第一章
魔法使いと呼ばれる所以
家を出る時まだ空は暗かったが、戻るころにはすっかり空は白んで太陽が顔を出す時分になっていた。
今日は快晴だろう。空には雲一つない。眩しい日差しに、目を細める。
「ふわ……あ」
口に手を当てて青年は欠伸をした。
寝不足の目には日差しは堪えるのだ。柔らかい気持ちの良い日光なのだろうが、此方にはいささか眩しすぎる。目が痛い。
「ただいま……」
ギイ、と扉がひどく甲高い音を立てた。
古ぼけた木の扉だ。いかにもずっと使っているという風情の。そういった使いこまれたモノをすぐ捨てる風潮があるこの街で、こんな扉を付けているのは珍しいかもしれない。
青年自身は別に拘りなどないが、この嫌な音を聞くたびにいい加減新調すればいいのに、とは思う。
「おいエンジェ、お前どこに行ってた」
棘のある声が飛んでくる。
エンジェと呼ばれた青年はさして気にした様子もなく、後ろ手で扉を閉めた。
「お早う、サファイア」
「人の話を聞け」
長髪の男は腰に手を当て、エンジェを睨みつけた。
エンジェがかぶりを振ってこめかみに手を当てる。
「あーあんまり喋らないで頭に響く。僕結構寝不足なんだよ……ベッド、借りていいよね」
「だから人の話を聞け。第一ここはお前の家じゃない」
「あ、そうだ……結構前から思ってたんだけど扉新調したら? 結構うるさいよアレ」
「人の、話を、聞け……!」
男の拳がぶるぶると震える。
エンジェは勝手知ったるといった様子で椅子を引いて腰かけた。足を組んでテーブルに頬杖をつく。
「サファイア、その髪、どうしたの?」
翡翠色の目が男を初めてまともに見た。
彼の腰まで届きそうな黒髪が、一部バッサリと切り取られていた。肩くらいまで。しかも、片方だけだ。
「斬新な? 髪型だね」
「思ってもない感想を言うな。叩きだされたいか」
「いじめられたの?サファイア、可哀想」
「何でそうなる……」
男――サファイアはぐったりと頭を垂れた。
諦めたようにため息を一つつき、エンジェの向かい側の椅子に腰を下ろす。シャラシャラと彼の耳のピアスが揺れた。
「大体俺がいつ誰にいじめられるって?」
「だってサファ」
エンジェがにっこりと微笑んだ。
「魔法使いになりたいって、そんなこと言ってるんだもん」
サファイアが一つ、瞬きをした。彼の瞳は、青い。
「……別に俺は魔法使いになりたいわけじゃない」
「ふぅん」
「技術に興味があるんだ」
「おんなじことでしょ?」
「同じじゃないだろ」
サファイアはがしがしと髪を荒々しく掻いて、椅子の背もたれに身体を預けた。全身からすっかり力が抜けている。
「お前と喋るとほんっとに、疲れる……」
「そう?」
エンジェはからからと笑って、テーブルの上のカップに手を伸ばした。
「お湯、沸いてる? コーヒー飲みたいなぁ」
「沸いてる……勝手にしろ……」
「ふふ、ありがとうサファ」
エンジェが立ち上がり、ごそごそと手近の棚を漁り始める。
サファイアはぎろりと目だけ動かしてエンジェを見た。
「その、サファって呼ぶのやめろ。何回目だ」
「自分で付けておいてなんだけど、サファイアって渾名長いんだもん。リアでもいいなって最近思ってる」
「付けたんならちゃんと呼べ。あと、リアもやめろ」
「サファは駄々っ子だなぁ」
「鏡に向かって言え本当に」
リア、とはサファイアの本名だ。
リア=カルビン。それが彼の本当の名前である。サファイア、というのはあくまでエンジェが付けた渾名に過ぎない。
「大体何でサファイアなんて渾名なんだ」
「だってサファが自分の名前、女みたいで嫌だって言ったから……」
「それは理由じゃないだろ」
「あー理由? 目だよ、目。サファイアの目って宝石みたいで高く売れそうだなぁ、って」
悪びれる様子もなくエンジェが言った。
実際彼に悪気はないのだろう。が、サファイアは露骨に顔をしかめた。
「ほんっとにお前、いい性格してるな……」
エンジェはポットを手に取って、サファイアの方を向いた。にこりと笑って見せる。
「褒められてる? ありがとう」
「褒めてない。腹立つからその顔やめろ」
「サファもコーヒー飲む? よね? 二つ準備したんだけど」
エンジェは言いながら二つ目のカップに湯を注ぎ始めた。
「飲む。砂糖入れろ」
「サファってブラック飲めないの?」
「……入れなくていい」
嘘だよ、ごめんねとエンジェが笑って棚から小瓶を取り出した。
「そういえば今日もエシャロットのところ、行くの? その髪、どうせあの人の仕業でしょ」
サファイアは一瞬きょとんとした顔をしたものの、すぐに不機嫌な表情に戻った。
「……お前、分かってたんなら聞くな」
「エシャロット、変人だからなぁ。大体サファは奇行に巻き込まれてる気がする」
「エンジェは人のこと全く言えないことを自覚しろよ」
魔法使いってのは皆こうなのか? ぶつくさとサファイアが言った。
さっきまで笑っていたエンジェが途端に、すう、と表情を消す。
「……僕は別に魔法使いなんかじゃないんだけど」
お待たせ、とカップを手渡してまた椅子に座る。
サファイアは眉を寄せてエンジェを見た。
「魔法、使えるだろうお前」
「……僕のは別に大したことないから」
声は硬かった。
「サファイアは僕の事悪くなんて言わないけど、この国じゃ魔法使いなんて犯罪者と一緒だもの。良いことないよ」
在らぬ神に僕は祈る せせり @sesenovel
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