4-3 「もうっ、気を付けなさいよねっ!」

「京野さん!!」

「舞!」


 すさまじい衝撃を顔面に受けて、舞はその場に倒れ込んだ。暗闇と真上にかかった太陽の光が交互にあらわれるその明滅で、目が眩みそうだ。倒れ込んだ痛みを背中のあたりに感じ始めてはいたけれども、顔の方はじんじんするばかりでよくわからない。とにかく何も見えない。指先は砂の感触を辿っているようだけれども。


「舞!」

「京野さん、大丈夫?!」


 美佳とともにまっさきに駆けつけてくれた声の主は、翼らしかった。美佳に抱き起された舞がようやく最初に捉えられたのはその顔だった。サファイアブルーの、大きな、ちょっと気の強そうな印象を与える瞳。細いが凛々しい眉。小さいが活発に動くだろうことを示している口元。藍色の髪をツインテールにして、淡い水色のリボンで結んでいる。舞の視界はその時もまだ明滅していたが、舞はそのなかに翼とそっくりな、しかしもう少し大人びた少女の姿を見た。少女は言った。



   「姫様!まーた勉強の時間に抜け出しましたね!」



「……ぃりゅ…う……」

「おい、舞、しっかりしろ!」


 舞の意識が戻ってきた。それと共に、顔面を覆う、焼け付くような痛みも襲ってきた。


「京野、大丈夫?」


 気がつけば、舞の周りには、翼、美佳、体育の長谷先生をはじめとして人だかりができている。いつも舞を叱ってばかりいる長谷先生が(先週舞は三回ボールをあらぬ方向に投げ飛ばしていた)今日はいつになく優しい口調で尋ねてくる。


「一応保健室、行く?」

「だ、大丈夫……です……」


 舞はなんとか立ち上がった。顔を触ってみると、まだ痛みはあるけれど鼻は折れていないし鼻血も出ていないようだ。とにかくそれが心配だったので、舞は安堵した。


「悪い、京野」


 人だかりに紛れていた恭弥が舞の前に進み出て謝罪する。しゅんとした様子は、なんだか飼い主に叱られた子犬のようでなんだかほほえましかった。


「ううん、気にしないで!大丈夫だから」

「もうっ、気を付けなさいよねっ!」


 翼が腰に手をあてて恭弥に言った。翼は学級委員長ということもあって、よくこんな風に、姉が弟にするような口調で男子に対しても話す。すると、しょんぼりしていたのはどこへやら、たちまち猫のように表情を変えて、負けん気の強い恭弥は応ずる。


「だから、悪いっつってんだろ!」

「なによ、その態度!」

「うるせぇ!大体おめぇには関係ないだろうが!」

「か、関係あるわよ!あたしの蹴ったボール、京野さんが取りにいってくれてたんだから……!」

「じゃあ、おめぇも京野に謝んなきゃいけねぇだろうが」

「……!あんたには関係ないでしょ!」

「おめぇ、さっき俺になんつった?!」


 まあまあ、と美佳が二人を諌める。翼と恭弥はしばし睨み合っていたが、翼の方が先にぷいとそっぽを向いて、舞の肩を抱えて支えていた美佳から舞を譲り受けて言った。


「京野さん、保健室で一応見てもらおう?」

「えっ、でも、ほんとに……」

「ダーメ!もしかしたらなにかあるかもしれないでしょ。ということで、先生、あたし付き添いでいってきます!」


 舞が大丈夫だというにも関わらず、翼は先生にそう言い放つが舞の手をとって校舎の方へと歩き出した。なんとなく憤然とした素振りだった。恭弥との喧嘩のことがまだ後を引いているに違いない。舞は翼に少し遅れて歩きながら、二つに結んだ髪が、翼の動きにあわせて揺れるのをぼんやりと眺めていたが、ふと、翼が振り返った。その目は口論のときの興奮を留めて異様にきらきらと光ってはいたが、その表情全体から受ける印象は優しかった。


「京野さん、ごめんね。あたしのボール取りにってくれてたのに……」

「へっ?あっ、そんな!全然、青木さんのせいなんかじゃないよ!わ、私がぼーっとしてたから」


 すると、翼はおかしそうにくすっと笑った。サファイアブルーの瞳が途端に柔らかくなった。


「確かにね。ボールなんかそっちのけで、男子の方見てたもんね」

「えっ?あっ、いや、その……!」

「誰か気になる人でもいるの?」

「ま、まさか!ぜ、全然そういうんじゃないって!」


 翼は、今度は声をたてて笑った。明るいささやかな、可愛らしい音だった。


「京野さんって、嘘が下手」

「嘘じゃないよっ!」

「ふふ、じゃあそういうことにしとこっ。それより大丈夫?顔、痛くない?」

「うん……大丈夫。ねぇ、私、変な顔になってない?」

「全然。かわいいよ」

「な、何言ってるの……?!」


 保健室で診てもらった舞は、異常なしということで顔を冷やすための保冷剤をあてがわれて帰された。間もなくチャイムも鳴るというところだし、校庭のクラスメイトももう間もなく解散するという風だったので、二人はそのまま更衣室へと向かう事にした。翼は一年生のときは全く違うクラスであったし、今まで会話ぐらいはしたことはあるけれど、特別仲が良いという訳ではなかった。しかし、今日の機会を得て話してみると、なんだか昔馴染みの友達のように、会話が弾んだ。翼は明るくて、真面目で、正義感が強くて、気が強いけど心根の優しい少女のように、舞には見えた。そして最後の部分が、なんとなく恭弥に似ていると、舞は思った。


「そういえば、青木さんって東野君と仲がいいんだね」


 そんなことを言うと、翼は急に顔を赤くした。


「べ、別に!全然そんなことないったら……!」

「そう?なんかすごく仲良しだからあんな風に喧嘩できるのかな、って思って」

「……まあ、確かに腐れ縁ではあるけどっ。幼稚園のころから、ずっと一緒だし」


 腐れ縁、ずっと一緒――つまり、幼馴染。舞は心が揺すぶられるのを感じた。そういえば、舞と司も前はよく小さな口喧嘩をした。一方的に舞が怒ってむきになって、司が笑っているだけのものだったけれど。あんな風に遠慮なく、好きなこと言い合えた……前の司とは……


「幼馴染、なんだ」


 舞はつい感慨を込めてしんみりと言った。翼はその様子には気づかなかったように、慌てて首を振る。


「だ、だから、幼馴染なんていいもんじゃないの!腐れ縁!」

「でも、仲良いのは一緒でしょ?」


 舞が頬にあてた保冷剤の影で微笑むと、翼はますます激しく首を振った。ツインテールがゆさゆさと揺れた。


「そんなんじゃないったら!」

 舞はもうそれ以上なにも言わないであげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る