第3話

 あれから何度か女の人と女の子は日曜日に僕の家に招待されて、みんなで一緒にご飯を食べた。


 僕は少しづつ会話がうまくなっているような気がしたけど、まだたまに不思議な感じがすることがあった。



 春の大会は僕のせいで大負けしてしまったけど、もうすぐ夏の大会が始まる。

 その為にたくさん練習しなきゃいけない。

 だから土曜日は好きだ。たまに授業があるけど基本的に休みなので練習時間が沢山とれる。

 今日も近所のグラウンドに相棒のサトシを引っ張っていって投げ込みをしてきた。

 本当はもう少し投げたかったけど、今日は父さんが早めに帰ってきて欲しいと言ってたので残念ながら切り上げた。


「じゃーな、サトシ。また明日の練習でなー」

「祥太、俺明日の練習休んでいい? もう手が痛てーよ。最近また球が速くなったよな」

 サトシは真っ赤になった手の平を僕に見せた。

「そんな事したらバッテリー解消な。もし休んだら次の試合はケンケンと組む」

「ケンケンってまだ三年じゃん……。そこまで言う? わかったよ! ちゃんと行くってば」


 家の玄関の前でサトシといつものように会話して別れた。


「ただいまー」

 玄関の扉を開ける前に『ただいま』を言うのは大友家のシキタリだ。

 まあ、僕しかやってないけど。


 玄関に掛かった手書きの表札に挨拶したあと扉を開けて「父さーん、帰ったよー」と報告すると「おかえり。祥太ー」とリビングから父さんの返事があった。


 汗だくだったから直ぐにシャワーを浴びた。

 普段着に着替えてリビングに行き、扇風機を強にしてソファーに座った。

 扇風機の正面に顔を寄せていると父さんがジュースを持ってきてくれた。

「ありがとう、父さん」

「ちょっと横すわるぞ。んしょっと」

 僕がジュースを一気に飲み終わると、横に座った父さんが言った。


「祥太。ちょっと話を聞いて欲しい」

 父さんは真面目な顔をしていた。

「うん」

 僕は空になったグラスをテーブルにおいて正面を見ながら言った。

「大事な、大切な話なんだ」

 父さんが小さく息を吸ったのが聞こえた。

「……祥太。父さんな、恵さんと結婚したいと思ってる」

「……」

 僕は正面を向いたまま窓の外のオレンジの雲を見ていた。

「祥太はどう思う? 正直に言ってくれていい」

 見なくてもわかる。父さんの声は僕に難しいことを説明してくれる時の声だ。だからきっと今も父さんにしては珍しく真剣な顔をしているに違いない。

「僕は……」

 そこまで声に出たのはわかったけど、次になんて言えばいいのか分からなかった。

「もし、祥太が嫌なら…… 祥太が困るのなら、父さん結婚しないから」

 僕は首だけ父さんの方に向けた。

 すると父さんは笑顔を作っていた。

 でも父さんは正直者だから、悲しい顔も出ちゃっていた。


「父さん。父さんはあの人の事、好きなの?」

 僕は何を確認したかったんだろう。

「……うん。好きなんだ」

 僕はあの人の事をどう思っているんだろう。

「恵さんの力になりたいと思っている。そして、それは父さんの力にもなるんだ」

 父さんの真面目な顔。父さんはいつも正直なんだ。

「じゃあ、父さん……」

 だから、僕は次に出そうになった言葉をとめた。


「……父さん、僕はいいと思うよ」

「祥太……」

 あの人はきっと父さんを元気にしてくれる。

 今まで何回か逢っていて、それは僕にもわかった。

 あの人は僕があまり喋らなくても辛抱強く何度も優しく話しかけてくれた。

 いつからか野球の話を沢山してくれるようになった。

 あんまり詳しくなかったのに、きっといっぱい調べてくれたんだと思う。

「結婚しなよ。父さん」

 きっと父さんは僕がこうハッキリと言わないと結婚しないと思った。


「……祥太。ありがとう」

 父さんが泣くのは珍しい。

 でもこれは嬉しい涙だから良いことなんだ。


 そのあと、父さんは僕を焼肉に連れて行ってくれた。

 もう食べられないと言っているのにどんどん肉を焼いた。


 家に帰るとお腹がいっぱいで動けなくなった。

 動くことができなかったので、僕は自分の部屋のベッドで大の字になったまま、ぼーっと部屋の中を見渡した。


 机の横のボードに貼ってある写真に目がいった。

 小学校の正門で僕がピースをしている写真。これは入学式の時。

 父さんと僕がお弁当を食べている写真。これは四年の運動会の時。

 サトシと肩を組んでトロフィーを持ってる写真。これは五年生大会で優勝した時。


 その他にも楽しそうな僕が写っている写真が何枚か貼ってある。


 本当は他にも楽しそうな写真があったんだけど、僕が小学三年生の時に外した。


 お母さんが出ていった後、父さんは僕に一言もお母さんの悪口を言わなかったし泣かなかった。ただ僕に何度も謝っていた。


 でも僕は知ってる。一人の時にリビングにあった家族の写真を見て泣いてたのを。

 お母さんが出ていってしまった理由は聞いてない。

 きっと父さんが悲しむと思うから。


 父さんが悲しむのは見たくない。

 だから僕はお母さんの写真を全部はずしたんだ。

 リビングも、自分の部屋にある写真も全部。

 父さんはきっと僕に気を使って外せなかったと思うから、僕が外してあげた。

 父さんはそんな事しなくてもいいなんて言ってたけど僕は聞かなかった。


 僕は何を怖がっているんだろう。

 でもしばらく我慢したら元に戻るから。

 だからじっとして寝てしまうのがいい。


 だけど、どうしても、どうしても我慢ができなくなったとき……。


 僕はベッドから出て一階に降りると、こっそりと靴を履いて玄関に出た。


 玄関に掛かっている手作りの表札。



 僕はこうするんだ。

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