6.月明りの下で
ルキッラは砂浜で止まっていた。マサキを宿から、自分のわがままから解放して、日本に行けるようにしてやりたい。それには宿をたたむしかない。愛してやまないあの宿。あの宿と、自分はともにありたい。宿の最期は自分の最期と一緒だ。
だがそれはマサキの手紙へは書かなかった。マサキに罪悪感を残したくないと思っていたからだ。書いたのはただ、宿を続けるのを諦めること、そして、マサキにずっと伝えられなかった気持ちだけ。それでも便箋二枚になった。
気持ちを奮い立たせて、車いすを進め始めた。このまま、ただ海に入っていけば、足が不自由なルキッラはすぐに波に飲まれる。
視線の先にあるのは、ドームのような夜空に浮かぶ真っ白な三日月。海で死ねば、
あそこなら街を全て眼下におさめられる。自分は、生まれ故郷であるここ、海と階段の街を、夜の闇の中照らしながら見守り続ける月になりに行くのだ。
ところが、車いすが水に浸かり、波が腰を打ち付けるようなになったあたりで、後ろからバシャバシャと激しい水音が聞こえてきた。
悠だ。ルキッラは急いで車いすを進めたが、後ろから悠に羽交い絞めにされた。抵抗して悠にまで危険が及ぶことは許されない。ルキッラはおとなしく車いすから下ろされ、砂浜まで連れて行かれた。
ゼエゼエと息を切らせながら、砂浜で倒れこむ二人。しばらくするとルキッラの視界の端で悠が立ち上がった。
「マサキー、こっち! 無事だよ!」
ルキッラは横たわったまま、空を眺めていた。真っ白な三日月がこっちを見ている。冷静に考えれば、あんなところに自分が行けるわけがない。
そこにマサキの顔が飛び込んできた。
「ルキッラ!」
マサキはルキッラを抱き起して抱きしめた。息も切らせているし汗だくだ。ルキッラの方も海水でびしょ濡れ。
海では悠が車いすを引きずっている。ただでさえ重いのに波打つ海からここまで引き上げてくるのは大変だろう。
「ルキッラ……ごめん。俺、何もちゃんと考えてなかったよ」
ルキッラは黙ってマサキを見つめている。
「酷いこと言ってごめん。できることなんかないなんて言っちゃったけど、お前はお客さんのためにいろんなことを一生懸命やってるよ。俺……大好きな料理を仕事にして、ここの宿でいろんな人と出逢えるの、楽しくて幸せだよ。お前のおかげだ」
溢れてくる涙を拭わずに、ルキッラはマサキを真っすぐ見つめていた。
「俺、お前と二人でずっとうちの宿を続けていきたい。だから……俺のそばからいなくならないでくれ。お願いだから」
こくりとうなずきながら、ルキッラはつい涙を拭った。海の塩水が目に染みて、ぎゅうっと顔を縮める。
「お待たせ。大丈夫かなこれ。海水にひたっちゃったから、もうダメかもしれないね」
悠が車いすを持って来てくれた。イタリア語の分からない彼女には、さっきのマサキとルキッラの話は、聴こえたとしても何も理解できていないはずだ。
悠は、どかっと砂の上に尻もちをついた。
「ふーっ、よかったよ。怪我もなさそうだし」
「悠ちゃん、ゴメンね。せっかくの旅行なのに、昨日も今日もすごく迷惑かけちゃったよね。私、宿の管理人失格だよね。本当にごめんね」
ルキッラが鼻をすすりながらそう言うと、悠は何度も首を横に振りながら、そのままうつむいた。少しして顔を上げると、悠はこんなことを言った。
「ねえマサキ、昼間の私、どうだった?」
「え、昼間って……ああ、チキン南蛮。あれ美味しかったよ」
答えを聞いた悠が「ははっ」と笑いながらうつむくのと同時に、ルキッラはマサキの肩をぐいっと横から押した。
「違う。水着の事でしょ」
「あ、ゴメン! めっちゃセクシーだったよ。最高だった」
悠は力の抜けた苦笑い。
「まったく……相手が詩織だったら、きっと怒るよ。『適当なこと言わないで』って」
「いや、適当に言ってるわけじゃないよ。何人もナンパしてくるのよく分かる」
「そう。ありがと。せめてもの救いだよ、私にとってはね。…………何言ってんだか。ホント私、馬鹿みたいだよね。浮かれて似合いもしない水着なんか着てさ」
「そんなことないよ」
そう言ったルキッラに悠は短く「ありがと」と「ごめんね」と返した。
「なんか私、見つけたいもの二つとも見つけた! とか思って、舞い上がっちゃったんだよね。でも完全に勘違い。見つけたのは一つだけだった」
「え?」とマサキが聞いた。
「一つ見つけたの? それ、俺たちに言った方? 言わなかった方?」
「秘密。さてと、マサキがいれば大丈夫だよね。私は先に宿に行ってるから。明日の帰る準備もしておきたいしね」
悠は立ち上がると、振り向きもせず歩いて行った。
*
自分達が帰る頃にはもう悠も詩織も寝ているだろうと思っていたのだが、二人とも起きていたのでルキッラもマサキも驚いた。話によると詩織は悠に起こされたらしい。
「ルキッラ、マサキ、お帰り。私達の部屋のバスタブにお湯はったから、体温めて」
詩織はそう言ってバスタオルをルキッラの肩にかけた。
ルキッラは車いすに乗っていても、自分の身の回りのことは一人でできる。体を温めている間、食堂で待っていようとマサキが向かうと、そこには悠と詩織がいた。二人とも入り口に背を向け、明かりをつけずに窓から月を見ている。
いつも妹役の詩織が、悠を隣から手で引き寄せるように抱き、悠の方はそのまま頭を詩織にもたげて寄りかかっている。
マサキは見つからないように食堂の入り口から脇にそれ、厨房で時間をつぶした。
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