8

「あたし、」

 その時まで、学校では懸命に自分を「僕」と呼んでいました。

「自分のこと、女だって信じていたの。」

 私が「僕」というたび、寿一はなにか変なものを食べたような顔をして、僅かに首を傾げるのです。

「でもね、違ったみたい。 声、低くなって、この前、朝起きたら、下着、汚れてて。」

「ん。」

「あたし、男だった。」

 顔の火照りが冷めたのを触れて確かめて、ようやくしっかりと寿一を見ました。 いつの間にか起きあがっていたようで、乱れた浴衣を直していました。

「男ってさ、」

 私のほうを見ないで、それは独り言のように呟かれました。

「なんなんだろう。」

 浴衣の胸元を覗きながら、まるで自分のお腹に話しかけるように、そう言いました。

「なにがどうしたら、男になれるんだろう。」

「なにがって、なにが。」

「だってさ、性別に限ったことじゃないけどさ、全部が全部正しくあるのは、そのほうが難しいと思うんだよね。 よくあるじゃん、ほら、万人が認める普通なんてないんだよー、みたいなさ。 そういう歌なかったけ、なんだっけ、あー、いっぱいあるか、そんな歌は。 でもいっぱいあるくらい、それって普通のことでさ。 あ、普通って言ったら変か。 難しいよ、日本語。 これ、日本語に限ったことじゃないか。 はは。」

 ぱたん、と再び大の字で寝転がって、足下に回れば、股にある立派なモノ(実物を幾度か見たことがあるから、想像ではありません)が見えてしまうなぁ、なんてことを思いましたが、直しに行けば私がソレを見なくてはいけないので、放っておくことにしました。

「とりあえず、俺はさ、」

 いつの間にか火薬の匂いは消えて、窓の外の賑わいも、夜らしくなっていました。

「ビビのこと、男とも女とも思ってないよ。 というか、どうでもいいや。 うん、ごめんね、俺、ビビがなんかもの凄いレアで、何万人に一人の性別だったとしても、どうでもいいんだ。 胸があってもなくても、目が見えなくても動けなくても、手足が欠けてても、あーあとは、そうだな、実は今の顔は特殊メイクで素顔は絶世の美女でしたーって言われても、どうでもいいよ。 いや、嘘、ごめん、最後のはちょっと、揺らぐかも。 あ、でも絶世の美女って基準がわかんないよね。 あの女の人の絵画、名前忘れた、あの絵で俺、抜けないもん。」

 私は寿一の、ボソボソと話す低い声に聞き入って。 寿一もひたすら天井を見つめていたので、外に遊びに行っていた人たちが帰ってきたことには気づきませんでした。

「なになに、オナニーの話!? 今晩のおかずナニにするとか!? ってか乾師チンコ見えてる! なにそれ、通常でそのサイズとか強い!」

 友人にのし掛かられ、寿一はケタケタと笑いながら、さっきまでの会話などなかったように、悪ふざけを始めるのでした。

 それから私は寿一と、幾度も春夏秋冬を過ごします。 二度目の春でクラスが離れ、二度目の秋で寿一が童貞を捨てます。 三度目の冬で溺れるほど泣かされ、そして、八度目の冬を迎えて。

 何度季節が過ぎても、このとき寿一がくれた言葉は、褪せることなく響き続けるのでした。

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