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 あの日、まだ屋敷で暮らし始めて間もなかった、あの日。

 ぐるんぐるんと渦を巻くような、変な夢を見て、いつもより随分早くに目が覚めてしまいました。 起きてすぐに、下着に違和感があるのに気付き、それが濡れているとわかったので、この歳になってなんという失敗をしたのだ、と変な汗をかきました。

 でも、下着を下ろした時、膝から力が抜けて、なんとも間抜けな格好でその場に座り込みました。

 それはいわゆる「男の生理」だったのです。

 とっさに下着を浴室へ持っていって、一心不乱に洗いました。 違う。 こんなの、こんな白濁の汚らしい液体、自分が出したんじゃない、って。 気付いたら涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていて、下着は濡れたままゴミ箱に捨てました。 何かの気のせいだ、と何度も自分に言い聞かせ、見なかったことにしょう、と逃避しました。

 緑さんはいつも早朝にだけ開いている市場へ野菜を買いに行くので、その時は屋敷には居なくて、もう一度寝るのが怖かった私は、祖父の部屋へ行きました。

 寝ていると思いそっと部屋の扉を開けたのですが、祖父はベッドを起こして窓から入る朝日に当たっていました。

「あれ、菖蒲さんですか? 今日は随分早くに遊びに来たんですね。」

 祖父に菖蒲さんと呼ばれ、少しだけ肩の力が抜けました。 まだこの空間は私を心に従わせてくれる、と。

「松葉さ、」

 いつものように、名前を呼んだ。

 その声は、自分のものではありませんでした。

「・・・・・・どなたですか?」

 その声は、菖蒲さんとは似ても似つかない、男の声でした。 そっと喉に触れると、ぽっこりとした固いものが出来ていて。

 私が菖蒲さんでいられるタイムリミットがきたのです。 いつきてもおかしくなかったこの時を、私はちっとも考えていなかったのです。

 十五歳。 平均よりも遅く、今まで来なかったのがおかしいくらいです。 でも私は、ベッドから起きた瞬間崖に落とされたような、それくらいの衝撃を受けました。 一度も考えなかったわけではありませんが、心のどこかで「一生こないで終わるのではないか。」と考え、それを何の根拠もなく信じ続けていたのでしょう。 私の二次成長は、この平らな胸が膨らみ始め、股から生えたものは萎んで小さく小さくなり、そして初潮を迎えるのだ、と。 ようやく体が心に従うときがくるのだ、と。

 その、小さな希望が。 小さいけれど、これからを生きていく糧にしていた、そんな光が、汚らしい白濁の液と醜い声にかき消されたのです。

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