12-2 パジャマ会議

 その日の夜、翼と奈々とは京野家の夕食に招かれた。突然のことではあったが、今日のことを話し合うためにも、三人にはどうしても時間が必要であった。明日は土曜日であるから、そのまま翼と奈々は泊まっていけばよいのだ。翼は稽古を終わらせ、奈々は弟と妹たちに夕食を食べさせてから、それぞれ京野家へと集まった。舞の母親、父親、ゆかり、舞、翼、奈々という総勢六名での賑やかな食事中、今日の水仙女学院での騒ぎのことが持ち出されはしたものの、舞たちはできるかぎり口を閉ざしていた。舞が積極的に声をあげたのは、ゆかりが怪物の正体について言及し、「舞を見間違えたのではないのか」との推理を披露したときのみだ。ゆかりはあの後さっさと帰宅してしまっていたし、怪物のことはまるで信じていなかったから、全くもってお気楽なものであった。


 食事が終わり、順番に風呂を済ませると、三人は舞の部屋へと引き上げた。舞の部屋にはベッドの下に既に布団が敷かれていて、そこに翼と奈々とは満腹になった体を横たえた。舞はベッドに飛び乗った。急なことだったのに、舞の母は娘の友達がお泊りにくるときのことをよく心得ていて、豪勢な食事を振る舞ってくれた。舞の胃袋は、好物のミートソース・スパゲッティではち切れそうになっていた。


「あー、美味しかったー!いやー、舞ちゃんのお母さんってお料理上手だねー」

「そんなぁ。奈々さんだって上手じゃない」


 黒いTシャツにジャージのズボン奈々は、あおむけに寝転びながら、「まあねー」と謙遜もせずにさらりと受け流す。その傍らでは翼が藍色の洗い髪を水色のパジャマの右肩の方に流して、頬杖をついていた。


「あっ、そうだ、悠太にルーシーにご飯あげるようにいわなくっちゃ」

「ルーシー?」

「あれ、奈々さんの家って何か飼ってましたっけ?」

「うん。トカゲ飼ってるの。お兄ちゃんにもらったんだ」

「ト、トカゲ?!」

「あれ、なに翼ちゃん。トカゲ嫌い?」

「嫌いじゃないですけど……ちょっと苦手かも」

「えっ。じゃあ、こまちゃんは?」

「こまちゃん?」

「というか、奈々さんのお兄さん、トカゲ好きなんですか?」

「うん!爬虫類が好きなの。大学でもヘビの神様について研究してるんだって。そういえば、一緒に住んでた時にヘビ連れて帰ってきて、ママが気絶しちゃったこともあったなー」

「あ、あのかっこいいお兄さんが……!」

「えっ?お兄ちゃん、かっこいいと思う?かっこいいよね、やっぱり?!」

「えー、よいですかな、皆さま……!」


 窓枠に腰かけた左大臣が折り合いを見て咳払いをしても、寝間着姿の少女たちはすっかりおしゃべりに夢中になっている。


「いいなあ、奈々さんにはお兄ちゃんがいて。私もあんな乱暴なお姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんがほしかったなぁ」

「あたしもお兄ちゃん欲しかった……!お姉ちゃんって怖いんだもの」

「えー、みなさま……」

「奈々さんのお兄さん、優しいですよね?命がけで奈々さんのこと助けに来てくれるんですもん!」

「うん!世界一のお兄ちゃん!」

「わーん、この世は不公平だ!なんで私には……」


「いいですかな?!みなさまっ!!!!」


 左大臣の大声に、三人はようやくきょとんとして静まった。左大臣は窓枠に立ち上がり、大声を出したためにはあはあと息を切らしていた。その様子が、本人の意図から離れて随分とかわいらしく、おかしみのあるものになっていることは、少女たちだけが知っていた。奈々が思わず吹き出す。


「奈々殿!まったく、ふざけてる場合ではありませぬぞ!我々が今宵、何のために集まったかを、思いだして頂きませんと!」


 三人は顔を見合わせて、同時に「あっ」と言った。左大臣は思わず窓枠から転げ落ちかける。


「皆さま、そ、揃いも揃って……」


 翼が笑いながらも手を合わせて謝る。


「ごめんね、左大臣!すっかりはしゃいじゃってたから。そうそう、それで、白虎のことだ。どうだったの、舞?」


 途端に舞は表情を陰らせて俯いた。ピンクのパジャマの膝の上で、縋るように枕を抱きしめて、舞は話しづらそうに語り始める。


「人違いだって、言われちゃった……」

「えーっ?!」


 翼と奈々が同時に叫ぶ。


「嘘でしょ?あんなそっくりだったのに……」

「もちろん、嘘なの。でもね、ルカさんは理由があって嘘を言ってるの……その理由はわからないんだけど、きっとルカさんにとって大事なことなんだと思うの。なんとなくなんだけどね、分かるの。ルカさんは何かを守ろうとしてるんだって……」

「でもなにを?」


 翼の問いに、「わからない」と舞は首を振って、それから咳き込むようにして語り出した。


「でも、でも、私ね!ルカさん、本当は一緒に戦いたがってると思うんだ。そうじゃなきゃ、わざわざ守ってくれたりしないよ。私、もうちょっと待ってた方がいいと思う……そんなのって、無責任かな?」


 舞は左大臣を見遣る。翼と奈々の視線もそれにならった。一同の視線を受けて、床の上に腕を組んで坐り込んだ左大臣は唸り声をあげた。


「しかし、姫様、一体いつまで待たれるおつもりです?私にはルカ殿が我々と戦いたがらぬ理由など、皆目見当がつきませぬぞ」

「そうよっ!それに、奈々さんの時と違って、あっちは覚醒までしてるのに……!」

「まあまあ、翼ちゃん。そうは言ってもさ、嫌がってるもん無理やり引っ張ってきても、うんとは言わないんじゃないの?」

「でも、理由があるんだったら、ちゃんと話してくれないと!言えない事情があるにしたって、やっぱり黙ってるなんて無責任だもの……!」

「うーん、無責任って点で責められると、辛いなぁ」

「どういたしますか、姫様?」


 左大臣が黙り込んでいる舞に再び発言権を返して、優しく問いかける。舞は奈々をどうするかということで翼と諍いを起こしたときのことを思い出していた。まただ……四神を集めて共に戦うという理論自体はあまりにも明快で単純なのに、複雑な現実に行き先を阻まれる。舞たちは皆、同じ意見だ――世界を守りたい。この町に平和を取り戻したい。漆を倒したい。それだけなのに、なぜ皆の指針はそれぞれに異なるのだろう。なぜ内輪で揉めなければならないのだろう。舞は枕をますます強く抱きしめた。左大臣が舞に尋ねた理由はわかっている。私は京姫だから……リーダーとして、みんなを引っ張っていく役割だから。内輪もめをまとめるのも、舞の役割だ。


 舞自身は待ってみたい。ルカが心の重荷から解き放たれて、「共に戦う」と言ってくれるその時を。けれども、左大臣や翼の言うことももっともで、それがいつになるかも分からないにも関わらず、悠長なことを言っていられない。そんなことをすれば、また螺鈿の時のような悲劇が怒らないとも限らない。あの事件は、結果的になんとか上手くおさまったからよいものの、下手をすれば町中が、もしかすると東京中が焼き払われてしまったのかもしれないのである――そうだ、待つことはできない。でも、だからといって、ルカを無理やり戦場に引っ張り出して、ルカの心を、ルカの大切にしているものを、粉みじんにしてしまうことも、避けたい。ならば、やはりもう一度話し合わなくては。せめて、話し合おうと試みよう。そして、それは、舞一人が全責任を持って行うことだ――私は京姫なのだから。


「私、もう一度、ルカさんに会いにいってくる」


 舞は顔を上げて、しっかりとした声で宣言した。


「とにかく説得してみる……こう言った以上、私が責任を持つから。しばらく、私一人に任せてくれないかな?」


 「そんな……!」と翼は抗議したが、奈々がぽんぽんとその背中を叩いて諌めた。


「まあまあ。リーダーの決定だもの」

「でも、舞一人に責任押し付けるんじゃ……!」


 舞はにこりと笑う。


「ありがとう、翼。でも、私、やってみたいんだ。いつも翼に発破かけられてたんじゃ、みっともないもんね!」


 その時、扉が開いて、舞の母親がお盆の上にカップのアイスクリームを三つ載せてやってきたので、少女たちの表情は重たい使命を帯びた者のそれから、子供のそれへとたちまち変貌した。跳びはねながら母親からアイスクリームを受け取る舞を見つめながら、咄嗟にテディベアらしい(と本人は思い込んでいる)姿勢をとって、左大臣は思う。


(姫様、成長されましたな……しかし、それでも、やはりお変わりない)


 懸命に真顔でいようとしても、左大臣はつい微笑みを堪えることができなかった。少女たちのはしゃぐ声は、夜空に高く昇っていく。




「見つけましたわ……!」


 惨劇の夜の面影は、この山の頂には見当たらぬ。芙蓉は十二単の裾を夜風になびかせて、喜びのあまり欠けゆく月までひらりと浮かび上がって、高らかに笑い声を響かせた。芙蓉の声は見下ろす民家の屋根を滑り落ちて、その軒下で生温く乾いていく血だまりをも揺るがせるかと思われた。退屈まぎれにその血だまりを舐めてみたり、あるいは骨を鼻先で転がしてみたりしていた怪物たちは、主人の笑い声にぴんと耳をそばだてた。芙蓉は冷めやらぬ狂喜を宿したまま、再びふわりと降下した。それでも尚も夢を見るように、芙蓉はうっとりと目を細める。


「見つけましたわ、白虎……!わたくしの宿敵……!」


「どうした芙蓉、随分と機嫌がよいではないか」


 島民はできる限り山には触れぬようにはしてきたけれど、その場所だけは、昔から島の人々が大切に手入れをしてきた場所である。そうして管理していなければ悪神に聖域が乗っ取られてしまうからだ。山の頂きは切り開かれて、背の高い草に一面をおおわれた円形の広場となっており、その広場の中央には、「まつり」の朝に人々がお供え物を供えて先祖への祈願を行うための小屋が置いてある。扉や窓の一切ない、格別飾りたてられてもいない質素な造りの小屋ではあるが、台風がよく来るこの島の気候にあわせて丈夫に作ってある。島民はその小屋の中でご先祖様が食事をして、談合をし、その後広場で踊り遊ぶと考えていた。だから、「まつり」の日には、命ある人は皆土間に跪いて一連の儀式を執り行い、土間より先には一歩も上がれぬというのに、内部は広々としていて、清潔に保たれていた。その小屋の奥より、声はした。


「漆様……」

「自由に動き回れる者はよい。月夜の下に歌うことも、踊ることも出来て」


 芙蓉は小屋の奥の暗がりに向かって微笑みかけた。


「しかし、漆様とて、そう遠くないうちに……この島の民の血はいかがでございましたか?」

「悪くはないが年寄りが多すぎる……それに何といっても数が足りない。私はこんな鄙びたところは御免だよ。これでは都落ちではないか」

「まあ、なんという仰りよう。わたくしは、退屈なさっている漆様のために、せめて螺鈿の炎の様子でもごゆるりとご覧になれるようにとよき場所を見つけましたのに。それにここならば京姫たちの手も届きませんわ」

「しかしねぇ、芙蓉、結局は螺鈿が燃やしたのは蝋燭一つほどの土地に過ぎなかったではないか。私には結局なにも見えやしなかったよ。私が見ていたのは……そう、何だったか?」

「意地の悪い漆様……」


 そう言いつつも、芙蓉は十二単の裾で草の先を払って、夜風のようにさらさらと音を流しながら、小屋の方へと近づいていく。草の上にはいまだに雨滴が玉のように結ばれていて、月光にきらきらと輝いていたが、芙蓉の裾がことごとくそれを落としていく。やがて小屋の入り口に立ち、聖域の暗闇に口づけるべく顔を差し出した芙蓉の肩を、白い手が引き込んでいく。冷たく、愛おしい胸の上に引き倒された芙蓉の歓喜は先ほどまでの狂喜とかたく結びついていて、芙蓉に夜の闇を仰がせずにはいられない。たとえその頭上に月がなくとも。


「白虎を見つけましたわ、漆様……」

「そう?」


 耳朶じだをくすぐって、その掠れた低い声は芙蓉の鼓膜を透かして体の内に滑り込んでくる。芙蓉はようやく目を閉じた。


「これでかたきがとれますわ……復讐ができますわ。先の世で、あやつがわたくしに与えた苦しみや痛みを、幾億倍にもして返してやれますわ、漆様」

「そのために、あんな子狐を雇ったのか?」

「ふふ。わたくしの式神は四神どもにも知られていますもの。事実、白虎はわたくしの式神避けの結界を張っていましたわ。でも、子狐の秘術のことはあやつらもまだ何も知りませぬもの。あやつらだって手の打ちようがありませんわ」

「しかし、奴について何も知らぬのは我々も同様……奴を使いこなせるかな、芙蓉?」


 芙蓉は薄らと瞳を開いた。漆の手がちょうど芙蓉の袖の内から、石の欠片のひとつを探り出したところであったから。芙蓉は口元だけでそっと笑った。


「ご安心ください。芙蓉はあの子狐をきちんと手なずけておりますのよ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る