3.突然の来客




 食堂にやってきた悠と詩織の前に、サラダとスープが並んだ。詩織が嬉しそうに「んーっ」とうなる。

「美味しそう。お腹ペコペコなんだよ。お昼少なかったしさ」


 詩織が昼食をきっちり一人前食べながら物足りなそうな顔をしていたのをルキッラはしっかり見ていた。マサキには、詩織の分は一人分より多めにするように言ってある。


「あ、詩織メニュー見て。ワインあるって。頼まない?」

「頼む! ねえルキッラ、今日のお料理、赤白どっちが合う?」


「白かな。お魚あるから」

「じゃあ白!」




 二人がサラダとスープを食べきったところで、マサキがパスタを持ってきた。


「お待たせしました。うちの自慢の一品だよ。この島特産のレモンをたっぷり使ったレモンパスタ!」

 お皿が置かれるなり詩織だけでなく悠も「おお」と感激の様子。


 このパスタにはルキッラの祖父母から受け継がれている秘伝のレシピがある。黄色く輝く宝石のようなレモンが美しく、見た目も味も天下一品だ。


「んーーー! 美味しーい」

 はちきれんばかりの笑顔ではしゃぐ詩織。ところが、悠の方はかなり真剣な表情をしている。マサキは一瞬ドキッっとた。


「ん? 悠、美味しくないの?」

 気付いた詩織がそう声をかけると悠はハッと顔を上げた。


「あ、美味しいよ。あんまり美味しいから固まっちゃった」




                  *




 食事が終わると、悠と詩織はそのままテーブルでお喋り。ルキッラも一緒だ。


「ねえ詩織、黒川君から返事来たよ。『中世の遺恨じゃなくて、中世のイコンだと思いますね。イコンという言葉は、一般的には正教会の聖像を指すので、この写真のようなカトリックの宗教画にはあまり使われませんけど、広義ではイコンと言えるのかもしれませんね』だって」


「ふーん」

 どうでもいい、というような詩織の反応にルキッラが思わず笑う。

「詩織ちゃん、せっかく教えてもらったのに」


「だってさ、なんかその文面、知識ひけらかしてるみたいで感じ悪いよ」

 悠も大きな声で笑った。

「そんなことないでしょ。聞かれたことに答えてくれてるだけじゃん」

「えー、感じ悪いよ。今頃あいつさ、間違えた私をニヤニヤ嘲笑ってるよきっと。そういうヤツだよ、あいつはさ」



 三人が話している所にマサキもやってきて腰かけた。

「なあ、二人はどうしてここに来たの?」

「商店街の福引で旅行が当たったんだよ。それで私が詩織を誘って来たの」

「ふくびき?」

「カラカラ回して引く、くじだよ。その賞品で当てたの。詩織もちょうど旅したかったみたいでね。ちょっとワケがあって」


「ねえ詩織ちゃん、昼間もさっきも彼氏の話してたよね。それ関係ある?」

 ルキッラも会話に入り込む。お客さんとの食後のこういう会話は二人の楽しみでもあった。もちろんお客さんによっては嫌がるが、仕事を続けるうちに何となく、おしゃべりを楽しんでくれるお客さんが分かるようになっていたのだ。


「うん。今はまだ彼氏、の話」

「お、何それ。詳しく聞かせてよ」

 マサキも興味津々。悠はニヤニヤ笑っている。

「この子、彼氏と喧嘩したんだよ。どんな喧嘩か聞いてごらん、笑っちゃうから」


「えー、なになに? 聞かせて」

 ルキッラも楽しそうにそう聞くと、詩織は「うーん」と考えながらも話し始めた。


「今、一緒に住んでるんだけどさ、部屋を掃除してたらさ……」

 そう言いながら詩織はスマホを取り出し、マサキとルキッラに写真を見せた。

「こんなのが出て来たんだよ」


 写真に写っていたのは、アイドルだか女優だかの水着の写真集、それにアダルトDVD。マサキは早速声を上げて笑った。

「男だからな。まあ、そういうのの一つや二つは」

「隠してるのが気に入らないんだよ。だからさ、食卓に置いておいたの」

「え、ただ置いておいたの?」

「うん」

 マサキは首に手を回してさすった。

「きついな……。で、帰ってきた彼氏は何て?」

「私がこれあったよって言ったらさ、『ごめん』だって」


 ルキッラが共感するように「あー」とこぼした。

「それは……ごめん、なんて言われてもね」


「そうなんだよ! 相手が怒ってるっぽいから、取りあえず謝っとけみたいなさ! っそれが気に入らないんだよ!! だから私言ったの。そうやって適当に謝るのやめてって」


「言ったのそれだけじゃないでしょ?」

 悠が笑いながら詩織をつっついた。


「『こういうの見てニヤニヤ笑ってる自分想像してみてよ』とは言った」

 マサキは大声で笑った。

「きっつ! きついよそれ!」


「まだあるでしょ?」

 また悠が詩織をつっつく。


「まあ……『人から見たら、自分で思ってる三倍はきもいよ』みたいなこと言ったよね」


 みんな大笑い。マサキは手まで叩いている。

「詩織ちゃん、それは彼氏かわいそうだって!」


「そしたらさ、急に逆ギレだよ! 『きもいとか言うな、こんなの誰でも見る』とか言ってさ。それで頭にきてさ、遠くに行きたくなったんだよ」


「この子、それから一週間以上まともに口きいてないんだって。でも、よくやってるんだよこの子たち。いつもこんな感じ」

 そう言って悠とマサキはまた笑う。詩織は「ふん!」と鼻を鳴らした。

「いいよそうやって笑ってれば。今度は私が悠の話する」

「聞かせて聞かせて!」

 ルキッラが前のめりになった。詩織もルキッラの方に前のめりになる。


「悠ったらさ、この旅行で見つけたいものが二つあるとか言ってたんだけどさ、超イタいよ! 普段クールぶってるくせにさ。まずね、悠、料理人なんだけどさ」

「やっぱり!」

 マサキが指を立ててピュッと振る。レモンパスタを食べていた時の表情でそうだと思っていた。


「お店の主人にさ、『お前が継ぎたければ店はやる。継がないなら店は俺の代で閉める』って言われたんだって」

 ルキッラは「えっ」と驚きながらパチパチと拍手した。

「すごいね! 自分の店になるんだ」


「そうなんだよ。なのにさ、『私がやりたいことが本当にこれか分からない』とか言ってさ。『この旅でやりたいことを確かめる』だってさ! 福引で当たった三泊四日の観光旅行でだよ?」


 マサキが笑って悠の肩に手を置いた。

「見つかりそう?」

「うん……」

 悠は顔を赤くしながらふっとうつむいた。マサキはすぐ肩から手をどけた。思ったより真剣らしい。


「うち、結構人気店だし、大学が近くにあって学生が絶え間なく来てくれるから、安定はしてるんだよ。私が継いでも、ただそれを維持して、惰性でお店続けるだけになっちゃう気がして……。継ぐなら『自分の店』って胸張って言えるようにしたいんだけど、どんなお店を目指したらいいかよく分からないんだよね。自分が行ったことない遠くの街に来たら、何か見つかるかもって思ったから。それが一つ目」


 少し静かになった後、ルキッラは「見つかるといいね」と言って笑いかけた。悠も「うん」と軽く笑って答えた。

「二つ目は?」とマサキが聞くと、悠は人差し指を立てて口に当てた。

「それは秘密。でもひょっとしたら……見つかるかも。見つかったら教えてあげる」



 その時、呼び鈴の音が響いた。「ん?」とマサキが時計を確認しながら立ち上がる。

「誰だ? もう十時回ってるのに……」



 マサキが玄関に向かうと、そこには扉をあけっぱなしにしてヴィットーリオが立っていた。


「おーうマサキ、お疲れさん」


「あれ、お前何やってんだよ、こんな遅くに。もう家に帰って……」

 ヴィットーリオは親指で自分の後ろをクイクイと指した。

「客連れてきた」


「……はあ?」

 マサキがぽかんと口を開けている所にルキッラも遅れてやってきた。

「あれ、ヴィットーリオ。どうしたの?」


「ああルキッラ、お疲れさん。俺、ルキッラと離れた後、旅芸人一座みたいなやつらと会ってさ。車エンコして、この街に立ち往生してんだよ。だから今日一日色々観光案内して回ってたんだけど、泊まるとこねーんだって。だから連れて来た」


 それはかわいそうな話だが……ルキッラは恐る恐る確認した。

「何人いるの?」

「二十七人」

「そんなに?!」


 観覧フェリーの予約人数より多い。目を丸くするルキッラの隣でマサキは「何言ってんだよ!」と怒り気味だ。

「こんな時間になってそんなに……そもそも、うちそんなに大勢泊まれないって!」

「向こうも無理は承知だって。床にマット敷いて雑魚寝すりゃいけるだろ?」

 マサキがイライラしながら頭を掻いている横から、ルキッラが聞いた。

「……ねえヴィットーリオ、泊まるだけでいいの?」


「いや、夕飯食ってない。あと明日の朝食もあったら喜ぶんじゃね?」

「お前! そんな……」

 大声を出そうとしたマサキをルキッラが手で制止した。

「仕方ないよ。何とかしよう。できる限りでいいから」


 マサキは黙ってすぐ厨房へ。ヴィットーリオは外に出て「入って」とお客を招き入れた。

 ぞろぞろ入ってくる二十七人のお客にルキッラはひたすら「いらっしゃい」と笑顔で挨拶。最後にやって来た座長らしい恰幅のいいおじさんがルキッラに手を広げた。


「いやあ、助かったよ! 君が支配人?」

「ええ。いらっしゃい、歓迎しますよ。お部屋は人数分ないから、床にマット敷いて寝てもらう事に……」


 彼は急にルキッラに抱き着いた。

「助かった。ありがとう。このままじゃみんな車で寝る所だったからなあ」


「い、いいえ……。みなさん、旅芸人なんですか?」

 ルキッラがたずねると「あっははは」と穏やかな笑い声。


「まあそう言ってもいいかな。俺たちはいろんな場所で音楽を演奏しているんだ。客船や結婚式場、他にも児童養護施設に老人ホームまで、本当にいろんなところで。あっちこっち旅してまわってるけど、車いすに乗った支配人がいる宿は初めてだなあ。俺は楽団長のアスカニオ。迷惑かけるけど、よろしく頼むよ」




 もう、マサキは厨房でてんやわんやだ。しまった調理用具を出し、使えそうな食材を取り出す。そこに悠がやってきた。


「急に二十七人来たって? 手伝うよ」


 マサキは厨房を駆けずりながら手を横に振った。

「いやいや、お客さんにそんな……」


「おい、まだー?」


 ぶっきらぼうなヴィットーリオの声が飛んできた。いかにもこちらの苦労に気付いていない言い方だ。


「一から準備してるんだよ! まだ時間が……」

 言いかけた所でマサキは足を引っかけて豪快にずっこけた。取り出した鍋やフライパンが落っこちて金属音が響く。ついでに「痛ってえ!」というマサキのイライラ声も。


「手伝うよ」

 悠が落っこちた道具を拾う。マサキは黙って悠の言葉に従った。





「パスタ茹でるよね? お湯沸かすよ」

「あ、ああ頼むよ」

 レモンを薄切りにする横で、悠が大鍋に水をはる。レモンパスタを作ることに気付いたらしい。


 鍋を火にかけると、悠はたっぷり入ったオリーブオイルのボトルを一瞥してから言った。

「油はもうない?」

「え……そのオリーブオイル使うから」

「鶏肉は?」


 さっき二人に食べさせたレモンパスタの具材は、レモンとチーズだけ。なのに鶏肉の事を聞いた悠。


「冷蔵庫に肩肉が入ってるから、それを七分揚げて取り出す」

「分かった。あと、これも使うでしょ?」

 悠の手にはポルチーニのペーストが入った小瓶。

「これ、裏ごしする?」

「ああ……じゃあそっちを頼むよ。油は俺がやる」

「オッケー。二十七人ならこれ全部使うよね」



 レモンパスタの隠し味、鶏肉を揚げた後のオリーブオイルとポルチーニペーストの裏ごし。それを一度食べただけで悠に見抜かれてしまったのだ。



「マサキ大丈夫? できること手伝うよ」

 ルキッラが厨房を覗き込んだ。

「大丈夫だって! できる事なんかないだろ? そこ料理出すから邪魔だよ!」

 マサキがいっぱいいっぱいなのを察してルキッラはすぐに出ていった。


「マサキ、今ルキッラに何て言ったの?」

 マサキとルキッラのやり取りはイタリア語。悠には伝わらない。たしなめられることを恐れてマサキはごまかした。


「ベッドとマットの準備できたからって連絡」

「ふーん……」

 悠はそう言った後、さらっと付け足した。


「後で謝っときな」



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