第2話

 次の日曜日。

 試合が僕の不調で大負けした後、父さんが女の人と小さな女の子を家に呼んだ。


 僕の家のリビングには僕と父さん、女の人と女の子の四人が居た。

 お互いに立ったままで変な空気だ。なにか居心地が悪かった。


「祥太、こちらが恵さん。お父さんの仕事の同僚、仲間なんだ」

 そう紹介された女の人は遠慮がちに下を向きながら僕の前に立つと、優しそうな目を何度か瞬きさせた後、顔を上げて僕をしっかりと見つめた。

「祥太、君。はじめまして。菊池 恵きくち めぐみといいます。よろしくお願いします」

 女の人は僕に丁寧にお辞儀をすると、また顔を下に向けてしまった。

 僕は「うん」とだけ答えた。

「……祥太。あ、この女の子はな、ユウナちゃんって言うんだ。恵さんの娘さんなんだ」

 父さんは少しおどおどしながら小さな女の子の肩にそっと手を乗せた。

 小さな女の子はずっと俯いたままだった。

 女の人は少し屈んで女の子の背中に手を置いた。

「……ユウナ、ご挨拶しよ」

 女の子は更に顔を下に向けてしまい、その長い髪が目の前にフラリと垂れて顔を隠してしまった。


「祥太、ユウナちゃんは小学三年生なんだ。……えと、九歳なんだよ」

 父さんはそう言うと、女の子の肩を優しくポンポンと叩いた。

 女の子の頭が小さく頷くと、長い髪と小さなピンク色の髪飾りが揺れた。

 女の子はそれ以上喋りそうになかったので、僕は「うん」とだけ答えた。


 父さんはメガネを直しながら背筋を伸ばし、小さく咳払いをした。

「ユウナちゃん、ありがとう。次は僕達の紹介をするね。僕は大友 清次郎おおとも せいじろう。お母さんにはいつも仕事場で助けてもらってるんだよ。よろしくね」

 女の子は俯いたまま髪飾りを小さく揺らした。

「で、こっちが息子の祥太です。小学六年生。さ、祥太、挨拶だよ」


 僕はなんだか変な気分だ。自分じゃない誰か他の人を紹介する気分。ほら、次はキミの番だよ、なんて感じがしていて他人事のようだった。

「……祥太?」

 父さんが少し困った顔をしている。女の人も口を結んで少し困った顔をしているみたいだった。

「祥太です。小学六年生で野球をやってます。ヨロシクオネガイシマス」

 上出来だと思うよ。僕は自分が思うよりもずっと上手に挨拶ができるんだと関心している。

 女の人はすごく安心した顔をしながら「よろしくね、祥太君」と言ってきた。やや目尻の下がった綺麗な目には、少し涙がついていた。

 女の子は少しだけ顔を上げたかと思うと、僕と目が合い、またすぐに髪の毛で隠れてしまった。


「うん、うん! さ、みんなお腹が空いただろう? 今日はなんと、恵さんが夕食を作ってくれるんだ。楽しみだね!」

 父さんはパンパンと鳴らした手のひらを擦り合わせながら言った。いつもの父さんの声よりもちょっとだけ大きな声だった。


 女の人は「お口に合えばいいんだけど……。うん、頑張るね」なんて言ってキッチンに向かった。

 父さんは何か手伝うことはないかと女の人に尋ねていたが、座っててくださいと追い返されていた。

 手持ち無沙汰な父さんは僕と女の子に声を掛けて、一緒にDVDを見ようと言った。

 女の子は父さんに誘導されるままリビングのソファーに座った。


 僕の家のリビングはいつもと違う。ここに居ちゃいけない気がした。

「今日の試合なんかすごく疲れたから、ものすごく眠い……。ちょっと部屋で寝ててもいい?」

「祥太……」

「ごめん、めちゃくちゃ眠い。ご飯できたら起こしてよ」

 僕は父さんの返事を聞く前にリビングを出て、自分の部屋のベッドに潜り込んだ。

 すると本当に体が重くなって眠くなった。


 どれくらい寝たのかわからないけど、僕のことを父さんが起こしに来たので、みんなで一緒に夕飯を食べた。


 父さんは女の人と女の子に僕の野球の事を色々と話していた。

 僕もちゃんと返事をしていたと思う。だけど何を話したのかはよく覚えていない。


 ご飯を食べて後片付けが終わると、女の人と女の子は父さんに送られて帰っていった。


 誰もいないリビングで僕は椅子の位置を元に戻した。

 ようやく落ち着いた気がした。

 ずっとこの位置だったから気になっていたんだ。


 僕は父さんのことが好きだ。

 キャッチボールがヘタッピーで運動が苦手だけど、母さんがいなくなった後も僕と一緒に遊んでくれる。

 あんまり怒らないけど、ダメな時は僕にわかるようにちゃんと説明してくれる。

 嘘が苦手で正直者な父さん。

 僕のことをたくさん気にしてくれる父さんが好きだ。



 だから今日、父さんに少し悲しそうな顔をさせていたのがとても悲しい。

 それはきっと僕が原因だから。


 僕は何か嫌なのかな。

 何か気に入らないのかな。


 それが何か分からない。

 今日、何の話をしたのかも、自分の気持ちも、女の人が作ってくれた僕の好物のトンカツの味もわからなかった。


 だからいま、僕が何で泣いているのかは、やっぱり分からない。

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