11-6 「みぃつけたっ、と」

「違う、違う……あれも違うっと」


 電柱の陰からその前を通り過ぎていく水仙女学院の生徒たちを一人一人指さしながら、ぶつぶつなにごとかを呟いている見慣れぬ制服姿の少女の前に差し掛かると、笑いさざめきあっていた女子生徒たちも顔を見合わせ、怯えたように小走りになって通り過ぎていく。けれども、奈々はまるで構う様子もない。


「ぜーんぜん、見当たらないもんなー。似てる人さえいないもん。今日学校休んでたりして」


 奈々は大きすぎる独り言を言いながら、電柱の陰からぴょこりと顔を出して校門の方を覗いてみる。


「舞ちゃんと翼ちゃんは見つけられたかなあ?」


 ……と、奈々は鞄をその場に取り落とした。鞄を取り落とした指先はそのまま宙に固定されたかのようにぴくりとも動かない。やがて、爪先から体を駆け上っていくものがあると、奈々はようようその指を折り曲げてきつく握りしめた。全神経を研ぎ澄ませて、確かめる。やはり――間違いない。


「冗談でしょ、こんな時に……!」


 奈々は首から下げた鈴を制服の襟の間から取り出した。確かに鈴の音がする。聞き間違いではなかったようだ。敵が現れたのだ。恐らく、この近くのどこかに……


 奈々は鞄を引っ掴んで、水仙女学院の校門めがけて駆け出した。さすがの警備員も、この風変りすぎる少女に対しては制止を試みたが、奈々はその手が伸びるより早く校門を抜けていた。走りながら鞄から携帯電話を取り出してみて、それから奈々は舞も翼も携帯電話を持っていないことに気がついた。そうだ。今日は学校帰りだから。奈々は足を止めた。舞と合流しようと思って女学院の敷地内に飛び込んではみたものの、連絡がつかないのでは無意味に走り回るばかりになってしまう。それなら敵の居場所を突き止めた方が早い。奈々は白樺の林の中に身を隠すと、日の光に向かって鈴をかかげた。すると、鈴を透かした日差しが奈々の足元を照らし、花の影が芽生えて奈々の足元を覆い始める――奈々は玄武へと変身した。


「どこにいるんだ……?」


 玄武の耳に響いてきたのは、校舎の方より波のように広がってきた女子生徒たちの悲鳴であった。その声を聞くなり、玄武はすばやく弓を構えると、天高く矢を射て、目を閉じた。突き刺さった矢の振動が玄武の鼓膜を震わせる。流れ込んでくる光景……校舎の更に奥――サッカー部のユニフォーム姿の女子高生に襲い掛かろうとした鹿のような怪物の背に、矢は刺さったようだ。断末魔の声をあげて、怪物の体が掻き消える。矢が支えてくれていたものを失って、地面に突き刺さる。獣、虫、蜥蜴とかげや蛙、様々な醜悪な姿を持った怪物たちの四つや六つや八つもの足が地面を駆け、這い回る、そのとどろきが聞こえてくる。


「校庭……!」


 玄武は再び走った。騒ぎを知ったらしい女子生徒たちが、白い敷石の道を走ってくるのが見える。玄武は彼女たちとぶつからないように白樺の林の間を、木を避けながら突き進み、校舎を大きく迂回して校庭側へと出た。校庭の白い砂が玄武の目に光りはじめた瞬間、木の上より黒い猿のような怪物が奇声をあげながら飛び降りてきて玄武に躍りかかったが、玄武が反応するより早くその首に巻いた領巾ひれがはらりと外れて白い大蛇の姿となり、猿の怪物を食いちぎってそのままごくりと飲み干した。


「も、もうちょっと、穏やかなやりかたはないの……?」


 怪物の返り血を浴びて尋ねる主にむかって、白蛇はぶんぶんと頭を振った。


「そ、そう……」


 背後に怪物の気配を感じて、玄武は弓矢を構えた。放った矢が急降下してきた巨大な鳥の化け物の頭を貫き、弓を構える玄武に飛びかかってきた怪物どもを白蛇が尾で払い、あるいはその首を食いちぎる。


「……思いだした!」


 蛇と共に駆け出しながら、玄武は叫んだ。


「この弓の名前はねぇ、神渡かみわたし!でもって、君の名前は……えっと……そう……!木守こまもり!こまちゃんだ!」


 駆けつけてくる玄武に気がついて、怪物どもが押し寄せてくる。玄武は弓を引くために立ち止まり、その体に木守が巻き付いて頭だけをもたげさせる。木守が敵の群れに突っ込んでいくと、玄武の矢はすぐさま頭上に向けられて烏ほどもある巨大なはえの体を射た。蠅の体がすぐ足元に落ちて、紫色の体液が泡立つのに、さすがの玄武も「うわあ……」と言いながら思わず後ずさる。その背中を狙うものがあった。


『桜吹雪!』


 空より可憐な声が降ってきて、玄武の背後に桜色の影が舞い降りた。玄武の背を狙っていた爬虫類の狡猾そうな手は瞬く間に消え去った。玄武はぱちぱちと目を瞬いた。京姫が校舎三階の窓から飛び降りてきたのである。


「姫!」


 玄武の驚きに、京姫は無頓着であった。


「敵はっ?!」

「怪物がいっぱい……左大臣は?」

「左大臣はみんなを避難させてるの。校舎にも何匹か入ってきちゃったから。青龍はまだ?」

「そりゃ無茶だよ。大学の校舎からここまでだいぶ距離が……」


「こらっ!戦ってる途中によそみするな!」


 まだ来ないと思っていた声に怒鳴られて、京姫と玄武は飛び上がる。くるりと首を方向転換した二人に、頭を斬り離された熊の体が飛んできた。二人は慌ててそれを避ける。青龍は木守に背後を守られ、凍解いてどけを怪物に切りかかった時の姿勢のまま構えて校庭の中央に立っていた。


「もうっ!しっかりしてよね、二人ともっ!」

「す、すみません……」


 京姫と玄武は至極まっとうなご意見に素直に反省してみせる。その間にも、青龍は、鋭い爪を立ててきた怪鳥の羽をわずかな動作で破ってみせた。


「ほらっ、木守ばかりに戦わせてないで、自分たちも戦って!」


 玄武はその場に踏みとどまって遠距離からの援護と、上空を飛び回っている化け物たちの退治に専念し、京姫と青龍とは、校庭に突如として湧き出てきた怪物の群れを呪術と刀とで倒していく。京姫の手元からは常に桜の花弁が舞い、凍解は絶えず午後の光を受けて鈍い光を放っていた。数十頭ほどもいた怪物たちも三人と一匹の奮戦のうちに姿を消し、三人もせいぜい浅い切り傷程度の怪我で乗り切った。戦闘が終わって、三人は十分に周囲を警戒しながらも身を寄せ合った。じりじりと近づき合った三人は、互いに手が触れ合えるほどの距離まで近づいて、初めて安堵できた。


「どうやら終わったみたい……」


 青龍が言う。青龍は腕に負った傷を袖の上からきつく縛り付けていた。玄武がすぐに手を充ててそれを治してやった。


「ありがとう」

「しっかし、なんの騒ぎだったんだろうねー?なんでこんなところ襲ったんだろう?」

「私たちがここにいることに気付いてたのかも……」

「敵は常にあたしたちを監視してるって訳ね。だったら寝込みでも襲ってくればいいじゃないのよ」

「青龍、それ問題発言……」

「うるさいっ!」


 パトカーのサイレンが聞こえてくる。どうやら誰かが警察に連絡を入れたようだ。それに校庭の方へ人が駆け寄ってくる気配もする。三人は顔を見合わせて、互いの格好を見遣った。改めて見ると奇妙な格好である。それに、奇妙なことより悪いことには、刀やら弓やらさらには大蛇やら、まず警察が興味を抱かずにはいられなさそうなものばかりを三人が持っていることである。三人は無言のうちに、変身を解いて、この場を去ることを決めた。


 舞が変身を解いた瞬間であった。革靴の裏に尋常ではない揺れを、まるでなにかが地面の下を掘り進んでいるかのようなうごめきを感じたのは。舞が振り返るよりも先のことであった。地面の中から暗紅色あんこうしょくのぬめぬめした体を持った、緑色の無数の足を手に入れる代わりに目を失った、蚯蚓みみずにも似た化け物が地面を割って現れたのは。翼と奈々がはっと息を呑む。しかし、二人が鈴に手を伸ばしても、怪物が舞に飛びかかるのには到底間に合わなかった。


「舞っ!」


 一発の銃声が響いた。蚯蚓の頭かと思われる部分が吹き飛んで、気味の悪いねばついた体液と肉片とが周囲に飛び散った。舞は自分をほぼ反射的にぐいと自分の方に引き寄せた翼が、「ひっ……」と声をあげるのを耳元で聞いた。舞のスカートの裾にも怪物の血液らしい青い液体が付着したようであったが、舞はまず、翼の胸から顔を上げ、怪物の体が地面に空いた穴の中へと縄のようにずり落ちていくのを確かめるなり、校舎の屋上を仰いだ。銃声はそこより響いてきた。舞の目に、金色の髪をなびかせて去っていく人影が見えたように思われた。


「ルカさん……!」


 またもや助けてくれたのか。白崎ルカは。白虎の力を持つ者は。でも、どうして?どうして同じ地面に立って、共に戦ってはくれないの?ルカさん。あなたは何を頑なに守っているのですか……?




 また余計なことをした。前回大学のキャンパスで京姫を蜘蛛の急襲から救ったときも、螺鈿との戦いの折に駆けつけたときすらも、柏木の奴に嫌味を言われた。今度もやはり何か言われるだろう――そんな行動は敵に居場所を知らせるようなものだ。お嬢様に万が一のことがあったときはどうするのだ。姫様の元で戦いのなら、さっさと参上しろ。お嬢様のことは俺が一人で守る、と。


 屋上から校舎への出入口に差し掛かり、ルカの顔に電気をつけていない最上階の踊場の暗さが圧し掛かる。と、ルカは後ろ手でドアノブに手をかけるなり、荒々しく引き寄せて扉を閉めた。ルカは怒りと屈辱とを噛みしめる。


 ルカは知らない。閉ざされた扉の向こう、水仙女学院高等部の屋上で、狐の耳と尾とを持った水干すいかん姿の少年がふわりふわりと浮かんでいることなど。その顔が横罅よこひびの走ったように笑ったことなど。彼がルカの背に葛の葉を一枚、貼り付けていったことなど。


 篝火かがりびは呟く。


「みぃつけたっ、と」

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