第1幕

 ブラボー!!ブラボー!!

 観客席からは溢れんばかりの拍手喝采。

 観客全員スタンディングオベーション。

 スポットライトが舞台上の役者を明るく照らしている。

 私は両手を広げると観客から向けられる賞賛の嵐を全身で受け止め、深々とお辞儀をする。顔を上げた私は最高の笑顔。


 ああ、これが夢なら覚めないで!



目が覚めた。


 私はソファの上で横になっていた。

 どうしてソファの上にいるのだろう。

 ボーっと天井を見つめていると、向かいのソファに座っていた女性が、私が目覚めたことに気づき優しく声をかけた。

「あかりちゃん、大丈夫?ほら、水を飲みなさい。」

 その声はすっと心の奥底まで染み渡り、その笑顔を向けられればすべてを許される、まるで幸せに包まれているかのような錯覚を起こす。


 彼女は大黒美雪おおぐろみゆき。私が所属する“劇団北極星”の副座長である。セリフは噛まない、表現豊かな演技力、そして背が高くスラリと引き締まった身体に高い鼻と大きな目、腰まで伸びた黒髪という美貌の持ち主。女である私が見ても羨ましさを通り越して尊さを感じる、まさに完璧な女性である。


「ありがとうございます、美雪さん。」

 私は水の入ったコップを受け取り、口に含んだ。

 少し落ち着いた私の頭は、自然と思考を整理し始めた。

 ええと、今日は劇団の公演日で私は姫役で舞台に立っていて、と一つずつ記憶を手繰り寄せていくと、段々と記憶が鮮明に戻ってきた。そしてさっき何があったのか、どうしてソファの上で寝ていたのか、たった今気づいた。

「あの、舞台は……どうなりましたか?」

 私は青い顔でおそるおそる聞いてみた。

 その事ならと答えようとした美雪さんの頭の上から、熊のように体格のでかい男がヌッと現れ、これまたでかい声で口を挟んできた。

「途中で公演中止だよ。お前が途中で気絶したからな、ちゃん。」


 ガハハッと大口を開けながら笑っているこの人は郷田吾郎ごうだごろう。この劇団を立ち上げた張本人であり座長を務めている。細かいことは気にせず、面白そうなことを何でもやる適当人間だ。そして私のことは名前のをもじって、あがり症のちゃんと呼んでくる。まぁ否定はできないけれども。


 公演中止という言葉を聞いてまた目の前がクラクラしてきた私を無視して、それにしてもお前ちゃんと飯食ってんのかとか、楽屋まで運んでやったけどめちゃくちゃ軽いなとか、大きな声で楽しそうにしゃべり続けている。

「ちょっとゴロー、いい加減にして。」

 美雪さんが睨むと、座長はすぐに静かになった。一回り小さくなったように見える。

 鬼の形相を笑顔に戻した美雪さんはこちらに向き直り、また優しい声音で私に話しかけた。

「心配しないで。お客さんには、役者が途中で体調を悪くしたからと言って帰ってもらったわ」

 私がすいませんと頭を下げていると、楽屋のドアが開き、王子と貴族、メイドの三人がしゃべりながら入ってきた。

 私が起きているのを見つけると、またやっちゃったねと王子が微笑みかけてきた。


 今日の公演で王子を演じていた彼は義森優也よしもりゆうや。イケメンの彼はモデルとして一度芸能デビューしたが、温厚な性格でガツガツしていなかったために売れず、芸能事務所をやめさせられたらしい。その後、縁あってこの劇団に入ったようだ。


「今日の公演では物語の全体の半分まで行きましたから、成長してますよ。」

 鼻から抜けるような声で話しかけてきたのは、貴族の恰好をしたぽっちゃりとした男性。


 彼は小河原太志おがわらたいし。大学を卒業後に舞台に興味を持って入団したらしい。活舌が悪く、最初私はオガワラをオナラと聞き間違えてしまい、彼を怒らせてしまった。今では彼が何を言おうとしているのか大体はわかるようになってきた。


「せっかく高貴ある貴族の恰好なのに、そのデブ体型でまるで富と名誉に溺れた悪徳貴族のようだったわね。あんたの服作るの大変なんだからね、布面積的に!」

 辛辣な言葉を小河原くんに投げかけているのはメイドの恰好をした女性。


 彼女は細垣洋子ほそがきようこ。彼女は手先の器用さを生かして役者と兼任して衣装づくりもしている。言いたいことがあるとすぐ言ってしまう性格のため敵が多いそうだが、私はそのはっきりとした物言いができるところに憧れを抱いている。


 小河原くんと細垣さんが言い争いをしていると、義森くんが全員に話しかけるように言った。

「今日はチケット代の返金を求められなかったので、結果オーライですよね。今日は久しぶりに客が2桁でしたし。」

 それを聞いてさっきまで小さくなっていた座長が、また大きな声でしゃべり出した。

「返金してもらう気力が起きないくらい、俺たちの舞台に興味がなかったんだろうよ。へっ、何のための舞台なんだろうな。さ、そんなことより飲みに行くかな。」

 撤収と座長が言うと、皆そそくさと帰る準備をし始めた。

「あかりちゃん、もう起きられる?」

 美雪さんが手を差し出してくれた。

 今日も飲むぞと盛り上がっている座長たちの声が聞こえ、申し訳なさがまだ拭えないまま、美雪さんの手を取った。



 私は倉井くらいあかり。舞台女優になるのが夢だけど、あがり症ゆえに舞台上で卒倒してしまうようなやつだ。


 きっとこの性格は死ぬまで治らないだろう。

 そしていつかなくなるかもしれない劇団で、たまに卒倒しながら細々と生きていくのだろう。


 それが、私という人間の物語なのだろう。


 そう決めつけていた。



 アイツと会うまでは。

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