第3話 ノイジィ・ララバイ〈前〉

 僕らは夢を見ない。眠らない。僕が眠るとしたらそれは僕という意識がリセットされ、この体に新しい意識がダウンロードされるときだろう。

 僕は、新惑星へと片道切符で向かう宇宙旅行の間、半冷凍睡眠状態の人間たちが夢の中で迷子にならないように見守る、アンドロイドだ。


 人間たちが眠るカプセルは、無重力をいいことに縦横無尽に部屋を横断するワイヤに吊されて、順序よく僕たちの前へと流れてくる。管理アンドロイドは天井に近かったり床に近かったり、今の僕のよう壁の中程の宙ぶらりん状態でだって、姿勢固定アームに陣取っているだけでいいのだ。中央コンピュータの制御下に置かれた半冷凍睡眠用カプセルは通常、七層になった可動式の壁の内に収納されていて、この船の中で感じる主観時間における一日ごとに行儀よく、それも担当アンドロイドがこの部屋に入室したときに限って壁から運び出される仕組みになっている。

 そうして僕の前に流れてきたカプセルの中には一様に、足首に刺さった太いチューブによって凍る寸前まで冷えた体液を循環させ続けて眠る人間が横たわっているのだ。

 僕らはガラス蓋を覆う霜を除去して人間たちの顔色を観察し、脳波やともすれば消えてしまいそうなくらい弱い脈拍や呼吸を観測するモニタの変動をチェックし、わずかばかりの排泄物を分解処理する機器の動作を確認する。ここまでの作業はカプセル一つずつに常にアクセスしている中央コンピュータでも事足りる。

 僕たちアンドロイドの仕事は、ここからが本番だった。

 僕は空気弁つきの穴からカプセルに手を突っ込んで、人間たちに直接触れる。

 くつろげられた宇宙服の襟から手を入れ、呼気に含まれる水分によって凍った産毛を掌で潰して、その下に息衝く血潮を通して人間たちに語り掛ける。内容はなんでもいい。僕らの声と低目に設定された体温が、長い夢を彷徨う人間たちを生の縁につなぎ留めるんだ。

 人間が夢の底で溺れることなく目覚められるように、僕らは死体然とした人間たちに触れる。

 そのために、そのためだけに、僕らは造られた。


 光の速度の三倍で広大な宇宙空間を突き進むこの船の、強靱な外壁を隔てたそこには痛いくらいの静寂が満ちている。入り乱れる磁場と真空は、ほんの数時間で生身の人間を芯から凍らせ表皮を干乾びさせてしまうくらい寒々しい。太陽光が届かない影にいたっては絶対温度で三.一五K、摂氏でいえばマイナス二七〇度にも達する。そのくせひとたび太陽に曝されようものなら、宇宙船の表面温度は数千Kを示す。

 そんな過酷な世界を旅する宇宙船の中は、いつだって快適に二九二.一五K、すなわち摂氏一九度と〇.八Gを保っていた。優秀なコンピュータが弾き出した必要を正確に実現し造り上げる人間の手腕のなせる業、といったところだろう。

 ただ一室、半冷凍睡眠状態の人間たちを収納しているこの部屋だけが、薄ら寒い摂氏四度と不安定な無重力状態に設定されていた。身動きできない人間たちの自重や体液を偏らせないように、そして宇宙船の限られた空間に一人でも多くの人間を積むために、そういう設計がなされているのだ。

 なにしろ地球脱出の権利を得た二億人を移送するには絶対的に、箱舟たる宇宙船の数が足りていなかった。

 壁から延びたアームの先で、僕は送られてきた次のカプセルに手を入れる。

 凍った産毛ごと左の鎖骨を撫でながら、僕はカプセルの集音マイクに唇を寄せる。

「今日はね、小惑星の尾が見えたんだよ」

 強化ガラスの蓋を覆う霜が徐々に晴れていく。消えなずむ白が、わずかに開いた唇を彩っていた。凍りかけているせいで紫色をしているけれど、乾いてはいない。一分間に二度の呼吸が、きちんと生命をつないでいる。

「見えたっていっても、ほんの〇.〇三秒の交差だったけどね」

 報告しながら、カプセルのモニタで生命反応の値を確認する。どれも正常だ。

「そうそう、警報も出たんだった」

 僕はカプセルから手を抜いて、次のそれを呼び寄せる。

 そういえば、今作業を終えたカプセルに入っていたのは、男だったっけ? 女だったかもしれない。霜の窓から覗いた唇は少し色っぽかった気がする。

 警報? と僕を促す女性を妄想しながら、次のカプセルに手を入れる。相槌一つ返してこない人間を相手に延々と話し続けるには、アンドロイドにだって根気とコツが要るのだ。

 僕の前に滑ってきたカプセルに手を突っ込んで、冷たい肌を探り当てる。モニタを横目に「七十三時間後に」と言いかけて、黙る。

 掌を打つ鼓動が、強かった。

 慌ててガラス蓋に顔を近づける。まだ霜で曇っていた。それでも僕は目を凝らして、寄生生物じみた不気味な霜の結晶の隙間から、中を窺う。

 ひび割れて白くなった唇が、大きく開いた。歯の隙間で赤い舌がちらちらと踊って、何事かを喘ぐ。

 僕は指先だけでカプセルのパネルを操作する。血液循環チューブからアドレナリンを投与し、カプセル内の酸素濃度を上げてから、経皮型生命活動観測装置を経由して脳に微弱電流を流し四肢を刺激する。

 強制起床モードだ。これで持ち直す者も多い。

 けれど、力強い拍動は一度きりだった。最後の、鼓動だ。ひょう、と聞こえるはずもない喘ぎを、僕の皮膚センサが聞く。

 それが最期だった。

 じんわりと晴れていく霜の下で、女性が眠っていた。寝乱れた髪とひび割れた唇が、荒廃した地球を覆う枯れ木みたいだ。それでも虚空を睨む瞳の碧さは、たっぷりと酸素を含んだ快晴の空と同じ美しさを湛えている。もう二度と、なにかを映すことなどないのに。

 パー、と生命活動停止を知らせるブザーが響きわたる。巨大な管理室の上下に散った仲間たちが視線を寄越して、けれどさして珍しいことでもないせいか、自分たちのカプセルへと興味を戻していく。

 何人が生き残っているんだろう? と僕はカプセルから腕を引き抜きながら嘆息する。

 地球を出発したときに乗っていた人間は二千二百五十人だ。十年と少しで一割強が醒めない夢の底に沈んで逝った。中央コンピュータにアクセスすれば正確な死者数がわかるはずだけど、生憎とこの半冷凍睡眠管理室は電波暗室仕様だ。

 僕は、八人を看取っている。

 その誰もが、最期の瞬間になにかを言い遺そうとした。それまで安眠していたにもかかわらず、まるで僕を待っていたかのように僕の掌に命の音を遺して、死んで逝くのだ。僕以外のアンドロイドたちも、同じ経験をしていた。そのくせ、最期の言葉を聞き取れたという話は聞かない。

 拾えない遺言なんて、後味が悪いばかりだからやめてほしい。

 僕はパネルを操作して、死者が眠るカプセルをワイヤから外す。

即座に飛行型ドローンがすり寄ってきた。まるで死臭を嗅ぎつけた蠅みたいだ。もっとも、僕は蠅という生物に会ったことがない。地球を捨てた直後はこの船にも、どこからどう忍び込んだのか蠅が存在していたらしい。けれど常に起きて活動しているのは僕たち睡眠管理アンドロイドと数種類のロボットたちだけ、というこの船の環境に淘汰され数年で絶滅してしまった。だから僕が蠅という生物を知っているのは、地球のことを記憶している中央コンピュータと情報を共有しているからにすぎない。それがいかに鮮明な映像と触覚をもたらしてくれたとしても、その体験は決して僕のものでありはしないのだ。

 僕の機械の身体はこの船と同じく地球で製造されたものだけど、僕という意識は八年前に目覚めた。正しくは、八年前に人工知能の自己認識が初期化された。だから僕は蠅がどういうふうに飛ぶのか、知らない。

 ドローンに連れ去られるカプセルを見送りながら、僕はあのカプセルに告げようとしていた情報を冷静に思い返す。

 七十三時間後に、磁気嵐が到達する。

 つまりそれは、前回この船を襲った磁気嵐から四年の間にため込んでいた睡眠カプセルを――中身が死者となり柩と化したあれを、宇宙へ放出するときが近付いている、ということだ。

 人間たちが眠るカプセルには、宇宙船が航行不能に陥った場合でも単独で新惑星への旅を孤独に続けられる機能が備わっている。その一つが、自分の現在位置とカプセルの姿勢を把握するための磁気センサだ。

 僕らは放出したカプセルのそれを一斉に暴走させることによって磁気嵐を相殺、もしくは半減させる。永眠した人間たちの体ごとカプセルを破壊することになるけれど、この船を守るためならば仕方がない。

 なによりも優先するべきは、生きている人間なのだから。

 残り七十三時間、と唇の動きだけで呟く。半冷凍状態で死亡した人間は摂氏四度の無重力状態から、摂氏十九度の重力下に移される。その状態で四十二時間を経てもなお心肺機能が停止していることを確認して初めて、宇宙放出の対象と認められるのだ。

 船の盾は、一つでも多い方がいい。

 僕は自分にそう言い聞かせて、次のカプセルを呼び寄せる。霜に閉ざされた眠り姫と眠れる王子たち。さしずめ僕は彼らを守護するおとぎ話の妖精、といったところだろう。

 どちらにしろ、もう磁気嵐の話をする気にはなれなかった。

 僕は僕の内に保存した対人間用の情報ファイルから「歌」と名付けられたデータを引き出す。

 この船に存在するただ一曲きりの音楽だ。僕の人工声帯が、人間の歌声とはほど遠い電子音の連鎖を紡ぎだす。

 ずっと昔、この船にはたくさんの音楽があった。優しい声で歌われる子守歌や、弦を震わせて奏でる舞曲、すでに滅んでしまった民族の歌なんかも受け継がれていた。様々な音楽は、けれど防ぎきれなかった磁気嵐によって失われてしまっている。

 今残っているのは、この一曲だけだ。それすら記録されていた歌声は消失し、連れ合いに去られた侘しい伴奏が残るのみだ。

 僕は僕の喉からあふれる無機質な音に包まれて、冷たく凍り付いた人間たちに触れる。

 人間たちの心臓がこの冷たさに囚われてしまわないように願いを込めて、僕の持つデータと感覚回路の全てを、薄情なくらい軽快な曲に重ねていく。


   ◆ ◆ ◆


 流れてくるカプセルに手を入れ担当する人間たちの健やかな眠りを確認してから、僕は半冷凍睡眠室の無重力空間を脱する。

 船内に満ちる重力は〇.八Gに統一されていた。地球のそれより軽減されているとはいえ、半冷凍睡眠室の無重力に甘やかされていた姿勢制御センサには自重すらずっしりとくる。チタン骨格と油圧式の人工筋肉、さらには頭部と腹部に詰め込まれたコンピュータ。僕を構成する高度な技術の重みは、僕を造った人間たちの願いの強さなのかもしれない。つまりは、枷だ。

 でも、この不自由さは嫌いじゃない。自分がどれほど人間たちに期待されているのか、実感できる。

 僕は一歩ずつを自分の重みを踏みしめながら、安置予備室へと向かう。

 廊下の先、宇宙とつながるエアロックに近いところに、安置予備室はある。心肺停止に陥った人間の死を確定する空間だ。

 僕は廊下から大きなガラス張りの窓を覗く。

 広い部屋のど真ん中には、カプセルが一つきりだ。ここ最近の死者は、僕が担当していたあの女性一人だけらしい。

 陰鬱とした気分で入室して、カプセルのナンバを中央コンピュータに照会する。答えはすぐにきた。

 ――ニカ・テレシコワ。二十一歳の、歌手だ。

 ああ、マズい。反射的に、そう思う。

 レフの、お気に入りだ。二年前、冷たい夢から目覚めたばかりのニカを指して、「彼女はね」と囁いたレフを、思い出す。

「彼女はね、歌が失われたこの船に残された、最後の希望なんだよ」

 そう秘め事でも告白するように言ったレフに、彼の恍惚とした人間らしい表情に、僕はチタン骨格の芯が軋むような畏れを抱いたのだ。

 その彼女が、死んだ。

 僕は大急ぎでレフの現在位置を検索する。レフのお気に入りを死なせたなんて知れたら、次は僕の番かもしれない。

 次は僕の意識が、眠らされる番かもしれない。僕は目覚めてからまだ八年しか生きていないのに、たった八年でこの体を次世代の意識に引き渡さなきゃならないなんて、考えただけでぞっとする。そんなの、理不尽だ。

 僕らは一定期間ごとに、この機械の身体に宿る意識を書き換えられている。あまりにも一つの意識が人間と接し続けていると特定の人間に固執し、人間たちを平等に扱えなくなる可能性がある、という理由らしい。もっとも、それは地球の研究者が書いた論文の中にしか存在しない事例だ。

 僕たちアンドロイドは全ての人間を平等に愛し、生かすようにプログラムされている。一つの人格が長々と目覚めていたって、問題なんて起らない。

 その証拠にレフはずっと、それこそこの船が地球を捨てたときから変わらず、レフとして存在している。

 ズルい。

 薄暗い思いが腹に収まったCPUの熱を仄かに上げた。それに呼応するかのように、中央コンピュータからレフの所在が送られてくる。

 レフは、船外にいた。

 船外? 光速の三倍で進むこの船から出るなんて、自殺行為だ。戻ってこられるはずがない。僕らがこの船を降りるのは、新惑星の大地を踏むときに限られている。それに――。

 僕は自分が半冷凍睡眠室にこもっていた間に交わされていた仲間たちの通信ログを漁る。

 やっぱりだ。レフは、自身の船外活動の可否を仲間に問うている。電波暗室たる睡眠室で作業をしていた僕らを除いても、実に八十一体のアンドロイドの全てが、レフの船外活動に反対していた。

 それなのに今、レフは船の外にいる。

 規律違反だ。

 無自覚に唇が緩んだ。レフが帰ってこなければ、ニカの死を咎める者はいない。僕の意識がリセットされる理由もなくなる。

 もしレフが帰ってきたとしても、この船に布かれた多数決の原則を破った彼には、僕を糾弾する資格がない。自らの意志で仲間の票決を無視したレフとは違い、ニカの死はせいぜい過失だ。

 だって、人間は死ぬようにできている。

 安堵感に浸りながら、僕は部屋の中央に据えられた柩に近付く。

 カプセルは、きちんと十九度に温もっていた。灰白色の宇宙服に焦げ茶色の髪を絡ませて、ニカが眠っている。呼吸も心拍も止めてしまった体は、まるで意識を初期化され再起動を待つ僕らのようで、背筋がぞわぞわとする。

 僕たちアンドロイドと人間との差異がわからなくなるのは、こういう瞬間だ。

 僕はパネルを操作して、カプセルの蓋を開く。二分割のスライド式ガラスが、彼女の足下へと畳まれていく。それが完了するより先に、僕は彼女の鎖骨に触れる。

 しっとりと濡れていて、わずかに温い。彼女の足首の血管に繋がれた太いチューブが、三十二度に加熱された体液を穏やかに循環させているからだ。解凍作業はそろそろ終る。

 にもかかわらず彼女の体は起きるどころか、急速に弾力を失いつつあった。

 死が、僕の掌の感覚センサを強烈に刺激する。

 僕らの体とは違う、腐り得る肉の感触だ。

 その事実に瞼を伏せて、僕は乱れたままだったニカの髪を梳いて整えてあげる。

 同時に、意識の半分で中央コンピュータにアクセスして、彼女の親族がこの船に乗っていないかも検索する。

 いた。八歳の、彼女の弟だ。彼の半冷凍睡眠を担当管理しているアンドロイドは、よりにもよってレフだった。

 けれど仕方がない。

 僕は担当者不在のまま、中央コンピュータに彼女の弟の緊急解凍を命じる。視界の端に二時間四分のカウントダウンが表示された。

 二時間四分後、僕は冷たい眠りから覚めた男の子にニカの――彼の姉の死を告げなければならない。男の子が望むなら、ニカの柩が放出される瞬間に立ち会わせることも必要になる。

 それが、この宇宙旅行のルールだった。

 やけに軽薄な電子音が耳を突いた。僕の唇からこぼれた、この船に唯一残された音楽だ。歌が失われたこの船で唯一、生前の彼女だけがその喉で美しい旋律を生み出せた。だから彼女を悼むには、音楽がふさわしい。

 けれど、と僕は口を噤む。この曲は、あまりにも軽快だ。弟を残して逝く死者には似合わない。

 僕は三十二度に温もったニカの体液が巡るチューブに細い針を刺し、少しだけそれを吸い取る。このまま彼女が宇宙へ放出されてしまっても新しい惑星で彼女の肉体が復活できるように、その遺伝子構造を丁寧に抽出する。

 歌える遺伝子は、他の死者たちのそれとはどう違うのだろう、と考えながら、僕は注射器を泳ぐ彼女の情報を顔の前まで掲げる。

 これさえあれば、人間たちは同じ姿で生れ直すことが叶う。だからたぶん僕たちアンドロイドのように、人間だって一つの体を何代もの意識で共有することができるのだろう。

 僕は弾力のない彼女の瞼を指先で引き下げて、その瞳を隠してあげる。次にその美しい瞳が開くときは同じ色の空を見られるといいね、と願ってから、僕は分厚いガラス蓋で彼女を隔離する。


   ◆ ◆ ◆

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