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死にたい。
初めてその言葉が頭に響きました。
死にたい。
両親が死んだときも、血が出るくらい殴られたときも、生きることを奈落に感じはしたものの、止めてしまおうと思ったことはありませんでした。
でもこの時は、自分の体が憎くて煩わしくて、滅茶苦茶に壊してしまいたくて。 祖父の部屋でなければ、もしくは祖父が居なかったら、その辺の鈍器で頭をぶん殴っていたことでしょう。 心臓が脈打つたび、血が流れるたび、熱を帯びるたび、それらが凶悪な行為であるかのように、ただただ怒りを感じました。
あたしは、男、なんだ。
頭に浮かんだその言葉に、とどめを刺されました。
やっぱり、間違っていたのは、心のほうなんだ。
憎むべきは、恨むべきは、体ではなく、この私なんだ。
あたしは、異常なんだ。
喉に出来た出っ張りを力一杯押して、漏れた嗚咽に、このまま気道を塞ごうかと、手に力を込めたときでした。
「あの、何方か存じませんが、」
祖父が探るように頭を動かして、
「素敵な声ですね。」
私の方へ、手を伸ばしました。
「私の想い人と、どこか似た声をしています。」
伸ばした手で何度も空を掴んで、私の手を探して。
「だからきっと、貴方も素敵な人だと思うのです。」
あぁ。 私は祖父を騙しているのに。
伸ばされた手をそっと両手で包むと、「ほら、手も似ています。」って笑うから、とうとう私は涙を我慢出来なくなってしまいました。 必死に声を我慢し、垂れる鼻水も啜らないようにして、ぼやける視界でただ祖父を見つめました。
祖父は私の手をさすりながら、
「貴方の名前を、聞いてもいいですか?」
そう言ったので、
「・・・・・・敏和と、いいます。」
八木敏和は、美しい青年、八木松葉と、初めて出会うこととなりました。
「実は私、菖蒲と古くからの友人で。 今日は言伝に参りました。」
服の袖で顔を拭って、それから私は、見事なまでに次々と即興の嘘を吐きました。
「菖蒲さんから?」
「はい。 昨晩体調を崩されて、しばらく入院が必要なんです。」
祖父は鼻と口しか見えていないのに、それでもわかるくらい大きく動揺しました。
「だっ、大丈夫なのですか?」
「命に別状はありません。 ただ、もしかしたら、」
私は、なにもかもを捨てました。 松葉さんの恋も、菖蒲さんの気持ちも、偽善も思いやりも美しく輝くなにもかもも。
「声が、出せなくなるかもしれません。」
勝手に全部を捨てて、自分の居場所だけを守ったのです。
地に根を張ったソレは立派な大樹となり、まがまがしい色の毒林檎をたくさん実らせては、腐り落として美しい土地を汚していくのです。
自分がそこに生え続けるためだけに。
「だから私が代わりに、菖蒲の言葉を伝えにきます。」
「わざわざ、ありがとうございます。」
微笑んで、嘘を重ねて、罪を犯して。
でもね、でも、どうか少しだけ言い訳を聞いてもらえるのなら。
そこまでしてでも守りたいくらい、私には、私のような異端には、居場所が無かったのです。 居場所がないというのは、この世界から生きていることを許されていないようなものなのです。 トイレへ行くたび、性別を記入するたび、色を分けられるたび、場所を分けられるたび、空の上から「あれ、なんでお前この世界にいるの?」って声が聞こえるのです。
いつかどこかに情報が漏れて「コノ世界ハ、貴方ノヨウナ欠陥品ニハ対応シテオリマセン。」って機械音と共に現れた変なロボットが、一瞬で私を欠片も無かったことにしてしまう。
そんな、笑われてしまうような恐怖を、ずっとずっと抱き続けて生きているのです。
その恐怖からの避難所が、私にとっては此処だったのです。
帰ってきた緑さんは、私の声を聞いてすぐに「坊ちゃんの好きなようになさってください。」と笑いました。 私は今になっても、緑さんが何を考えて何を望んでいたのか、よくわからないままです。
唯一わかるのは、私なんかよりもずっと、ずっとずっと辛かった、ということです。
ずっとずっと、亡くなるまで、ずっと。
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