第4話

 僕の夏の大会が準決勝で終わってしまった。

 サトシのエラーがなければ勝っていた。サトシには激しくパンチをしておいた。


 大会が終わり、夏休みも残り少なくなった頃、父さんと恵さんは結婚した。

 結婚式は挙げなかったみたいだ。なんか恥ずかしいからとか言っていた。


 夏休みの間に僕たちは四人家族になった。

 夏休み中に転校の手続きを終わらせて、新学期から僕と一緒の学校に行くためと言っていた。


 新しい家族が増えて変わったことがいくつかあった。

 朝からちゃんとしたご飯が食べられること。

 お風呂がいつもキレイなこと。

 僕の着ていく服にシワが付いている事がなくなったこと。

 空いていた部屋に新しい机とベッドが置かれたこと。


 僕が思っていたよりも僕の生活は快適になっていた。

 僕は始めの頃よりも少しだけ普通になっていった。


「祥太くん、起きて。練習遅れちゃうわよ」

 カーテンがサーっと開けられる音と共に瞼の裏が赤くなった。

「……おはよう」

 きっとこのまま目を開けると目が焼かれてしまうと思うほど強い光が部屋の中に入ってきた。

「うん。おはよう。今日もいい天気。練習日和ね」

 恐る恐る目をあけると恵さんが優しく微笑んでいた。

「うーん、大会も負けちゃったからなぁ……、暑いし眩しいし面倒だなぁ……」

 うつ伏せになって枕に顔を押し付けると眩しさから開放された。

「もー。祥太くん。見て! 祥太くんの尊敬する大谷翔平はね……」

 恵さんは壁に飾っているポスターを指差しながら練習がいかに大事かということを僕に聞かせ始めた。

 でもその説明は大谷翔平のではなくイチローの話だった。

 きっとまだ上手く理解できていないんだろう。

 僕はなんだか可笑しくなってベッドから這い出るともう大丈夫だよと言った。

「じゃあ顔を洗ったらご飯を食べに来てね」

 恵さんはもう一度机の横に目をやるとパタパタとスリッパを鳴らしながらキッチンへ降りていった。

「さて、それじゃ恵さんのアドバイスを聞いて、今日も振り子打法に磨きをかけるかな」

 僕は伸びをしたあと、軽く振りかぶってポスターに向かって右腕を振り下ろした。



 僕が洗面所にいくとユウナが歯を磨いていた。

「……おっす」

「……」

 ユウナは口に歯磨き粉を付けたまま小さく口をモゴモゴと動かしたけど、声が小さくて何を言っているのか聞こえなかった。もともと声は小さいみたいだから普段もなかなか聞き取りづらい。

 ユウナはそのまま洗面所から身をひいて場所を開けた。

「……さんきゅ」

 バシャバシャと勢い良く顔を洗ってすぐに洗面所を出た。

 すると洗面所からガラガラガラとすごい勢いで口を濯ぐ音が聞こえた。

 口が酸っぱかったなら先に濯げばいいのに。


 僕はたっぷりと朝ごはんを食べたあと、ユニフォームに着替えて練習道具一式を確認した。

 玄関口で「行ってきます」と言うと恵さんと父さんが玄関まで出てきた。

「今日、あとで皆で様子を見に行くよ」

「え? 今日はただの練習だよ」

「まあ、いいじゃないか。恵さんとユウナちゃんに通学路とか周辺の案内も兼ねて、ね」

「まあいいけどさ……」

 恵さんと父さんに見送られて玄関を出た。

 扉を閉じた後、玄関先でもう一度「いってきます」を言うと、僕は自転車に跨って練習場まで急いだ。



 練習が始まって一時間くらいが経った頃、河川敷の堤防の斜面に父さんと恵さんとユウナが座っているのが見えた。

 僕と目があうと恵さんはユラユラと手を降った。恵さんは大きな白い帽子を被っていて、隣にいるユウナも同じような白い帽子を被っていた。

 ユウナは手元に何か鉛筆みたいなのを握っていて、チラチラとこっちを見ると直ぐに手元に目を移していた。



 その日の夕飯のあと、父さんと恵さんは食卓の上にユウナの転入の資料とかを開いて色々と相談していた。そしてリビングのソファーには普段自分の部屋に篭りがちなユウナがいた。珍しい。

 僕は見たいテレビがあったのでユウナと一つ席を開けた場所に座ってテレビを付けた。

 ユウナはテーブルの上に色とりどりのペンを並べてテレビも見ずに黙々と何かを書いている。

 気になったので伸びをするフリをしながら何を書いているのか覗いてみた。

「あっ……」

 ユウナはテーブルの上の覆いかぶさるようにして紙を隠してしまった。

 覗いたのがバレちゃったか。

 でも、そうなると余計に気になってきてしまう。

「何を書いてるの?」

 正直に聞きすぎたかと思ったけど言っちゃったからしょうがない。

「……」

 ユウナはテーブルを覆いながら何か言ったけど声が小さくて聞こえなかった。

「あー、無理には見ないから見せたくなかったら別にいいよ」

 なんか可哀想になったからフォローしたんだけど、ちょっとキツイ言い方だったかな?

「……」

 相変わらず聞き取れなかったけど、ユウナは体を少し起こした。

 見ていいのかな?

 ユウナとテーブルの隙間の紙を見ると、蛍光ペンでキレイに色付された絵があった。

「あ、絵を描いてたんだ。別に恥ずかしくないだろ。僕だって描くし。ちょっと見ていい?」

 そういうとユウナは顔を俯けたままテーブルから手を下ろして絵を見せてくれた。

「野球の絵?」

 鮮やかな色で描かれたピッチャーの絵だった。

「へー。お前、絵うまいな。僕はヘタッピーだからすごいと思うよ」

 素直に上手だと思った。

「これ、どの選手? 大谷?」

 ユウナは俯いたままふるふると小さく首を振った。

「ちがうかー。ユニフォームが違うもんな。このユニは僕のチームに似てる」

 ユウナが小さく首を縦に振る。

「え? もしかして、これは僕なの?」

 ユウナはより深く俯いてしまった。

「あ、そっか。今日河川敷で描いてたのはこれなんだ」

 自分の絵だと言われると、なかなかカッコイイ絵じゃないかと思えてきた。

 おー、と感心しているとユウナが小さく呟いた。

「……あげる」

「えっ、僕にくれるの? この絵を」

 ユウナのこれ以上さがりようのない頭は辛うじてウンと頷いた。

「お、おう。じゃあもらっとく」

 ホントはすごく嬉しかったんだけど、なんだか照れくさくって喜べなかった。


 今日ユウナはあの暑い河川敷の堤防でこれを熱心に描いていたんだ。もしかして最初から僕にくれるつもりで描いていたのかな。


 そう考えたら僕まで顔が下を向いていた。

 なんだか恥ずかしくなったのでテレビを消して立ち上がった。

「さて、部屋で漫画でも読もっと」

 わざとらしかったかな。でもユウナとこんなに話(?)したのは初めてかもしれない。僕だってお兄ちゃんとして何をしたらいいのかなんて分からない。これからなのかな。


 僕が絵を持って食卓を通ると父さんと恵さんが僕を見ていた。

 なんかニヤニヤしてる。

「祥太! 上手に描いてもらえてよかったな。実物よりも随分と上等になってるけど」

「べ、別に! くれるっていうからさ」

 僕がなにか言う度に恵さんの顔が柔らかくなっていく。

 ここにいたらだめだ。はやく部屋に戻ろう。


 階段を登りかけた時に後ろから父さんの声がした。


「祥太ー。今度玄関の表札を新しくしようと思うんだ」


 え? いま表札って言ったの?


「恵さんとユウナちゃんの名前、ちゃんと入れた表札にしないとだからな」


 僕はすぐには父さんが何を言っているのか分からなかった。

 あれはダメだよ。なにを言ってるの父さん。


「今度みんなで一緒にホームセンターに見に行こうな」


「……めてよ」


「ん? 祥太。どうした……?」


「やめてよ!!」


 僕は自分の喉から出た大声に自分でも驚いていた。


「祥太……。何かあるなら説明して欲しい。父さんちゃんと聞くよ」


「ぜったいにいやだ!!」

 大声のせいか頭がぼーっとしている。

 もう父さんの声は聞いていなかった。

 ただ僕は絶対に認めちゃいけない気がして只々抵抗した。


「新しい表札なんかいらない! 父さんはいいかもしれないけど、僕は、嫌だ!」

 顔を上げて汚い言葉を吐き出した。僕の目が滲んできたのがわかった。


 父さんが困った顔をしている。

 恵さんは目を赤くしている。

 ユウナは泣いていた。


 僕の濁ってしまった目から見える絵は、やっぱり濁って見えていた。


 父さんを悲しませたくないのに。

 恵さんもユウナも困らせたいわけじゃないんだ。


 ただ、そうしたら、僕の。僕が……。


 僕は階段を駆け登って逃げ出した。

 自分の部屋の鍵を閉めてベッドに倒れた。


 扉を叩く音と父さんの声が聴こえるけど、段々遠くなっていく。

 僕は布団を被ってギュッと閉じこもった。


 きっとこのままいつもみたいに眠るんだろう。

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