10-6 「司、お願い、もう一度だけ……!」
桜の花弁が舞を包み、古代の巫女の衣装を纏わせる。掲げた手に
『桜吹雪!』
京姫が手を掲げて叫ぶと、姫の掌より桜の花弁が蜘蛛を包み込む。京姫は己が手を思わずまじまじと見つめた。もう仗は必要ない。京姫はその持てる霊力だけで十分戦えるのだ……
「螺鈿!どこに行った?!」
かの人の声に、京姫ははっとして周囲を見渡した。蜘蛛に気を取られている間に、螺鈿の姿が見えなくなっている。と、京姫は足元が突如燃え上がったのを避けるべく後ろへ飛びのく。その背後に
「姫様!後ろ……!」
京姫が振り返るより早く螺鈿は簪を振り上げていたが、宙を駆けて一本の矢が手の甲を射ぬいたためにその目論見は儚く崩れ去った。射抜かれた手を庇い、ひらりと空へ浮かび上がった螺鈿の影が消えたために、京姫は矢を射ぬいた人の正体を見定めることができた。黒と紫との衣装に身を包み、月のような金の弓を構えて、また今、一本の矢を放とうとする人……
「玄武!」
玄武の矢は螺鈿の
「お仲間が勢ぞろいって訳かい?楽しいこったね」
「螺鈿、覚悟しなさい!もうあなたの好きにはさせない!」
京姫の言葉に螺鈿はわざとらしく片眉をぴくりと引き上げて落とす。
「覚悟ねェ。あちきに覚悟しろという前に、まずお前たちの方が覚悟しなければならないんじゃアないのかえ?」
「なにを……」
京姫たちの体は投げ出された。熱波が火柱より湧き起こってひろがり、地面が激しく震えたためである。倒れた京姫の元に白虎が駆けつけて抱き起こし、続く熱波からマントで庇う。やがて京姫が白虎の胸より目線をあげて見たものは、姫が最も恐れていた光景であった。
月夜が赤く染まっている――炎海の波模様を受けて。先を見通そうとしても京姫の目に映るのは、膨らみ、燃え上がり、目を潰しかねぬほど眩い炎の色ばかりである。京姫は白虎の肩に手をかけて立ち上がった。見渡す限りの地獄絵図だ。炎が家々や木々を自らの手でくべながら燃えていく音、そうした薪の焼かれ、崩れていく音、地面の揺れる音が、波のように幾重にもなってひろがっている。遠くに甲高く聞こえる音は鳥どもの騒ぐ声だろうか。はたまた人の悲鳴だろうか。
螺鈿の笑い声が高らかに夜空に響く。
「そこからじゃアまともに見られねぇだろ、姫さん?残念だねェ。ここからだとよーく見えるよ。見たけりゃア連れてきてやってもいい。この町が燃えているのをサ」
「でも、どうし……!」
京姫ははっと思い当たった。先ほど、矢を螺鈿が引き抜いて火柱に投げこんだ時――あの時に、螺鈿は鈴も共に投げこんだのである。きっとそうに違いない。
「鈴が三つ揃えば、この国ごと焼き尽くすこともできただろうにねぇ。生憎一つじゃあ、この町ぐらいが限界だ。まあ、それだって上出来サ。そう思わないかい、姫さん?」
姫の心が張り裂けた。
「なぜ……どうしてなのっ?!どうしてあなたは町を焼くの?!あなたは、だって……!」
「……おかしいからサ。それだけだ」
言い捨てて、螺鈿は顔をしかめた。急に頭痛でもしたというような様子で。螺鈿の頭の中になにか響くものがある。早鐘の音……自分の笑い声……目の前に倒れてきた燃え盛る柱――螺鈿はこめかみを抑えた。
(……もう終わりなの……?)
京姫は茫然とただ物思う。
(私はこの町を守れなかった……みんな焼けてしまうというの?戦う事はできる。でも、この町はもう助からない……だったら、私、なんのために……)
息苦しさが襲ってくる。ただ酸素の足りぬばかりではない。頭が重たくなってくる。この町を守れなかった。家族も、友達も……その重圧が京姫から音を奪い、色を奪い、空気を奪ったのである。姫はふらふらとよろめいた。その体を白虎が支える。間近に見遣る白虎の顔は蒼白だった。京姫を支える手が震えている。この人にも愛おしいものがあるのだろうか。それでも、この人は、必死で自分を受け止めてくれている。私は一体どうすれば……
「姫……」
押し殺した声で、京姫の肩を抱く人は言う。
「戦うのです。それしかありません……」
「でも……」
白虎の手がますます強く姫の肩を掴む。最早、京姫は自分が支えられているのか、この人を自分が支えているのかわからなくなってきた。白虎の息は荒い。何かを堪えるように、何かを案じるように。そうして、白虎は噛みしめた歯の奥からようやく言葉を吐きだした。
「敵を倒すまで戦うのです!それが、我々の使命です……っ!」
どこからともなく矢が放たれて、螺鈿の袖を貫く。見遣れば、玄武が弓を構えて立っている。震える足で懸命に我が身を支えながら。そして、京姫の耳にふと聞えてきた――轟音に紛れて遠くに高く鳴る消防車の音。この町はまだ生きているのだ。この町はまだ戦っている……
(そうだ。私、もう一人じゃないんだ……)
「螺鈿!」
呼びかけると、螺鈿は我に返ったように京姫を見下ろした。それから、破れた袖に気がつき、舌打ちをしかけてふっとやめ、蔑みと嗜虐の笑みとを京姫たちに向ける。
「なんだい、騒がしいねェ。あとはお前たちを殺すだけだと思うと、気が楽だ……」
「もう容赦しないわっ!」
京姫が放った桜吹雪を交わした螺鈿に、剣を持った白虎が飛びかかる。それをも避けて、螺鈿は矢を煙管で弾く。螺鈿が煙管を地面に投げつけると、煙管の先が突き刺さったところから爆発が起きる。京姫と白虎の影が火炎の中に掻き消えた。
螺鈿が笑うより前に、その背後に彗星の如く白く閃くものがあった。振り返った螺鈿の右胸を、白虎の剣が刺し貫いた。
「貴様……っ!」
白虎の剣の柄を掴んで引き抜いた螺鈿は、白虎の白い衣服に赤い返り血を浴びせてにやりと笑ったかと思うと、剣ごと白虎の身を振り回した。思わぬ力に、白虎は反撃の隙すら与えられぬ。白虎の手が剣から離れ、その体が地面に叩き付けられる。
「忘れ物だよ!」
螺鈿が剣を白虎に突き刺そうとした時、京姫が強烈なタックルを螺鈿に食らわせた。京姫と螺鈿は共に地面を転がっていったが、早く立ち上がったのは京姫の方であった。姫は起き上がろうとする螺鈿の着物の裾を踏みつけると、逃れられなくなった敵めがけて桜吹雪を食らわせようとした。螺鈿はそれを炎の壁で防いだ。
「姫、大丈夫?」
「私は大丈夫。それより白虎が……!」
駆けつけてきた玄武に、姫は白虎の方を指して答える。玄武は一瞬怪訝な顔をしながらも、寄っていって倒れている美しい金色の髪の人の体を起こした。額から血が流れているのは、地面に頭を打ち付けた時の傷であろう。既に気を失っている様子であった。玄武はその額に手を翳して傷を治してやる。
一方の京姫は、天に向けて高く手を挙げる。まるで恵みを乞う人のように。あるいは剣を振りかざす人のように。彼女はただ願う。今一瞬だけの奇蹟を。
(司、お願い、もう一度だけ……!)
桜色の光が京姫の手の中に瞬きながら集いはじめ、
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