2.いなくなったヴィットーリオ



 詩織の「お腹すいた」という要望に答え、ルキッラは二人をレストランに案内した。

「ルキッラはさ、お昼食べたの? まだなら一緒に食べようよ」

「あー、私もルキッラと一緒に食べたい。ダメ?」

「うーん、誘ってくれるなら食べようかな」


 嬉しそうに「やった!」と笑う詩織。悠は持っていたメニューをルキッラに渡した。

「今日の夕飯に出ないもの、ルキッラが選んでくれない?」

「オッケー」




 間もなくテーブルには、玉ねぎのスープとトマトソースのマカロニが並んだ。

「あー、いい匂い。私さ、トマトソースのマカロニ大好きなんだよ」

 詩織は嬉しそうにフォークとスプーンをカチャカチャ鳴らす。

「詩織やめな。行儀悪いから」

 そう注意されると楽しそうにクフフッと笑う詩織。やっぱり妹詩織とお姉さん悠って感じだ。


 いただきますの合図とともにがっつくように食べ始める詩織。ただ食べるだけの詩織に対して悠はルキッラとお喋りがしたいらしく、話しかけてきた。


「ねえルキッラ、さっき支配人って言ってたけど、ひょっとして兼オーナー?」

「当たり。元々祖父母がやってたの。私のお父さんが継いで、私は三代目だよ」

「へえ。何年くらいやってるの?」

「私が継いでから五年かな」

「マサキと二人で?」

「うん。マサキは私の両親の時代からコックやってるから、彼はもう十年くらいやってるけどね」

「ルキッラとマサキって、ずっとここに住んでるの? 日本には来たことある?」

「ううん。私もマサキもイタリアを出たことないの」


 詩織も「そうなの?」と会話に入ってきた。

「にゃあさ、もうのにゃうのなみあね」

「詩織、飲み込んでから喋りな」

 悠にそう注意されると、詩織は水をゴクゴクのんでコップをゴンと置いた。

「じゃあさ、もう土着の民だね」


 この二人の姉妹っぷり。ルキッラは自然と笑みをこぼした。

「詩織ちゃん、お料理美味しい?」

「美味しいよ。イタリア料理最高だよ。夕飯も楽しみ」






 教会、レストランと詩織の希望を叶えた後、今度は悠の希望で海に向かう。通り道の市場を見物しながらまったりと。これはルキッラのおすすめコースだ。


「あそこのアンティークショップは、私、店主のおじさんと仲良しなの。私の紹介で来たって伝えれば値引きしてくれるよ。古いおもちゃとか、インテリアに使える雑貨がいっぱいあるの」


「あの魚屋さんは、店主のお兄さんが漁師で、あらかじめ欲しい魚を言っておくとお店に並ぶ前に連絡くれるの。よくマサキが電話貰って飛んで来てるよ」


「あっちの服屋さん、娘さんがボビンレースの修行してた人なの。ハンカチとか小物は手ごろな値段ですごくいいものが買えるよ」


 どのお店の店員さんも「ルキッラ」と声をかけて手を振ってくれる。それが悠には驚きだったらしく、感心しきりだ。

「すごいな。街中の人から挨拶してもらえて、あのお店はこうとか、このお店はこうとか、すごく詳しいんだね」

「私は生まれてからずっとこの街にいるし、こういうお仕事してるからね」

「そっか。私もそんなふうになりたいな……」





 三人は船着き場までやってきた。ゆっくり歩いてきたからもう西日で、海が眩しい。悠は鼻から息を目いっぱい吸って、胸を膨らませた。

「んー、磯の香りだ。何となく日本と違う気がする」


 気持ちよさそうにする悠をマネて、詩織も息を吸ったものの

「うーん、そうかな? 別に日本と一緒だよきっと。だってさ、江の島とかこんな感じだったもん」


「もう」と悠。

「あ、でもさ、江の島じゃないか。横浜だ。氷川ひかわまるとかあるあの辺」

「やめてってば。ここはイタリアの海なの!」

 怒りながらもどこか楽しそうな悠。


「日本って、島国だからあっちもこっちも海でしょ? 二人はよく海に行くの?」

「いや、私たちが住んでる街は海には近くないから滅多に行かないよ。だから磯の香りをかぐと、遠くに来たんだなって思えていいんだ」

 悠の隣で詩織は「んふふん」と鼻で笑った。

「遠いよね、横浜だもん」

「違う、イタリア!」



 桟橋を歩く三人の脇を白い船がゆっくりと通り過ぎて行く。どうやらここに泊まるらしい。観光客が大勢乗っている。


「ボンジョルノー!」

 詩織が大声をあげながら観光客に向かって手を振る。向こうも気付いて笑顔で振り返してくれた。悠とルキッラも手を振り返す。詩織が感慨深く「あー」とこぼした。


「広い広い海を渡って、ついにこの島にたどり着いたんだねきっと。どこからどんな旅してきたのかな」


「あの船は観覧フェリーなの。一時間かけて島を一周してきたところだよ」

 ルキッラが言うが早いか、悠が大きな声で笑った。詩織は悠の腕をはたいて睨み付けた。


「知らないんだからしょうがないじゃん。……あのさルキッラ、海水浴場あるって言ってたよね?」

「うん。行きたい?」

「行こうよ。悠さ、水着着て泳いだら?」

 からかうように詩織が言うと、悠はすぐさま「嫌だよ」と手を横に振った。


「恥ずかしい。詩織だけ泳ぎな。私は離れて見てるから。それより私、このフェリー乗ってみたいな。ねえルキッラ、もう乗れないかな?」

「今日最後のに乗れると思うよ。今聞いてくるね」


 ルキッラはフェリーのスタッフがいる船の降り口に車いすを走らせた。悠と詩織もそれに続く。


「おうルキッラ。今日はヴィットーリオと一緒じゃないのか」

 彼もルキッラ達となじみのあるこの街の住人。チケット売り場に行くより彼に聞いた方が早いのだ。

「お疲れ様。ねえ、今日の最後の船三人乗れる?」

 ルキッラがそうたずねると、どういうわけか彼は不思議そうに「え?」と返してきた。

「もういっぱいだよ。さっきヴィットーリオが二十三人予約して……ルキッラの宿の客じゃないの?」

「え、ヴィットーリオが? 今日はこの女の子二人しか泊まらないんだけど……」

「そうなのか。どういうことかな? まあとにかく、今日はもういっぱいなんだよ。明日ならいくらでも空いてるから」


 ルキッラは「ありがと」と手を振ると悠達に振り返った。

「今日はもういっぱいだって。明日なら空いてるみたい」

 すぐに詩織が悠をつついた。

「じゃあさ、決まりだね。海水浴。悠の水着姿をみんなで眺める」


 苦笑いで詩織に肘鉄砲を打つ悠。詩織はその腕を軽く掴んで言った。

「別にいいじゃん。だってさ、悠スタイルすごくいいもん。男どもを虜にできるよきっと。逆ナンしまくっちゃいなよ」

 ルキッラも笑って「そうだよ」と参加した。

「日本人の女の子、すごくモテるよ。この前うちの宿に泊まった日本人の女の子が水着着て海水浴場で泳いでたら、一日で七人もナンパされたんだよ」

「絶対嫌!」

 悠は顔を夕日に溶け込むほど真っ赤にして、ブンブン手を横に振った。



                  *



 マサキは宿でテーブルのセットをし終え、厨房に戻った。必要な食材と食器があるか、最後のチェック。


「スープスプーン、フォーク、バターナイフ、よし……あっ」

 足元に落ちていた何かを踏んづけて、マサキはひっくりかえった。その拍子に手を引っかけ、下準備をしていたボウルをテーブルから落としてしまった。ポルチーニペーストの裏ごし。明日明後日の分までまとめてやったものが全部パアになってしまった。取りあえず、今晩の二人の分だけやり直すしかない。


「くっそ……何踏んだんだ?」

 マサキが床を見渡すと、ヴィットーリオの携帯が落っこちていた。これを踏んで滑ったようだ。拾って画面をタッチすると、ロック画面がちゃんと出てきた。どうやら壊れてはいないらしい。





 三人が帰ってきたら夕飯の準備。悠と詩織が部屋に戻っている間にルキッラは厨房へ向かった。

「マサキ、あと十分で二人呼ぶからね?」

「分かってるよ。準備はできてるから大丈夫」

 マサキはイスに腰かけて布巾で手を拭いている。余裕だ。


「よかった。ねえ、ヴィットーリオと会った?」

「え、今日ルキッラ達と出て行ったきり会ってないけど?」

「そう。あの子、今日の最後の観覧フェリー、二十三人分予約してたらしいの」


「はあ?」とマサキは目を丸くした。

「なんでそんなに? 何のために?」

「分からない。マサキも思い当たる節ないの?」

「ないない」


 ヴィットーリオはいつもふらっと現れてはふらっと消えるし、行動言動どちらもつかみどころがなく飄々としている。でも、今回のように全く理由不明で大きな仕事をするというのは前例がない。

 二人とも気にはなったものの、携帯を落として行ったヴィットーリオには連絡できず、そのままにするしかなかった。



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