7-2 「お誕生日おめでとう!」
「つーばーさーちゃん!おっはよ!」
「あれっ、舞ちゃん、おはよう……」
翌朝、プレゼントを背中側に隠しながら、今日は誕生日だから翼もさぞかしわくわくしていることだろうと思って話しかけたのに、翼は浮かない顔をしている。笑顔こそ浮かべながら、翼は舞に手を振るなり、また机の上に頬杖を突いてしまった。舞はプレゼントをあげるのをひとまず保留にすることにした。
「翼ちゃん……どうかした?」
「ううん。なんでもない……」
「ほんとに?」
翼はしばらくの沈黙の後で唇を尖らせて、机の上に突っ伏した。
「翼ちゃん?」
「お父さんが……」
「お父さんがどうかした?」
「……お父さんが今日は夜勤だから帰ってこれないって急に」
「えっ、翼ちゃん、今日お誕生日なのに?!」
口を滑らせて舞は慌てたが、突っ伏してくぐもった声をたてている翼は、そんな様子にも気づかぬままだ。
「そうなのっ!つい一昨日までは帰ってこられるって言ってたのに!」
「でも、どうして……?」
「町で変な事件が続いてるから、パトロール強化だって」
「そ、それって、もしかして漆……」
言いかけて舞は口を噤む。なんだかその名を口にすることさえも憚られて。顔をあげた翼もその名を聞いた一瞬は顔を澱ませたが、すぐに少女らしい怒りがそれを掻き消したらしく、舞の肩をぎゅっと掴んだ。
「そうよ!ぜーんぶ漆のせいよ!あいつのせいで、あたしは自分の誕生日すら父親に祝ってもらえなくなってるのっ!」
「つ、翼ちゃん、落ちつ……!」
「もう絶対許せないんだから!絶対絶対あたしがやっつけてやるもんっ!」
「つばさちゃっ……ちょっ……!」
もうすでに登校してきていたクラスメートたちが一体なんの騒ぎかとこちらにちらほら目を集めさせ始めている。翼に激しく肩を揺すぶられたせいで、舞の手から誕生日プレゼントの箱が零れ落ちて、翼の足元に転がった。しまった!と舞が思ったときには既に遅く、翼の手がぴたりと止まる代わりに、その目は水色の包装紙に青いリボンで結んでもらった箱の上に寄せられていた。
「あっ……!」
「あれ、舞ちゃん、これ……」
舞は急いでプレゼントを拾い上げて、ハンカチで箱を拭った。
「ご、ごめんっ!落としちゃって!い、一応誕生日プレゼントのつもりだったんだけど……!」
「えっ、嘘……!あっ、ちょっと、拭くのやめてよ!そんな綺麗なハンカチで!」
「だ、だって……」
「だって、落ちたのあたしのせいじゃない!もうっ!ごめんねっ……」
二人の遣り取りに女子たちがくすくすと笑い声をあげたので、舞と翼は頬を赤らめた。一通り綺麗になったかな。舞はハンカチをポケットにしまうと、こほんと咳をして、両手でプレゼントを持ち直した。
「じゃあ、翼ちゃん、えっと……お誕生日おめでとう!」
「ありがとう……!」
その時、ちょうどチャイムが鳴ったので、舞はひとまず自分の座席に着いた。
昼休みは、試合が終わった美佳を舞が労わるなどしていたので、つい二人の時間がとれず、翼は結局帰宅してからプレゼントの包みを解いた。青いリボン、水色の包装紙――もしかして、あたしの色を選んでくれたのかな。あたし、一応青龍だし……
箱を開いて、翼は思わず声をあげた。つい嬉しくて、部屋の隅においてあるおもちゃの鏡台の前でツインテールを結んでいるリボンをはずし、カチューシャをあててみる。吾ながらよく似合っていると、翼は思う。舞もよくかわいいものを探してくれたものだ。お礼、ちゃんと言わなくちゃ。そうだ、舞の誕生日、いつだっけ?この間英語の時間に話してたな。六……違う、七月だ。JulyとJuneを間違えてたんだった。確か日にちは十一日だったはず。
「七月十一日っと」
翼はスケジュール帳にしっかりと書き込んだ。あと二か月も先のことだけれど、今からプレゼントを探すのが楽しみで仕方がない。舞にはなにが似合うだろうか。ピンク色なんて、舞のイメージにぴったりな気がするが。
「そういえば、仲良くなったの、いつだっけ……」
和机の上に頬を載せて、傍らにスケジュール帳を起き、外したリボンを指で弄びながら翼はぼんやりと思い出す。本当に、思えば一月も経っていないのだ。もちろんそれまでも存在を知ってはいたし、会話も交わしたこともあったとはいえ。
翼にとって、舞は春の日差しのような温かな少女だった。強いて目立とうともしないし、勉強でも運動でも突出しているという訳ではないけれど、表情が豊かで、その中でも微笑む顔が印象的で、誰に対しても優しい。同性の翼から見ても、とても可愛らしい顔立ちをしているけれど、どれほど自覚しているのか、もしや全くしていないのか、そのために奢り高ぶるということもない。クラスの男子たちだって、少なからず舞に想いを寄せている者もあるだろうというのに、舞はそんなことにもまるで無頓着のように見える。そして、京姫としての舞――芙蓉に襲われ、慄く翼の前に現れた京姫は救世主さながらに。螺鈿の炎を受け、渇ききり力尽きた翼を抱きしめて、懸命に名前を呼んでくれた、あの京姫の声こそ、翼にとっての慈雨であった。先日、舞が聞かせた古代の歌声。翼の眠りのうちを苦しいほどの懐古に満たしていき、翼の祖父を驚かせたあの歌声も……翼は時折、頭の片隅で、埋もれた瓦礫の下でなにかが動いているような感じがする。その振動で、瓦礫がぱらぱらと転がり落ちて、翼の頭の底で音を立てる。そんなときに、翼の目に浮かぶ人。美しくて、神々しくて、凛々しく若い女性の姿。長い波打つ髪を風に遊ばせながら、衣の袖を翻し、春の日差しに瞳を優しく細め、歌い、舞う女性。散々見慣れたはずの姿に、翼はつい心を打たれるような感銘を抱いている。大切な友達だった……前世でも。でも、次第に、なんだか、もどかしくもなってくる。急に、土を掴んで投げつけたいような、悲しく悔しい気分になってくる。
(だって、姫はあたしに隠し事をしていたんだもの……)
翼はびっくりして起き上がった。ちょうど今、瓦礫からなにか顔を覗かせたものがあったのではないか。翼は頬に手をあてる。思い出したのだろうか、前世の記憶を。翼は首を振る。前世の記憶なんて、どうでもいい。あたしは青木翼として、戦いの道を選んだのだから。漆と戦うのは前世の因縁のためではなく、漆がこの町の平和を乱すためだ。余計なことは思い出さなくていい。きっと辛くなるだけだ。そうだ、漆がお父さんを誕生日祝いの席から引き離すから、その復讐のためにあたしはあいつを倒すんだから……!
「……お父さんのせいじゃない、か」
翼は呟いた。そうだ、漆のことは、父親にはどうしようもない。寧ろどうにかしなければいけないのは、戦わなければいけないのはあたしの方だった……今朝はむくれて家を出てしまったけれど、やっぱり謝ろう。今夜のお弁当、あたしが持っていってあげよう。と、翼はいいことを思いついて、ぴょんと立ち上がり、台所の方へと駆けていった。
海苔ごはん、から揚げ、卵焼き、ミニトマト、ひじきとおからの和え物、ほうれん草のソテーに生姜焼き。ミニグラタン、ハンバーグ、デザートにはオレンジ。これを二段重ねのお弁当箱にぎゅうぎゅうに敷き詰めたので、台所にアイスキャンディーを取りにきた二番目の姉がのぞき込んで、「いれすぎじゃない?」と呆れてみせた。いいでしょ!と翼はむきになって返す。姉の光は、怪物に襲われた事件があってから二三日熱を出して寝込んでいたが、元来が丈夫な性質なのでもう回復して、大学にも復帰したようだった。
「あっ、光、アイスなんて食べて!今日は翼の誕生日ケーキもあるのに!おっ、翼、随分豪華にできたじゃない。お父さんの方が誕生日みたい!」
台所が空いたかどうかを見に戻ってきた母親が、自分より高い娘の頭をこつんと叩きつつ、翼のお弁当を見て言った。
「でしょっ?あたし、これ届けてくるね!夜ご飯までに帰ってくるから!」
「あら、今日はおじいちゃんとのお稽古はないの?」
「うん!誕生日だからお休みだって」
翼はさっそく準備をした。一応町中に出るから、部屋着は脱いで、カチューシャによく合いそうなワンピースを見つけて着こんだ。もしかしたら、恭弥に会えるかもしれないし。翼は鏡台をのぞきこんだ顔をほのかに染めた。そういえば、あいつも誕生日祝ってくれたけど、一応……なんだっけ?あっ、そうだ。「よう翼!また一つ老けたな!」だ。
「……まったく、もう!」
あの一言だけで、奴がいつしかの誕生日にくれたリボンなどは、今日はつけないに限る。
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