白影奇譚

Hall

第1話 「伝」

プロローグ「逢」



 天才とは常に孤独だと誰かが言った。

「私がここに居続ける理由かい? 外の空気と騒音は私には毒のようなものでね。本に囲まれている方が落ち着くのさ」

 三百六十度全て本で囲まれた異質な部屋の中心で、少女は紅茶を飲みながら呟いた。

 肩まで流れる透き通った綺麗な銀髪に、異国の海を思わせる青い瞳と日系離れした容姿は、思わず目を奪われてしまう。それに反して身に付けているシャツ、スカート、タイツ、ブーツは全て黒で統一されていた。

「それに、話し相手にも困らないからね。今まで会って来た中でこの子たちは優秀な話し相手だよ」

そう言って彼女は、周りを浮遊している五つの毛玉、基、五匹の白い子狐の頭を撫でた。

「さて、いたって平和な街の、こんな辺鄙な所に迷い込んできた君だ。これはきっと運命だよ。神様が君を私のもとに連れてきてくれたんだね。まぁ、そうでなくとも、ゆっくりして行きたまえ、少年。美味しい紅茶を淹れてやろう。だが茶請けがなくてね、その代わりに、私の話を少しばかり聞いてはくれないかな? なに、口数の多い寂しがり屋の他愛無い話さ」

 少年、由良国永ユラクニナガが、銀色の少女こと、薬師寺清嘉ヤクシジキヨカに出会ったのは、高校一年の夏のことだった。




   Ⅰ 「伝」



 薬師寺清嘉は、森の中の廃墟同然の家に住んでいる。

 高校一年の時に、息の詰まる授業帰りの気晴らしのつもりで訪れたその廃墟は、どこか生活臭がすると恐怖心と好奇心に駆られ奥に足を進めた結果、出会ったのは薬師寺清嘉と大量の本が貯蔵された大きな部屋。由良国永が廃墟に通い出して一年と少し、高校二年の秋になった今でも、彼女の話に付き合わされている。

「やぁ、由良君。待っていたよ」

 週に二回か三回、由良は薬師寺のもとを訪れていた。基本的に暇ということもあるが、狐以外に新しい話し相手が出来たと喜んだ薬師寺のためというのもある。来るたびに弾けるような笑顔を向けられては、由良も来ざるを得ない。

 由良は部屋に入ると、いつも座っているアンティークの椅子に腰かけた。膝元にやって来た狐の頭を撫でていると、薬師寺が紅茶を持ってくる。

「さて由良君。早速、というか今更なんだが、君はオカルトの類を信じるかい?」

 紅茶を受け取ってお礼を言った直後、薬師寺は自分の席に向かいながら由良に質問した。由良は質問の内容に少し戸惑い、膝で丸くなる狐を見た。

「こいつら見てれば、信じないって方がおかしいだろ」

「ふむ、尤もな意見だ。だが、私やこの子たちに会う前の君はどうだった? オカルトの類を信じていたかい? いるかも解らない幽霊や神霊の類に怯えていたかい?」

 不敵な笑みを浮かべながら聞いてくる薬師寺に、由良は目を逸らして記憶をたどった。

「いるんじゃないか、とは思ってた。怖い話とかホラー映画は割と好きで見てたし。だけど、自分から遭遇することは、一生にはないって思ってかな」

「なるほど。君は少なからず、オカルトや心霊現象に興味があったということだね」

「まぁ、そうなるな。それで、なんでまたそんな事聞いたんだ?」

 薬師寺は紅茶を飲んで机の上に置くと、目を伏せて足を組む。

「いや、君にとって私もこの子達もかなり珍妙な存在だと思うが、つい先日、都市伝説というものを読む機会があってね、いくつか話を読んだのさ。最近の人達は凄いね、あんな面白い話を作ってしまうのだから。大分深く読み込んでしまったよ」

 そう言って薬師寺が指を差した方向を見ると、そこには大量の都市伝説に関する本が積み重なっていて、今にも倒れそうになっていた。

 薬師寺は片付けが出来ない。寧ろ、掃除をしようとすると逆に汚くなるという事態になる。由良がここに訪れた時も、足の踏み場がないほどの散らかりようで、由良がここに来るようになってからは、時々掃除をしながら薬師寺の話を聞くことも少なくない。

 また散らかしたなと思いながら、由良は口を開いた。

「都市伝説って、『ひとりかくれんぼ』とか、『くねくね』とか・・・そういうのだよな?」

「おぉ、少し期待していたが、知っているんだね、由良君。そうだね、私が読んで印象的だったのは、その二つと、『コトリバコ』、『猿夢』『両面スクナ』『八尺様』『緑の刑』・・・あとは『口裂け女』とか『裏S区』とか、有名なのは一通り読んだよ」

「大分コアなところ突いたのもあったけど・・・まぁ、それはいい。でも俺、『緑の刑』ってのは知らないな。どういう話なんだ?」

 薬師寺は小さく微笑んで椅子の背もたれに寄りかかってから口を開いた。

「話は一人の罪人から始まる。その罪人は、それはそれは言葉にも表せられないような罪を幾度となく犯して、やっと捕まったらしいんだが、いざ刑を下さそうとなった時、裁判官はこう言った。

『千、万という懲役を与えるとしても、牢屋で生涯を閉じるとしても、私はこの者を許せない』

 ではどうするのか、と聞いたら、裁判官はその問にこう答えた。

『彼が入る牢屋を緑に染めろ。牢屋だけではなく、彼自身も緑に染め、彼が牢屋から見える全ての物を緑色に染めろ』

 言われた通り罪人の彼の入った牢屋は、一面緑色に染められた。そして彼の頭から爪先、耳や鼻の穴、口の中から髪の先と全て緑色に染められた。勿論、彼のもとにやって来る看守も全員もれなくね。さて由良君、いくら残虐非道を働いた罪人の彼でも、ただの人間がそんな空間に何日もいたらどうなると思う?」

 大人しく話を聞いていたところで話を振られ、由良は自分の手を見つめて考えてみた。この色鮮やかな視界が、何処を見ても一色しか映らない。

「く、狂う、とか・・・?」

「その通り。何日も視界に一色しか映らないというのは、色彩感覚がある人間の脳に確実なダメージを与え、麻痺させる。これが裁判官の狙いだったんだよ。罪人の彼は『緑以外の色が見たい』と懇願して暴れたらしいけど、何処を見ても緑しかない空間に頭がいかれて、その衝動を自身の身体を傷つけて抑えた。でもそこで面白いことが起こったんだ。緑以外の色が突然現れたんだ」

 身体を傷つけるという単語を聞いて、由良は少し察しが付いた。

「赤が現れたんだ。彼はそれを見て大いに喜んだ。しかも体を傷つければ傷つけるほど、どんどん赤が溢れ出てくる! それはもう夢中で身体を傷つけたそうだ。だがある日、看守の一人が罪人の牢屋を見に行くと、彼は死んでいた。全身赤く染まって」

 薬師寺が話す様を見て罪人の状態を想像すると、由良の腕に鳥肌が立った。薬師寺は一旦上げた声のトーンを落として、続けた。

「突然現れた『赤』。それは私や由良君の身体にも流れている、血液のことだ。彼は出血多量で息絶えてしまった。罪人の死体は処理され、牢屋や彼の視界を染めていた緑の染色は全て洗い落とされた。・・・これで終わりだと思うだろう? だが違う。色を落とすにあたって、落ちない色があったんだ。もう解るよね、由良君?」

 話の流れからして、色は二色しか出てきていない。そして緑が落とされたということは、残る色は一色だけだ。

「・・・赤?」

「そう。赤・・・基、彼の血液だけは、何をしても落ちなかったそうだよ。彼の血液の付いた壁や床は新しく塗り替えられたそうだけど、その牢屋に入った受刑者は、なんでも奇妙な死を遂げるらしいよ。・・・これが私の呼んだ都市伝説、『緑の刑』だ」

「なんか、結構恐ろしい話だったな。ちょっと変な鳥肌立ったんだけど・・・」

 辺に肌寒く感じて、由良は用意された紅茶を飲んだ。

「いやぁ、偶にはこういった砕けた話を読むのもいいものだね。人間の心理というか、捻くれた醜い所が見られる、近現代作家とはまた違った狂気と恐怖を感じられるんだから。…そういえば有名な『ひとりかくれんぼ』や『てけてけ』は、映像化されていると聞いたけど、由良君は見たことはあるのかい?」

「あぁ。見たことあるよ。でも、映像だとイメージを押し付けられるから、俺としては恐怖が半減するんだよな。近頃だと、『こっくりさん』と『ひき子さん』が戦ったりするから、ホラーというよりかはコメディって感じで、正直、怖くないんだよな」

「なんだって? あの『こっくりさん』と少年少女を引き摺るのが趣味の『ひき子さん』が戦う? それは少し面白そうだね。・・・しかし、都市伝説というのは不思議だね。『こっくりさん』や『ひとりかくれんぼ』は降霊術の類だし、『八尺様』や『両面スクナ』は土地神や神様の類だ。『緑の刑』や『裏S区』のように、現実味を帯びた不気味な話もある。細かくジャンル分けをしてしまえば、神話や呪術、伝説、怪談に分類されるじゃないか」

「まぁ、そういうのは全部、『洒落にならない程怖い話』って一括りにされるからな。そう言われると、都市伝説って実際のところ、なんなんだろうな」

 由良は膝で丸くなっている狐達も、都市伝説での類なのではと疑う。そして目の前で二杯目の紅茶を飲んでいる薬師寺清嘉も、実はこの地域一帯に広がっている都市伝説なのではないかと凝視した。

「君のことだ。どうせ私も都市伝説の類か何かと見ているんじゃないかい?」

 考えていたことを見透かされ、由良は驚いて瞬きを忘れた。図星という反応に、薬師寺は小さく笑い声を漏らす。

「私を人間か人間じゃないかとみるのは、君の自由だよ。この子達は稲荷神の類だろうけどね」

「お前も知らないのかよ」

「残念ながらね。生まれた時から一緒だったから。でも、充分都市伝説になり得ると思うけどな? 廃墟に住んでいる銀髪美少女と五匹の狐って。見入られたら最後、夜が明けるまで話に付き合わされる。・・・おっと、これは年頃の男の子達には『ご褒美』になってしまうかな? それこそ『八尺様』のように、呪い殺してしまうまで執着すればいいかな?」

 彼女の言う『八尺様』という都市伝説は、とある村に伝わる妖怪、あるいは神様に分類される類だ。八尺様というだけ身長は二メートル四十センチと大柄の女性で、白い帽子とワンピースを着ている。容姿は人によって異なるらしいが、共通しているのは『ぽぽぽぽ』という笑い声と男のような濁った声。若い男性を狙い、見入られた男性は数日持たず殺される。

 『八尺様』の話に出てくる犠牲者の少年は、盛り塩を四つ角に置いた部屋から、夜が明けるまで絶対出ないこと。そして、夜が明けたらその場から離れることを祖父母から言われる。その晩、八尺様が部屋のところにやってきて、ひたすら窓を叩いて開けるように急かす。八尺様は声帯模写が得意で、祖父母になりすまし少年に扉を開けるように指示を出すという、巧妙な罠も仕掛けてくる。

最終的には夜が明けてすぐに村を去ったが、八尺様をその村に封印していた道祖神が何者かに壊されるという事件が起こる。その壊された道祖神は、その少年が住んでいる街に続いている道を守っていたというオチで終わる。

 由良が読んだ中でもかなり怖い内容の都市伝説だ。それを『ご褒美』というのだから、薬師寺は相当性格が悪い。

「それに『八尺様』は一部で、成人向けの本の題材にされているそうじゃないか。由良君は見たことあるかい?」

「見たとしても言うか。あと『八尺様』は読んだ時から軽くトラウマなんだ。そう好き好んでみるかよ」

「そうだね、『八尺様』は正太郎コンプレックス。所謂ショタコンだからね。ショタと呼ばれる圏内の小さい男の子が聞いたら確実なトラウマだろうね。君もその一人という訳だ。うん、私は別に小さい男の子が大好きかと言われればそうじゃないから、『八尺様』を見習うことは出来ないね」

 いやぁ、残念だと言いながら、机の上のカップケーキの紙をはがして口に頬張る。

「そう言えば、他にも何かを限定的に狙う都市伝説とかあるのかい?」

「口に物入れながら喋るな。・・・お前、『コトリバコ』読んだんだろ? あれもそうだろ。女性限定無差別攻撃してくる箱」

 男性を狙う八尺様とは違い、『コトリバコ』は、主に女性を狙う都市伝説と言われている。『コトリバコ』とカタカナで表記されることが多いが、実際は『子獲り箱』といって、字の通り、子を獲る箱である。

「あぁ、そういえばそうだったね。人が作り出した呪いの箱。子孫繁栄を阻む箱。確か、水子の死体の一部を箱に入れて、置き物とかお土産とか嘘をついて、殺したい人間の身近に置かせる。そういうものだったね。因みに由良君、『コトリバコ』には呪いの強度があるというんだが、君は知っているかい?」

「あぁ、えっと・・・呪いに使う水子の死体の数によって強くなるんだろ? 一番下が『イッポウ』で、最強が八人で『ハッカイ』だったか?」

「まさか生まれて間もない赤子を使うとは思わないよね。私が読んだ話では、女性の一人が持ち帰った荷物に『コトリバコ』が紛れていて、集落ごと滅んでしまった。その後はまぁ、滅んだ集落に訪れた誰かが落ちていた『コトリバコ』を持ち帰ったっていうオチで終わったんだが。話を聞いて怖いと思うのは当然だが、それは結局読んでいる我々人間が作り出しているというんだから、本当に怖いのはそこだろうね」

 生きている人間が一番怖いよねと、薬師寺は足を組み直して積み上げていた本の一冊を手に取る。タイトルには、『都市伝説大全』と書かれていた。薬師寺は適当なページを捲って、他にも何かないかと指を滑らせながら探した。

「有名な都市伝説の著書を書いている人も言っていたが、この手の話は『信じるか信じないか、それは個々の自由だ』というのは尤もだろうね。真意を確かめるために、ツチノコ騒動が起こり、人面魚見たさに態々その地へ赴く人達だっている。そして現地に行ったその人達が、土産話にと友人や家族に言う。そしてそれが口伝いに広がる。だが、情報を得るうえで口伝え程不確かなものはない。東では何らかの情報が欠け、西では話に尾ひれがつく。北では話の根本から捻じれ、南ではまた新たに話が生まれる。そんなことはザラだろう。だから、本やメディアに取り上げられたり、掲示板にコピーアンドペーストで拡散されている有名な都市伝説も、やはりどこかしら違う部分があるんだ。私が今しがた話した『緑の刑』も『コトリバコ』然り、大衆が作り上げた伝説だからこそ、正解がない。それがまた、大衆を楽しませる一つなのかもね」

 薬師寺は何かを話し出すと饒舌になる。由良はいつもこの饒舌になった薬師寺の話を、用意されたお茶とお菓子をもらい、狐を撫でながら聞いている。気分を良くした薬師寺は、積み上げていた本を再びあさり、五冊ほど掴むと問答無用で由良に押し付けた。

「さぁ、由良君。君が掲示板で見てきた都市伝説と、この本の都市伝説と照らし合わせてみてくれ。そして相違点があったら是非教えてほしいっ」

「なんでだよ。そんなのお前がやればいいだろうが」

「解っていないね、由良君。こういうのは他人とやるから楽しいんだろう? それに付け焼刃の知識しかない私より、君の方が都市伝説に詳しそうだっ。そしてまた話をしようっ。出来れば『裏S区』の話について深く語りたいんだ。あれは私でも解釈が様々あってだな、色々と興味がある。紅茶ならいくらでも淹れてやるから。そうそう、今日のダージリンは特別美味しく入ったんだよっ。抽出する温度を少し変えてみたら、これがドンピシャでね・・・」

「あああもう、煩い。一気に喋るなっ。解ったから、見てみるから、お前も大人しく読書してろ」

 今にも圧し掛かってきそうな薬師寺の肩を押し返す。見てみると返事を返してくれた由良に、薬師寺は目をキラキラさせて、由良に言われた通り読書をすると、都市伝説の本を持って席に戻った。

「あ、そうだ、由良君。これを機に本当に、この廃墟の都市伝説を作って友達に広めてはくれないかい? 私も彼らに仲間入りしたいっ」

「却下」

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