23-2 「青龍が結婚?!」

 脇息にもたれかかって物思いに耽っていた京姫は、青龍の言葉で我に返った。今日は雨天を理由に散々延期になっていた夏の節会が行われ、季節の乙女は青龍から朱雀へと交替したが、午後より降り始めてきた雨のために早々に終幕となってしまった。京姫はとっくに舞衣裳を着替えていたが、青龍はまだ正装の袴姿で、姫に向かって淡い藤色の封に包んだ手紙を差し出していた。


「あっ、ありがとう」

「たまたま使いの人と出くわしたので。でも、なんで月修院さまから姫さまにお手紙が?」

「このあいだ私からお手紙を出したの。月宮参りのときのお礼と、謝罪と、謝罪と、謝罪と……あと、藤尾さんがどうなったか気になったから」

「藤尾さん?あぁ、巫女さんですね、藤棚のところで見かけた。姫さまを森に連れていっちゃった人でしょう?」

「うん。藤尾さんが無事に見つかったかお聞きしたの。それから藤尾さんのことを叱らないでくださいってお願いしたの。悪気があってやったことじゃないから」

「そうですね。気の毒な女性でしたもんね」


 話しながら京姫は文を開いて読み始めた。別に隠し立てをするような内容ではなかったので、青龍にもそばにいてもらって、声に出して聞かせてやった。手紙は流麗な、軽薄なところのないしっかりとした筆跡で書かれていた。姫は自分の送った手紙を思い出し、字の巧い白虎に代筆してもらってよかったと心から思った。手紙には簡素ながらに心のこもった言葉で参詣への礼と返事が遅れたことへのお詫びが綴られ、月修院の人々はみな健やかに日々を送っていること、潭月寮では梅の実を取り入れはじめたことなども記されていた。藤尾はその日一日中探し回っても見つからず、翌朝の祈りの時間に何事もなかったかのように現れてみんなをびっくりさせたのらしい。怪我をしているようすもなく、風邪を引くこともなく至って健康であって、月修院さまじきじきに京姫さまを連れ出したことについてお説教をしてみたけれども話の途中から猫を追いかけはじめる始末でまったく甲斐のないことですと、おもしろそうに書いてあった。


「よかったですね、姫さま。藤尾さん、あまり怒られなかったみたいで」


 手紙の結びには京姫と帝を言祝ぐ一文が記されていた。京姫はぜひ帝にこれをお見せしようと決めて、文を封にしまった。


「お返事はされるんですか?」

「ううん、いいの。きりがないから。月修院さまもお忙しいだろうし。丁寧な方だから、絶対にお返事しようとなさるだろうからやめておく……ところで青龍はなんで来たの?勉強会は今日じゃないでしょ?」

「まあ、なんて言いますか、最近姫さまのところにあまり来ていなかったような気がしなくもないので、参上しようかなと思って……」

「えっ、昨日来てたよね?」

「そうでしたっけ?」

「いや、来てたよ!ど、どうしたの?なんか変だよ?なんか悪いものでも……あっ!もしかして、細殿に私が隠しておいたお団子、食べた?!あれ、先月隠したのだから相当古いよ?!」


 食べてません、と青龍はきっぱりと言った。それから眉をひそめて「先月?」とつぶやくと、二つに結い上げた藍色の髪を跳ねさせて、ものすごい速さで立ち上がり細殿の方に駆けていった。しばらくして悲鳴があがり、その声を聴きつけた女房どもがわらわらと集まって大惨事の収集が始まったようであった。戻ってきた青龍は青ざめた顔をしていた。


「姫さま!りすか野ねずみですかあなたは?お菓子を隠しておくのはやめてくださいって言いましたよねっ?っていうか……季節っ!!」

「ご、ごめん!ごめんなさい!」


 雨の降る庭を勢いよく指さす青龍に、京姫はさすがに言い訳ひとつできずに謝った。


「もう、今度やったらおやつ抜きですからねっ!」

「それだけは勘弁してください……」

「あーあ、このところ神妙な顔をなさってるから少しは大人になられたのかと思ったのに、結局姫さまは変わりませんね。まあ、ちょっとは安心しましたけど」


 意外な青龍の言葉に京姫は目をしばたかせた。


「えっ……私、最近おかしかった?」

「えぇ。月宮参りの後からずっと。なんだかぼんやりしているし、口数も少ないし。心配してたんですよ、四神のみんなで。まあ、白虎と朱雀はそのうち元に戻るって言ってましたけど、玄武とあたしはどうも落ち着かなくて。調子が狂うと言いますか……」


 青龍は姫君のそばに再び腰を下ろした。くつろいでいるときでも青龍は正座で決して足をくずさない。部屋にこもるじっとりとした暑さを追い払うべく懐から取り出した扇を開いて、姫の方に風が届くようにしながら扇ぎだすさまは、少女ながらになかなか凛々しく、気が利いていた。さすがは四神であり、さすがは芦辺家の娘である。


「ところで、芳野は元気?病気、治りそう……?」


 青龍は肩をすくめた。


「わかりません。重い病ではないって本人は言ってますけれど、本当かどうか。でも家では元気にはしてるんですよ。相変わらず口うるさいし。姫さまの代わりに今度はあたしが標的にされてます……ちょっぴり姫さまの気持ちもわかったりして」

「ふふっ」


 片目をつぶって青龍が言うと、京姫は笑った。だから青龍は好きなのだ。真面目で厳しいし(白虎と朱雀は姫に甘いし、玄武にはまだ遠慮があるので、四神のなかでは青龍がもっとも厳格なのだ)融通がきかないところもあるけれど、今のように茶目っ気をみせることもある。こういう時の青龍は本当に親しみやすくてかわいらしいと京姫は思う。


「びっくりした。もしかして芳野に何かあったのかと思ったから。じゃあ、青龍は変になっちゃった理由は別にあるんだね」


 京姫に言いきられて、青龍は露骨にうろたえた。


「あ、あたし、変ですか?」

「変だよ?少なくともさっきは変だったよ」

「いや、あの、そ、そんなこともないんですけど……!」


 青龍が嘘をついていることは心を読むまでもなく明らかであった。青い目を落ち着きなく床の上で左右に動かし、両手で袴の膝のあたりをぎゅっと握りしめていたから。京姫が咎めるようにじーっと見つめていると、やがて青龍は顔をほのかに赤らめて、京姫から目を逸らし、こほんと一つ咳をしてから切り出した。


「じ、実は……母が縁談を持ってきまして」

「えんだん?」

「つまり結婚の話ですよ。そろそろお前も夫を持ちなさいって、母がそう言っていて……」


 京姫はびっくりして目を見開いた。


「青龍が結婚?!」

「大きな声出さないでください……!それにあたしは嫌だって言ってるんです。だって、四神は結婚しないのが普通でしょう?」

「うーん。でも、先代の青龍は結婚してたよ」

「あの方はご結婚されてから青龍のしるしが出たんです。四神になってから結婚した人って、最近はあまりいないでしょう?」

「そうだけど、別にダメってわけじゃあないし」


 「ダメなんですっ!」と青龍は小声で主張した。その顔はすでに真っ赤である。


「とにかく世間が許そうがあたしがしませんからっ!結婚!……ひとまず今は!」

「なんで今じゃダメなの?」

「なんでって、別に急ぐ必要なんてないし……」


 と言ったとき、青龍の瞳がかすかに揺れた。まるで本当にそうだろうかとでも自分に問いかけるように。


「……あ、あたし、やっぱり今は四神としての仕事に集中したいです!剣の技ももっと磨きたい。四神として勉強することもまだまだたくさんあります。何よりあたし、まだ姫さまのそばにいたいです」


 青龍は京姫の頬のあたりに垂れている髪を指で梳いた。そんな親しげなしぐさは、乳姉妹ちきょうだいであるからこそ許される気やすさであった。身分の隔たりある二人においては。京姫はいとおしげに、でもどこか悲しげに目を細めた。


「青龍……」

「母に代わって、あたしが姫さまのそばにいないと……また月宮参りの時みたいに逃げ出されたら困りますからねっ」


 月宮参り……その時、京姫の胸に走ったものはなんであっただろう。稲妻よりは弱々しく、けれども鋭く、姫の心を貫き、刺し、消えていったもの。痛く、悲しく、でも甘く。切ないという感情が今、初めて、姫の心を侵していた。

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