、二人きりの病室を赤く染め始めていた。これまでの経緯を語り終えた僕は、最後にそう付け足した。外を眺めていた彼女はゆっくりとこちらに振り返る。その目はその先を促しているように見えて、僕は言葉を続けた。
「そうなるとわかっていて、何で僕に近付いたんだ?」
多愛さんから聞いた話だと、彼女はそのテレパシーのせいで今まで友達と上手くいかず、仕舞いには自ら交友を断つようになったらしい。なのに何故、僕にあんな提案をしたのか、それだけが分からなかった。
「これも、謝らないといけませんね」
「どういう事だ?」
短く息を吐いた彼女は、また哀愁を漂わせた笑顔を浮かべた。僕はそれが彼女らしくなくて好きではなかったから、少し顔を顰めた。まぁ、後になって、その笑顔が本来のものだと知るのだが。
「席替えした次の日でした。授業中に望月くん居眠りしてたんですよ。その時に、魔が差したって言うんですかね、こう、どんな事考えてるのかなって」
「覗いたのか?」
「はい、すみません。それで、あ、この人も同じだ、って…そしたら興味湧いちゃって、けれど私はもう、他人との関わり方が分からなかったものですから、ああいう風にしてみたんです」
「それであの三文芝居を…」
はい、と彼女は答えた。恥ずかしそうな彼女を見て、思わず溜め息を吐いた。初めから、僕は騙されていた。その事実はどうやら不変なようで、それは、もう僕らが15センチを共有する中ではなくなった事を意味していて、それはつまり。
「さて、終わり、ですよね」
「…そうだな」
夕日が沈み始めて、面会時間の終了を促すアナウンスが僕らを急かした。ベッドに並んで腰かけていた僕らは、どちらからともなく身体を寄せ合った。額と額がくっつき、視線がすぐ目の前で交錯する。多分先に笑い出したのは彼女だったと思う。それがおかしくて、僕も笑う。こうしてみると、あの日の事を思い出して、咄嗟の思い付きを試してみる。
「…単刀直入に言いますね、シェアしません?」
15センチの関係は今日、終わりを迎える。僕と彼女のこの不思議な秘密は、この不思議な繋がりはなくなってしまう。
「…はい」
耳元で聞こえた彼女の声が、少しくすぐったくて、あぁ、それが堪らなく嬉しくて。
「最後に僕と、15センチだけシェアしましょう」
彼女の中の何かを試すみたいに、僕はそう言った。
最後にもう一度。これは少し変な彼女と、至って普通な僕の。
小さな15センチの秘密の話だ。
15センチ=シェア 瓶戸 みどり @koura_TurTle
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