トッピングは恋でよろしいでしょうか?

雪永真希

第1話 はい、いただきます。

「お待たせいたしました」


 そう言ってカウンターに置かれたのは、大きな土釜だった。

 大量の涙で滲んでいたけれど、間違いなく土釜だ。


「え、ちょ、頼んでないですけど」


 嗚咽する私の代わりに、左隣に座る早苗が言う。

 そうだそうだ。土釜なんて使う料理は、頼んだ覚えがない。

 そもそも、こんなオシャレなカフェに、なぜ土釜。

 

 私は土釜から目線を上に上げた。

 カウンターの中には、シャツと黒ベストを着こなした眼鏡男子がいる。


「何か悲しいことがあったご様子。僭越ながら、あなたの傷ついた心が少しでも癒されれば、と」


 きっと彼は私の失恋話を一から十まで聞いていたのだろう。

 他に客がいなかったので、私は思う存分泣いていたのだから。


 実は今日、私の彼氏であるユウヤの浮気が発覚したのだ。

 ユウヤは大学時代の同級生で、今は大学院に通っている。

 就職した私とは生活時間が変わってしまい、会える時間はめっきり減った。だけど気持ちはちっとも変わらず、ラブラブだと思っていた――が。


 サービス業は平日が休みなので、朝から会いに行ったところ、彼の部屋に別の女がいたのだ。

 聞けば、同じ大学の新入生だという。

 高校を出たばかりの若い女に、彼氏を寝取られるとは。晴天の霹靂だ。

 しかもユウヤは全く悪びれる様子はなく、「別れてくれ」と言い出す始末。


 泣きながら彼の家を後にした私は、公務員試験浪人である早苗を呼び出し、このカフェでくだを巻いていたのである。飲んでいたのは、お酒じゃなくてコーヒーだけど。


「困ります」


 私は拒絶した。もらう理由がない。


「どうか受け取ってください。こちらはお店のサービスで」

「いただきます」


 食い気味に了承の言葉を返す。

 実は、さっきからお腹がペコペコだ。

 だけど早苗に別れの経緯を説明してたところだし、早苗はもらい泣きしてるところだし、言い出しにくかったのだ。

 泣くにも体力がいるってことよね。


 土釜ってことは、炊き込みご飯か何かかな?


「コーヒー一杯だけで長居してくださったので、十分に浸水させることができました」

「嫌味かよ」


 早苗のツッコミが入る。

 だけど店員はそれをスルーした。


「ちょうど蒸らし時間が終わった頃合いです。どうぞ蓋を開けてみてください」


 古風な柄の手拭いが差し出され、私はそれを受け取って土鍋の木蓋をパカッと開けた。

 その途端に、白米の甘い香りが辺りに広がった。炊飯器で炊くよりも、香りが強い気がする。

 そして嘘くさいくらいに一粒一粒が光り輝いている。


「土釜だとふっくらと香りよく仕上がるんです」

「おいしそう!」


 私が目を輝かせると、店員は嬉しそうに微笑んで、茶碗などが乗ったお盆を運んできた。

 白いごはんだったら、梅干しで食べてもいいし、ふりかけをふってもいいし、卵かけご飯にしてもいい。

 何の具材が? とウキウキしながら覗き込むと、そこには白い粉の入った小皿しか乗っていなかった。


「塩……?」

「ご明察です、みのり様。美味しいごはんを引き立てるには、塩が一番です」

「どうして私の名前を知って……?」

「よくいらしてくださるお客様のお名前くらい、スタッフなら知っていて当然です」


 そうなのか。それが接客業の基本なのかと私は感動した。

 このカフェに来るのは月に1度か2度、給料日後の余裕がある時。

 しかも一人でふらりと来るので、名乗ったこともないはずなのだが……カフェ店員さんってすごい。


「さっきから私がみのりって呼んでたからね」


 なるほど。早苗の一言で謎はあっさり解けた。

 店員の胸には小さなネームプレートがあり、そこには“高橋”と書いている。


「では、さっそく調理に移らさせていただきます。ちょうど水分がいい感じに飛びましたね」


 そう言うが早いか、高橋さんは料理用の手袋をつける。

 水に濡らした手の指に、塩をつける。

 そしてまだ熱いと思われるご飯を手の平に乗せ、軽やかに握った。


「塩は少し多いかなといった量くらいがちょうどいいです。ご飯は粒をつぶさないように、力を入れすぎないでくださいね」


 この時点で私の口からはよだれが垂れそうになっていた。

 ただの塩結びがどうしてこんなにおいしく見えるのだろう。

 高橋さんは瞬く間に塩結びを三つ作ると、長方形の和風皿に乗せて私の前にそれを置く。まだ湯気が立つくらいアツアツだ。高橋さんが火傷してないか心配なくらいである。


「どうぞ、召し上がれ」

「いただきます!」


 私はおにぎりを一つ手に取り、はやる気持ちでそれにかぶりついた。


「これは……!」


 二人の視線が私に集まる。私は抑えきれない感情を言葉に乗せた。


「ご飯一粒一粒が生きているようです! ふんわりと、それでいて簡単に崩れることのない絶妙な握り加減! 香りとともに口の中に広がる芳醇な甘み! ワイルドさを感じる塩加減がそれを助長していて、大変美味です!」

「お前はどこぞのグルメリポーターか」


 早苗のツッコミは耳に入らない。

 ただの塩結び、されど塩結び。こんなにおいしいおにぎりを食べるのは初めてだ。

 漬物や味噌汁はもちろん、海苔すらいらない。

 横で早苗が「私の分はないのかよ……」と小さく呟いているが、あまりのおいしさに一つたりとも譲ることはできなかった。


「ごちそうさまでした!」


 三つのおにぎりを瞬く間に平らげ、はしたなくも指についたご飯粒を口で取り、私はお礼を言った。

 もし叶うのならば、おかわりをしたいくらいである。


「おそまつさまでした。みのり様は炭水化物がお好きなようでしたので、差し出がましいかとは思ったのですが、ご用意させていただきました」


 高橋さんはおしぼりを差し出しつつ、微笑む。


「どうして炭水化物が好きだと知っているんですか!?」


 確かに私は炭水化物が好きだ。炭水化物なら、ご飯でもパンでもパスタでもじゃがいもでも、何でも来い! である。

 関西出身の人がよくおかしいと言われる、「お好み焼きをおかずにご飯を食べる」という食生活も、何ら疑問を抱かない。


「昨日は、朝食パンにポテトサラダを挟み、昼にはナポリタンと焼き芋、おやつにポテトチップス、夜はチャーハンとラーメンを召し上がられてましたね。一昨日も、その前の日も。あなたくらいの若い女性だと夜は控えたりするのですが、あなたは毎食炭水化物を召し上がっています。見ていれば簡単に分かることですよ」

「見られていたんですか! 恥ずかしい! でも、どうやって?」


 昼は外食だったから目撃される可能性は十分に考えられるが、朝と夜は家で食べている。献立を知られる可能性は低いはずだ。


「これで拝見いたしました。実はわたくし、みのりさまの向かいのマンションに住んでおりまして」


 高橋さんは「てへへっ」とでも言いそうなほどはにかみながら黒くてゴツいフォルムの双眼鏡を取り出し、紐を首にかけた。


「えっ……」

「ちょっとみのり、こいつやばくね?」


 突然の告白に、私は絶句した。が、高橋さんのトークは止まらない。


「みのり様のことで知らないことと言えば、スリーサイズの目測と実際の誤差くらいなものです。最近の女性下着はよくできていて、見た目では正確な数字が出せませんから」

「えっ、私、自分の血液型知らないんですけど、高橋さんは知ってるんですか?」

「おい。気にするところ、そこ?」


 高橋さんは早苗の言葉をまたもや華麗に受け流す。


「もちろんです。みのり様の血液型は、AB型のRHプラスです。良かったですね、マイナスなら大変貴重な血液型なので、何か起きた時には輸血が不足するなんて事態もありますから」

「そうだったんですか! 初めて知りました、ありがとうございます!」

「いや、お礼言ってる場合じゃないから! それってストーカーだよ、みのり。警察、警察!早く逃げなきゃ。出よ、出よ」

「待ってください! 別に他意はないのです。ただ、みのり様がこの店に初めていらっしゃった時から、お慕いさせていただいただけなのです。こんな機会でもなければ、一生お伝えすることもありませんでした」

「一生双眼鏡で覗くつもりかよ、この変態!」

「変態だなんて、そんな……」

「褒めてねえ!」


 早苗の罵声に、高橋さんは頬を赤らめてモジモジする。


「ちなみに差し出がましいとは思いますが、お伝えしたいことが」

「これ以上、一体何が?」

「実は、あなたの元カレのユウヤ様ですが」


 ユウヤの名前に、緊張が走る。

 そうか、ユウヤはもう元カレなのだ。胸に刺さる痛みを堪え、私は続きを促した。


「大変申し上げにくいのですが、ユウヤ様はみのり様の外にも5人ほど彼女がいらっしゃいます。更に言わせていただければ、みのり様は計6名の女性の中で、最下位です。ドンケツです」


 がーん。

 そう効果音がしてきそうなほどの衝撃だ。

 浮気されたとばかり思っていたが、まさかの最下位。


「そして更に」

「まだあるんですか! もう何でも言っちゃってください」

「彼氏も1人いらっしゃいます」


ががーん。

まさかの彼氏。

全員で恋人が7人。ユウヤ、休みないじゃん……タフすぎるじゃん……。

そうか、私はユウヤの休み確保のために強制脱退させられたのね。

休み、大事。働き過ぎ、ヨクナイ。

なんだかそこまで行くと許せるというか、逆に尊敬するというか。


「申し上げにくいといいつつ、傷をえぐりますね……」

「元カレのことまでストーキングしてたのかよ、この犯罪者! みのりも何か言いなよ! あんたは被害者なんだから!」

「犯罪者だなんて、あんまりです。ただ、私はみのり様の熱心なファンなのです。どこぞのアイドルのファンのようにみのり様に害をなそうとはこれっぽっちも思っていません。純粋な愛なのです」


 そこで私は、彼の真意を確認するために顔をじっと見た。

 すると今まで光が反射して見えなかった、眼鏡の奥の目が見えた。


 ――イケメンだっ!


 涼し気な切れ長の目、通った鼻筋、薄い唇。


 はっきり言って、今は元カレとなってしまったユウヤよりも断然かっこいい。

 そうと分かれば、私の取る道は一つ。


「そんなに私のことを想ってくれてただなんてっ!」

「喜んでんのかーい!」


 早苗のツッコミすら、祝福の言葉に聞こえる。

 

 ユウヤに最下位扱いされていた私をそこまで見ていてくれてたなんて、感激だ。

 もはやユウヤなんて流行の過ぎ去った服のようだ。さっきまで流していた大量の涙を返して欲しいくらいである。


 それを聞いた高橋さんは、目を輝かせた。


「嬉しい! 僕の想いを受け入れてくれるんですね! じゃあ、これからも部屋を覗いていいですか!?」

「もちろんです! これからもよろしくお願いします!」


 そうと分かれば、急いで可愛い部屋着を買って来ないと。部屋も片付けなきゃだし、覗きやすいようにカーテンの開き方も研究しなければ。


「もう知らん。勝手にすれば」

「早苗、ありがとう! ありがとう!」


 私は気の抜けた様子の早苗の手を握り、ぶんぶんと振り回した。


 こんな恋の始まりも、あるのかもしれない。


 ただし、イケメンに限る、である。

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