第2幕
北海道・札幌市。人口約200万人、日本の人気観光地で必ず上位となる全国で五本の指に入る大都市である。この札幌の街の片隅を拠点に活動しているのが、私、倉井あかりが所属している“劇団北極星”である。
劇団北極星は、数年前までは客足も多かったみたいだ。座長が大学在学中に立ち上げ、そこに同級生の美雪さんが参加した。段々と団員が増え、公演も人気があったそうなのだが、有力株の脚本家がプロの劇団に引き抜かれてしまい、その後一気に客足が遠のいた。団員も少しずつ辞めていき、団員は現在の6人となり、今では観客が来ても十数人程度に落ちぶれてしまった赤字劇団だ。
時刻は夜9時を過ぎていた。私たちは公演を終えて、いつも通り狸小路にあるBar Big Bang《バー・ビッグ・バン》へ向かった。
公演後の恒例の反省会を行うのだ。
コンクリートの階段を上り、2階にある木製のドアを開けるとドアベルがチリンと小さく鳴った。中は少しだけ照明が落とされており、壁一面にレコードのジャケットが飾られている。静かに耳を傾ければ聴こえるくらいの大きさでジャズが流れている。
「ようマスター、くたばってないか」
座長は店のムードをすべて破壊するかのような大声でマスターを呼んだ。
「また繊細さを理解しようとしない騒々しいやつが来やがったな」
店の奥のテーブルに座っていた小柄な男が入口にいる私たちに向かってきた。黒のハットに黒のズボン、白のワイシャツは上二つのボタンまで開けられ、丸縁のサングラスをかけている。首元には赤いスカーフが軽く巻き付けられていた。見るからに胡散臭い。
「ビールくれ」
「さっさと帰りな」
「俺は客だぜ?そんなこと言っていると店、つぶれるぜ」
「その心配はいらん。こんなことお前にしか言わないよ」
いつものように口喧嘩が始まった。相変わらずお互いに口が減らないご様子だ。
マスターは、アラサーの座長よりも肌がつやつやでとても若く見える。前にそのことを指摘したら、年齢不詳のマスターは「女性を愛することが若さの秘訣だ」と言っていた。
マスターは美雪さんに気づくと、座長との話を切り上げた。
「やあ美雪ちゃん!今日も美しいね」
ハグをするため両手を広げて近づき、美雪さんも「ありがと」と答えハグをした。次に私に向かって両手を広げて近づいてきたが、マスターのシャツの襟をつかんで後ろに引き戻した女性がいた。この店でアルバイトをしているエリーさんだ。
「未成年に抱き着いたら逮捕されますよ。さあ、準備しましょう」
私にウインクをしてエリーさんはマスターをカウンターへと引きずっていった。ショートの金髪が暗い店内に映える。落ち着いた口調とバーテンダーの恰好が彼女を大人っぽく見せているが、時折見せる笑顔には少女のような無邪気さが残る。前に年齢を聞いたことがあるが、彼女は「あかりちゃんが大人になったら教えてあげる」と妖艶な笑みをこぼしていた。彼女も年齢不詳だ。
私たちがアンティーク調の椅子に座るとエリーさんが「適当に出すわね」と、お酒や料理をテーブルに並べた。私はまだ未成年なので、いつも通りオレンジジュースをもらう。
特に乾杯の掛け声もなく、みな各々食事を始めた。
宴が始まってしばらくすると、やはり話題は私の卒倒事件について触れることになった。
「あがりちゃーん、これで何回目だよう。しっかりしてくれよう」
すでに酔っぱらった座長が私に絡んでくる。
「うう、すいません」
私はオレンジジュースのグラスを持ったまま俯く。
「でもでも、あがりちゃんのそーゆーとこ好きー」
座長はからだをくねくねさせている。
美雪さんが座長を無視して私に話しかける。
「あかりちゃん頑張ってると思うわ。まだまだこれからできることをやっていきましょう」
その微笑みに甘えたくなる。
義森くんと小河原くんは、緊張を和らげる方法を提案してくれた。
「手のひらに人って書いて飲み込むのはどうかな?」
「いくら飲み込んでも緊張がほぐれなくて、延々と書いては飲み込むをしていたら、まじめな顔をした座長に止められました」
「観客を野菜だと思い込む方法はどうでしょう?」
「まったく効果がなかったどころか、野菜を見るだけで緊張してしまうようになったのですぐにやめました」
細垣さんは、
「もし満席の客席見たら、死んじゃうんじゃないの?」
と言うので、「それは、役者冥利に尽きますね」と答えたら、「いや、迷惑だから」と吐き捨てられた。
うーん。どうしたものか、みな唸ってしまった。
その後も他愛のない話が続いて、座長が上半身裸になり踊り始めた頃、一人の若い男性客が入ってきた。
客に気づいたマスターが嬉しそうに手を招き、両手を広げてハグをしようとした。
男はそれをひょいとよけて、屈託のない笑顔で答えた。
「マスター、酒!」
それが彼、
ソッキョー!! 皆野友人 @white-owl
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