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「あたしね、お父さんもお母さんも、死んじゃったんだ。」

 その顔を見つめて、とても自然に、言葉が口からこぼれました。

「お父さんはね、私が小学生の時、病気で。 お母さんはそれが悲しくって、後を追って逝っちゃった。」

 寿一はぼんやりと天井を見つめながら、相づちを打つこともなく、虫が入りそうなくらいぽっかりと、口を開けていました。 その口が、獲物を見つけた蛙のように、急にパクパクと動き出して。

「それは、」

「うん?」

「それは、悲しかった?」

 悲しかったね、や、悲しかったでしょう、ではなく、寿一の言葉の語尾は上がり、答えを待つようにこちらを見ました。 今まで、両親の話をすると、みんな口を揃えて、貴方は悲しく不幸な子だと嘆き同情してきました。 私はなんにも言っていないのに、そうであると決めつけ、勝手に泣き出す人もいました。 そのたび私は、自分はそんなに哀れな人間なのか、と戸惑ったものです。 だって、私は確かに悲しくって、わんわん泣いたけれど、自分が不幸だとは感じなかったから。

「お父さんが死んだときは、これからどうなるんだろうって、すごく不安だった。 お母さんは変になっちゃうし。 でも、私が悩んでる間に大人たちが勝手にいろいろ準備していて、私が悩む必要なんてなく、全部上手いこと収められていったの。」

 あんなにもしっかりと支えてくれた壁みたいな存在が、私の足くらいしか入らないような小さな箱にすっぽりと納まってしまったときは、胸の辺りが苦しいくらい痛くなったけれど、それも蓋が閉まるとただの箱で。

「お母さんが死んだときは、なんにも。 元々お母さんとは離ればなれで暮らしていたし。 ずっと会えなかったから。 あぁ、もうあの耳が痛くなるような奇声は聞かなくて済むんだな、って。 ひどいよね。 でもそんな感じ。 だからね、みんなが思うほど、私悲しんでないと思うの。」

 これは、薄情と言われるのでしょうか。 母のように、狂ってしまうくらい悲しむべきだったのでしょうか。

「今はこうして、大きなお家でお腹いっぱいご飯を食べられる。 あたし、不幸なんかじゃないよ。」

「そんなもんなのか。」

「あたしはね。 むしろ、もっと大きくなってから両親を亡くしていたら、そのぶんたくさんたくさん積もった楽しい思い出や尊い気持ちに押しつぶされてしまうと思うの。 普通はさ、寿一もそうだけど、あたしの何倍も両親と思い出を育んで、さよならするのでしょう? だからね、だからあたしは、みんなのほうが可哀想なの。 あたしならきっと、耐えられないから。」

 だから今、祖父や緑さんに先立たれたとしたら、両親の何倍も辛く、悲しく、枯れるほど泣いてしまうのでしょう。 そして誰よりも、寿一があの小さく脆い骨になったときは、私はその遺骨を抱えて、母のように海へと向かうことでしょう。

「だから、寿一は、死なないでね。」

 差し出した小指は、大きな手のひらにぎゅっと掴まれ、「いまのとこ予定はないから。」と言われました。

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