悪魔、あるいはその所業

常盤しのぶ

悪魔、あるいはその所業

 私には、悪魔が憑いていた。


 具体的にいつからかは覚えていない。気がついたら私は、私以外には見えない何かに取り憑かれていた。どんな形をしているかもわからない。ただ漠然と"そこにいる"ような気がするだけ。強いていうならば影のようなものだろうか。異様な気配が常にあった。

 そいつは昔から後ろから私のことを睨みつけ、私の行動を逐一監視している。家で勉強している時も、友達と遊んでいる時も、悪魔は常に後ろで私のことをじっと見ていた。時々不意打ちのように寒気が全身を走る時があるが、この悪魔のせいだと思う。なにかにつけて私は悪魔からちょっかいをかけられていた。


 私には夢があった。小説家だ。小さい頃から自分で考えた物語を誰かに見てもらうのが好きだった。どんな評価であれ、私の世界をほんの少しでも共有してもらえた、その事実がたまらなく嬉しかった。

 大学を出て就職し、仕事の傍らで小説を書く。そうやっていつかは出版社へ持ち込みし、自分の文章で飯を食えるようになりたい。それが私の夢。


 ところが、社会人になって2年もすると、ぱったり小説を書かなくなった。理由は簡単。仕事が忙しくなったから。残業が続き、小説を書く時間がなくなった。いつしか「自分の小説で飯を食う」という夢は忘却の彼方へ消え去ろうとしていた。

 それでいい。私には小説家など向いていなかった。今の仕事で飯を食えているだけありがたいと思わないといけない。心のなかで言い聞かせる。


 悪魔が現れた。以前から時々現れてはちょっかいをかけてくる悪魔だが、ここ最近は特に酷い。毎日の様に私の身体を弄ぶ。頭痛や吐き気、腹痛など。一応医者に診てもらって薬も飲んでいるのだが、当然治る兆しは見えない。


 ついに私はノイローゼになった。会社で重要な仕事を任されるようになったプレッシャーと悪魔の所業のそれで、私の心と身体はボロボロになっていた。その頃には勤続5年を過ぎようとしていた。

 上司から休職するよう進言された。幸い有給はそれなりに溜まっている。上司からのお墨付きで少しの間仕事を休む事にした。


 平日の昼間は暇で仕方がない。大学時代は曜日昼夜問わず遊び呆けていた気がするが、その時は一体何をしていたのだろう。何も思い出せない。頭の中が仕事でいっぱいになっていた分、それを引っ張り出してしまうと、何もなくなっていた。

 なんとなく机に向かってみる。こうして机に向かうのも酷く久しく感じる。机上には鉛筆や消しゴム、小説のネタに使えそうな本など、最低限に留められていた。


 小説?


 思い出した。私は小説を書くのが好きだった。仕事を休んでいる今、どうせなら何か書いてみようじゃないか。いい気分転換にもなる。そうしよう。


 小説を書き始めてしばらくし、気持ちもだいぶ落ち着いてきた。会社に入りたての時は、なんとかして飯を食っていこうと必死だった。必死だった分、周りが見えていなかった。だから自分の身体の異常にも気付けなかった。そろそろ復職を考えてもいい頃だと思うが、以前のように己を犠牲にするような働き方はしないようにしよう。そして、たまには小説を書こう。好きな話を書こう。


 気がついたら、悪魔はいなくなっていた。

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